特集 「二本の木」ができるまで(全4回連載)
その2「二本の木」のルーツを訪ねて
王子ホールマガジン Vol.40 より
バリトン歌手の宮本益光が2014年2月にここ王子ホールで初演する連作歌曲「二本の木」。原作である「二本の木」は、ある夫妻のがん発症から最期までを綴った日記。NHKでも番組化されたこの題材に、「男女の生き様とか、夫婦のありようとか、命の行方とか、人間の根源的な部分」を突き付けられたという宮本が、歌曲としてこのテクストを編纂し、それに盟友・加藤昌則が曲をつける。演奏するのはソプラノ、バリトン、ピアノ、クラリネットの4名。13年5月現在、すでに歌詞の土台は組みあがっているが、次なるステップとして、宮本・加藤の両名がかねてより計画していた取材に出かけた―― |
宮本益光(台本・バリトン)
演奏、作詞、訳詞、執筆、演出と多才ぶりを発揮する新時代のバリトン。東京藝術大学、同大学院博士課程修了。2003年『欲望という名の電車』スタンリー、翌年の『ドン・ジョヴァンニ』標題役で脚光を浴び、その後も大舞台で活躍している。最新アルバムはイタリアの室内合奏団アンサンブル・クラシカとの合作「碧のイタリア歌曲」。二期会会員。
オフィシャルHP:http://www.mas-mits.com
加藤昌則(作曲・ピアノ)
東京藝術大学作曲科を首席で卒業し、同大学大学院修了。創意に満ちた編曲とコンサート企画など、多方面にわたる活動で近年特に評価を高めている。12年7月にはオペラ「白虎」が上演された。ピアニストとしても定評があり、国内外の多くのソリストから指名を受けている。
オフィシャルHP:http://www.masanori-music.com |
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生田緑地にて
晴天に恵まれた5月某日、宮本益光と加藤昌則は、「二本の木」のモデルである小沢 爽・千緒夫妻の長男・北太郎氏の了解を得て、素材となった日記と写真に触れるべく、夫妻の暮らしたマンションを訪れることとなった。約束の時間は午後のため、午前中は生田緑地(川崎市多摩区)を散策することに。
――生田緑地からメールちょうだい
――今日はそちらに行くつもりだが
――今、私に欲しいのは私の目にかわっていろいろ見てくれること
これは「二本の木」の冒頭に置かれた《ケータイメール》という曲の一部。小沢夫妻がケータイで交わした言葉だ。がんで入院中の妻、その妻の目となって自宅近くの生田緑地を歩き、季節の移ろいを感じさせる風物を描写する夫。
「二本の木」では晩秋の情景が描かれるが、この日は春の陽光が降り注ぐ日曜日、広大な生田緑地のそこかしこで散歩やピクニックを楽しむ人が見える。宵っ張りのインドア派である宮本益光は、「緑がいっぱいなのが……苦しい」とこぼしつつも枡形山の展望台から周囲を見渡し、東屋で一休み。野良猫が仰向けになってひなたぼっこをしている。
――山頂下の東屋には三毛と白の猫が二匹
――あの、ミイに似た猫?
