特集 「二本の木」ができるまで(全4回連載)
その4 見えはじめたパズルのピース
王子ホールマガジン Vol.42 より 「書いてきましたよ!」と言って加藤昌則が広げたのは、《ツワブキの声》、《ケータイメール》、《五月の虚空へ》の3曲。2014年2月に上演される連作歌曲「二本の木」の冒頭と末尾を飾る作品だ―― |
宮本益光(台本・バリトン) 演奏、作詞、訳詞、執筆、演出と多才ぶりを発揮する新時代のバリトン。東京藝術大学、同大学院博士課程修了。2003年『欲望という名の電車』スタンリー、翌年の『ドン・ジョヴァンニ』標題役で脚光を浴び、その後も大舞台で活躍している。最新アルバムはイタリアの室内合奏団アンサンブル・クラシカとの合作「碧のイタリア歌曲」。二期会会員。 加藤昌則(作曲・ピアノ) 東京藝術大学作曲科を首席で卒業し、同大学大学院修了。創意に満ちた編曲とコンサート企画など、多方面にわたる活動で近年特に評価を高めている。12年7月にはオペラ「白虎」が上演された。ピアニストとしても定評があり、国内外の多くのソリストから指名を受けている。 |
――今回は《ツワブキの声》、《ケータイメール》、《五月の虚空へ》の3曲の素描ができた段階ですね。加藤さんが一番最初に着手した曲はどれですか? 加藤昌則(以下「加藤」) 終曲《五月の虚空へ》の一番最後の部分です。冒頭の《ツワブキの声》は、はじめにいっぺん書いたんですけど、劇的になりすぎていたので結局書き直しました。 ――こうして数曲出てきましたけれど、宮本さんはどのような印象をお持ちですか? 宮本益光(以下「宮本」) 全体の構成を考えて最後の《五月の虚空へ》から着手したというのは、我が意を得たりという感じですね。音楽作品としての構成のもっていきかたに期待しちゃいます。 ――今回加藤さんが曲をつけた末尾の部分は、全体の中ほどにある《オリーヴ幻想》という曲と同じ歌詞です。「いつしかそこには二本のオリーヴの木が立っておりました」。病床の奥様のビジョンですね。 宮本 当初はこの《オリーヴ幻想》を冒頭に置いてもいいかなとも思ったんです。でも1曲目の《ツワブキの声》には「生きよとの声」という歌詞がある。これだけで死を目前にした人、もしくは死を突き付けられた人の歌だということが分かるし、自然界の色から生を感じ取った様子も伝わる。それを使わない手はないなと思って、この《ツワブキの声》を冒頭に置きました。 ――2曲目の《ケータイメール》の一部もできていますね。 加藤 今あるのは曲の冒頭部。イメージとしては、最初はあまり音楽的ではないんだけど、だんだんと音楽化していく。そして曲の一番最後にきたところで曲の真髄というか、音楽的なものが見えるといいだろうな。次の《冬木立の頃》の詩が重いだけに効果が出るはずです。 宮本 ここは病気になったけれど、ケータイを手にすることで愉しみを得たという内容。躍動感があるし、音高にも変化があったり、レチタティーヴォのように「演じる」とか「自由がある」とか「拍に支配されない」動きがあるといいのかな。 加藤 もうちょっとうまくできるなら、言葉で表現するところと音で表現するところで心情の違いが出せるといいね。奥さんは嬉しくてメールしているのに、旦那さんは重みをもってそれを受け止めているとか――結局、こうやって場面をリンクしていかないと、聴いていてキツイと思うんです。それに、ことさら悲劇的にしたくない。なるべく日常的に流れている中に悲劇性がじわじわと感じられるようにしたいですね。 ――最後に置かれる《五月の虚空へ》はどういう考えをもって書かれたのですか? 加藤 全編を通して一番穏やかで、淡々とした曲で終わりたかった。オペラのアリアのように「いよっ、待ってました!」みたいなものではなくて、聴いていて退屈しちゃうかもしれないけれど、それを乗り越えたときにじわじわと染み入って、自然と心が動かされるような曲にしたいんです。 ――この次にどの曲を書くか、段取りはついてるんですか? 加藤 具体的には決まっていません。でも結局は、全部並行して書くんですよ。少なくとも出だしの部分は。ちょこっと書くと、だいたいその曲の方向性が見えてくる。そうしたらその曲は横に置いて、別の曲に取り掛かる。全体をみて淡々とした曲が多いようだったらすこし変えようとか、歌詞の内容とは距離が出るかもしれないけれど、音楽的にはこうしようとか。