王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.10
フランチェスコ・トリスターノ
王子ホールマガジン Vol.38 より ピアノでブクステフーデを演奏すること自体かなり珍しいといえるだろうが、さらにテクノまで弾くのはこの人ぐらいではなかろうか。長身の正統派イケメンにして異能のピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ。8ヶ国語を操り、16歳で名門ジュリアード音楽院に入学という経歴から察せられるとおり、頭脳のほうも一般人とはだいぶ異なるようで、ひとつの質問に対して次々と思考をめぐらせ論を展開する様子を見ていると、ヴィルトゥオーゾによる即興演奏を聴いているかのような小気味よさすら感じる―― |
フランチェスコ・トリスターノ(ピアノ/作曲) ルクセンブルク生まれ。ルクセンブルク音楽院、パリ市立音楽院等で研鑽を積んだ後、ジュリアード音楽院にて修士号を取得。ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ・フェスティヴァルをはじめ著名な音楽祭に参加するほか、ヨーロッパ、アジア、アメリカで演奏活動を展開。作曲家としてソロ・ピアノやジャズ・アンサンブルのための曲を作るほか、テクノ音楽も活動のひとつの柱とし、異ジャンルとのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。最新アルバムはブクステフーデとバッハ、そして自作をフィーチャーした『Long Walk』(ドイツ・グラモフォン)。 |
Q まずは音楽、そしてピアノとの出会いについてお話しください。 フランチェスコ・トリスターノ(以下「トリスターノ」) 母がたいへんな音楽好きで、バロックやオペラをはじめ、ワールドミュージックやピンク・フロイドなどの70年代ロックもよく聴いていました。自宅にはアップライトのピアノがあって、それを触って遊んでいました。レッスンを受け始めたのは5歳のときで、すぐに正式な音楽学校に通うように勧められ、8歳になるころにはピアノだけでなくソルフェージュや対位法やフーガ、それから音楽史なんかも勉強していました。 |
Q ルクセンブルク音楽院に通っていたとのことですが、どういった教育だったのですか? トリスターノ もちろん基礎教育からスタートするわけですけれど、いい成績を収めればどんどん先へ進めるシステムでした。私の場合はいい先生に恵まれたこともあって、12歳か13歳までにカリキュラムを修了できたので、こんどはブリュッセルの王立音楽院へ進学しました。 |
Q ピアノ以外の楽器に触れる機会もあったのですか? トリスターノ 自宅にドラムセットがあったので、ジャズやフュージョンやロックのナンバーを叩いていました。自分で作曲をするようになると、管楽器についてもっと知りたくなって、10歳前後から3年ほどクラリネットを学びました。それ以外でいうと、やはり鍵盤楽器。いわばピアノの子孫にあたるシンセサイザーや電子ピアノは、昔からいじっていました。そしてジュリアード在学中は、ピアノの先祖にあたるチェンバロも数年間勉強しました。 |
Q 作曲もなさいますが、始めたのはいつごろですか? トリスターノ ピアノを弾き始めたときですね。最初は誰かにドレミを教わったわけではなく、音を確かめつつ何かしら即興で弾いていました。そして少し大きくなるとそれを書き残すようになった。実家には自分が6歳だか7歳のときに自作を録音したテープが残っていますよ。楽譜にして残すようになったのは8歳か9歳ぐらいですね。 |
Q 音楽家としてのキャリアについてお訊ねします。最初に人前で演奏したのはいつでしたか? トリスターノ かなり早くから人前で演奏はしていましたけれど、ちゃんとしたリサイタルを開いたのは13歳のときでした。演奏したのはモーツァルトとドビュッシーと自作。昔から20世紀あるいは21世紀の音楽を必ずプログラムに入れるようにしていました。 |
Q その後は定期的にリサイタルを? トリスターノ そうですね。学校である程度の研鑽を積んだところでリサイタルを開くというサイクルができて、ルクセンブルクだけでなくフランスやドイツでもコンサートをやるようになりました。しばらくしてニューヨークへ留学したのですが、外国人である自分はアメリカ国内での演奏活動が制限されていました。修士課程を終えてからヨーロッパに戻ったのは、アメリカでゼロからキャリアを築きあげなくても、ヨーロッパであればすぐに本格な演奏活動を展開できたからです。その後コンクールに優勝したことも追い風になりました。 |
Q プログラムの構成は昔から古典作品・近代作品・自作を取り混ぜたものだったのですね? トリスターノ ピアノではバロック以前の1500年代の作品から今年書かれた作品まで、500年以上にわたる音楽を演奏できます。でも実際に演奏されるのは1810年~1880年ぐらいの、ロマン派時代の特定の作品ばかり。それが不思議です。レパートリーは名刺のようなもので、『こんなレパートリーを弾きます』というのはある種の自己紹介なわけです。でも誰もが同じ曲ばかりを弾いていたら名刺を持つ意味がありません。私の場合はバッハとバッハに前後して生まれた音楽を大切にしつつ、それと並行して現代の音楽もやっていこうと決めました。 |