「きっとここからメールを打っていたんだろうね」と往時の夫妻の姿に想いをめぐらせる2人。「どうしても悲しい内容の比重が大きくなるので、このあたりの音楽は重くなりすぎないようにしたいな」とも語っていた。 |
小沢夫妻宅にて
小沢夫妻宅で北太郎氏に迎えられた宮本と加藤。庭からのそよ風が吹き抜ける食卓にはたくさんのノートが積み重ねられていた。
「2005年9月に母が発病してから、それ以降の事務的な記録や日々の雑感などが書き連ねられています。両親は別々に日記を綴っていたのですが、母をみとった後、父がはじめて母の日記を開き整理してまとめました」。
小沢 爽氏は相当几帳面な人だったようで、棚には年代順に番号を振られた何十冊ものアルバムが並んでいる。北太郎氏の説明を聞きながら、2人はゆっくりと日記のページを繰る。
爽氏は妻の看病をするうちに自身も『後追いがん』を発病。2007年の5月に妻をみとった後、自身のグリーフワークとして、また少数の知己に向けた記録として「二本の木」を自費出版する。そして妻と同じ年の12月に他界した。没後、その本がNHKプロデューサーの目に留まり、番組化された。それを今度は音楽作品にしたいという申し出を宮本から受けて、遺族としてどう感じたのだろうか。
「歌曲にしたいというお話を最初にいただいたときに、『えっ』と驚きました」と北太郎氏は言う。「でもそれは単純な驚きであって、宮本さんと加藤さんの作品としてどういうものができるのか、楽しみにしています」。
「もし仮に自分の両親がこのような記録を残していたとして、それが人の目に触れると考えると、どうなんだろうと思ってしまうのですが」と宮本。
「番組化のお話をいただいたときは、戸惑いの方が大きくて、なかなかいいお返事ができませんでした。でもディレクターの方にお会いしてお話を重ねているうちに『お任せしよう』という気持ちになりました。番組の試写に呼んでいただいたときに、自分の親しか出てこないんだけれど、どこか自分たちのところから離れてくれたという感覚をもちました。ですから今は、どういう作品になるんだろうという楽しみのほうが大きいし、もとの日記とは別なものになっても全然かまわないと思います」。
宮本は言う、
「でも本人の言葉を脚色するわけにもいかないし――と気を遣いすぎてしまって、はじめは言葉を編集することができなかった。だからほとんど日記そのままの台本を加藤さんに見せたところ、『これじゃ作曲できないよ』と言われてしまいました(笑)」。
「私からお願いすることがあるとすれば、どうぞ遠慮なさらずにやってください、というところでしょうかね(笑)」。
「自分が連作歌曲として作品化したいと思ったのは、ご夫妻の言葉のやりとりに一組の夫婦の物語ではない普遍的な人の姿、在り方を感じたからです。一見悲しい部分もあるけれど、実は愛に満ち溢れていて、私たちに生きる生きる意味を問いかけているかのようです。だからそれを歌曲として表現したいと思った。僕たちの最も得意な形で。その一方で、失礼があってはいけないという遠慮もあって……そのせめぎあいでした。私たちが一番中心としているのは、いかにして音楽作品として成立させるか、ということ。音楽にしかできない表現にしたいですね」。
「もとの『二本の木』を知らない方も鑑賞されるでしょうから、音楽を聴いて、それだけで満足していただくことがあってもいいと思います。宮本さんと加藤さんの創作のヒントにしていただければそれでいいんです」。
「詩人ではない普通の人の書き遺した言葉の中にも、詩があり、真実があるというところも魅力のひとつだと思っているので、そこをうまく出していきたいですね」。
じっくりと目を通すべく10冊以上の日記帳を借り、小沢夫妻宅を退出した宮本と加藤。日を改めて、日記の返却がてらアルバムも一通り見せてもらう運びとなった。 |
制作に向けて
「二本の木」の夫妻の生の声が綴られた日記を読み、どのような感想を抱いたか両者に訊ねた。
「うーん……重い」と加藤。
「日記の入ったリュックも重いけど(笑)、その重さをいかに作品へと結び付けていくかですね」と宮本。
加藤は言う、
「今日行ってよかったのは、題材となった夫妻の日常がそこにあって、その空気に触れられたということ。人それぞれの生活があるなかで、たまたま不治の病になり、そのなかでの夫婦の関係が作品になったということだから、あまり重くせず、そのままを語るのがいいと思う」。
妻の千緒さんは歌が好きな方だったらしく、日記でも時折歌に関する記述がある。葬式の代わりに家族のみで行った「お別れの集い」でも、《慈しみ深き友なるイエスは》や《埴生の宿》など、生前に好きだった歌をうたって別れを告げたという。加藤昌則がどういったかたちでこの夫妻の関係を音楽にするのか、興味がもたれるところだ。次号では完成した初稿譜を前に、宮本・加藤の両名に音楽作品としての「二本の木」を語ってもらう予定である。
(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:二期会21) |
【公演情報】
王子ホール委嘱作品
連作歌曲「二本の木」
2014年2月15日(土) 14:00開演(13:00開場)
全席指定5,500円
出演:
宮本益光(バリトン)
加藤昌則(作曲・ピアノ)
澤畑恵美(ソプラノ)
豊永美恵(クラリネット)
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二本の木 夫婦がん日記
小沢 爽・小沢千緒著
NHK出版(ISBN978-4-14-081423-9) \1,470
[単行本・四六版・244ページ]
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二本の木 ~がんで逝った夫婦 815日の記録~
出演:片岡仁左衛門、竹下景子
NHKエンタープライズ(B003JYMJPS) \3,990
[DVD・リージョン2・73分] |
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