けっこうね、面倒くさいんです。順番に書いていけばいいってものでもないし、パズルのピースを決めていって、そのうえで固めなければならない。すでにある曲にしても、全体ができたところでまた手を加えるだろうし。たとえば最後の曲も、それまでの曲がどういう構成になったかによって、また変わっていく。具体的にどうなるかは見えていないけれど、どうやるかは決まっている。この『やり方』を見つけるまでが大変でしたが。 ――もともと詩として書かれたものに曲をつけるのではなく、散文の体裁を整えて、それに曲をつけるわけですよね。その難しさというのは? 加藤 たとえばすごく詩が短くて、誰でもわかるような簡易な言葉で書かれている場合は、言葉を前後させようがなにしようが、すぐにその意味が伝わる。でも散文の場合はそうはいかない。さっきの《ツワブキの声》でも「ツワブキの黄」という言葉がある。この「黄」がちゃんと認識されるように気を配って書いていかないといけないから、そういう意味での散文の難しさがあるな。 宮本 この日記の言葉は、もともと歌われることを望んでいる言葉ではないわけですよね。それに短歌や俳句のようにそれ自体ですでに音楽的に成立しているものでもない。だから最初に「二本の木」を歌曲にしたいという話をしたときも、加藤さんはあえて歌にする理由はないんじゃないかと疑義を呈した。 加藤 「全部セリフにしちゃえばいいじゃん」と言ってしまったらそれでおしまいだから、そことの戦いですね(笑)。自分の中では、この作品を外国の人が聴いたときに、「言葉の意味は分からないけれどいい歌曲だね」と思ってもらえればいいじゃないか――と考えている部分もあります。いろんな国のいろんな歌曲が、言葉は分からないけれども音楽作品として面白いから鑑賞されている、それもまた事実ですから。 宮本 寺山修司の詩に中田義直が曲をつけた「木の匙」という連作歌曲があります。1960年代の作品ですけど、これはシューマンの「詩人の恋」にならって作られたソプラノとバリトンのための歌曲集で、今ではその中の1曲とか2曲がとりだされてどんどん歌われている。そのような発展があってもいいよね。そういった可能性を僕と加藤さんの両方が意識することで、解放される部分もある。 加藤 たとえば「二本の木」の中に明るい曲があったとしますよね。この連作歌曲全体を知らない人がそれを聴いて気に入ってくれるならば、それはそれで嬉しいことです。でも作品全体をよく知る人にしてみると、とても悲しい曲に聴こえてしまう――そういう曲が1曲でも2曲でもできたらいいなと思います。 宮本 加藤さんはたぐいまれなるメロディメーカーでもあるわけで、その彼の歌作品を聴くと声楽家は「歌いたい」と思うんですよ。声楽家が「歌いたい」と思うような歌って、やはりいい歌として伝わるものなんです。だからこそ単体でも使えるような曲が生まれるといいなと思います。 加藤 僕の作品を知らない人にとっては、新作歌曲の初演なんて敬遠したくなるものだと思います。自分だって人の新作を聴きにいくのには、ある程度の覚悟がいる。一人の作曲家の作品ばかりを聴くということは、その人の価値観に触れにいくということなわけで、それならば折角だからベートーヴェンにも触れたいとか、そう願う人が多いはずです。でもたぶんいつもとはちょっと違う、じわじわと感動が拡がるような、そういった時間をお届けできるはずです。そこはなんとなく自信があるんです。ぜひそんな体験をしに来てほしいですね。 (文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:二期会21) |
【公演情報】 王子ホール委嘱作品 2014年2月15日(土) 14:00開演(13:00開場) 出演: ********************************************** 二本の木 夫婦がん日記 NHK出版(ISBN978-4-14-081423-9) \1,470 ********************************************** 二本の木 ~がんで逝った夫婦 815日の記録~ NHKエンタープライズ(B003JYMJPS) \3,990 |
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