Q そういったレパートリーを採りあげるに至った具体的な経緯は? トリスターノ プログラムを組むのは物語を語るのに似ていて、いろいろな語り口があっていいと思うんです。自分は様々なチャプターからなる面白い物語を聴かせたいといつも願っています。バッハというチャプターはそれ自体が豊かな内容を持っていて、パルティータを1つ聴くだけでもいいし、6つ聴けばまたそれなりの体験ができる。 |
Q テクノ音楽にも取り組んでいますが、テクノとの出会いはいつごろだったんですか? トリスターノ 十代後半になって電子音楽をよく聴くようになったときに、自分がその音をよく知っていることに気が付いたんです。それは子どものころに家で聴いたクラフトワークやジャン・ミシェル・ジャール、タンジェリン・ドリームなどのシンセサイザーを駆使した音楽でした。シンセサイザーも鍵盤楽器の系譜にあるものですから、自分も何かできるのではと思い、手掛けるようになったんです。 |
Q リサイタルで音響機器を使うこともあるそうですね。 トリスターノ 最近ジョン・ケージの『ある風景の中で』を弾く機会がありました。これは非常にソフトでアンビエントな音が10分にわたって展開される作品です。その作品をすべてハーフ・アーティキュレーションで――つまりダブル・エスケープメント機構の半分だけを使って、通常では聴き取れない音を出して演奏しました。生音では決して聴き取れない音ですが、それを増幅することで聴こえるようにしたんです。シュトックハウゼンは、「音楽を増幅するのは大きな音を出すためではなくて、もっとソフトに弾けるようにするためだ」ということを言っています。より壮麗に響かせるために音響効果を使うのではなく、より親密な音を届けるために使うやりかただってあるんです。もちろんバッハをはじめ電子的に増幅する必要がない作品にわざわざ手を加えることはありませんが。 |
Q プログラミングについてですけれど、たとえば『bachCage』というバッハとジョン・ケージを融合させたプログラムの場合、その両者とご自身を結ぶ連続性が主眼となるのでしょうか、それともそれぞれの作曲家を並列に置いて比較しようというのが狙いなのでしょうか。 トリスターノ その両面が存在しているといえますね。並列に置いてコントラストに目を向けることで、かえってその連続性が見えてくることもある。私はよく「バッハのあの曲とケージのこの曲は中心となる調性が同じだ」とか「リズム構造が共通している」といった接点を探します。そうやって2人の作曲家を並べることで新たなコンテクストが生まれる。ケージに続いてバッハを聴くと、バッハの後にケージを聴くよりもモダンに聴こえるはずで、それが狙いのひとつでもあります。私は「サウンド・インスタレーション」という呼び方が気に入っているんですが、展覧会を見学するときのように、いくつかの展示室をある順路でまわることで、様々な感覚が刺激されるという流れを作りたかったんです。 |
Q 今度の王子ホールのプログラムはブクステフーデの作品を中心としたものになりますね。『Long Walk』というアルバムも発売されます。 トリスターノ これはある種のストーリーといえます。私はブクステフーデの作品を弾くようになってはじめて、バッハがバッハであるのは、彼が唯一師事したブクステフーデのおかげなのだと明確に意識するようになりました。対位法やポリフォニーの扱い方など、典型的なバッハの書き方だと思っていたものが、実はブクステフーデの書き方だったんです。ブクステフーデは「ラ・カプリッチョーザ」という、32の変奏からなる作品を書きました。これがバッハの「ゴルトベルク変奏曲」のモデルとなったことは疑う余地がありません。「ゴルトベルク」自体が「ラ・カプリッチョーザ」の第1曲の変奏、もっといえばコピーとすらいえるものなのです。その関係性についてこのアルバムを通じて「お話し」しています。 |
Q ソロ・ピアノの他にもピアノ2台とパーカッションで編成される「アウフガング」や、クラブでのライブ演奏などもされていますね。 トリスターノ 友人に「おまえはいろいろと手を広げすぎる」と言われたりもしますが(笑)。でも自分はいつだって音楽を演奏しているわけで、複数の活動をしているわけではない。昔の音楽家も様々な性質の場所や催し物のために仕事をしていました。たとえばバッハは当初教会に勤めていましたが、あの時代の教会は共同体の集会所という意味合いが今よりも強かった。モーツァルトは花形パフォーマーだったし、上流社会の集いで人々が踊ったり酒を飲んだりして楽しむなかで演奏することもあったでしょう。音楽家はカメレオンのようにその場所その場所に順応するものだし、環境に応じて自分のカラーを変えることで新しい発見を重ねることができます。そして自分自身に驚きがあれば、人にも驚きを与えられる。今日の私たちには、「この作品はこんな風に聴こえる」という思い込みがあります。でも時として、それとはまるで違う新鮮なアイディアが生まれてもいいと思うんです。自分にそういった考えが浮かんだ時はハッとするし、そのひらめきを発展させて、コンセプトを育てていく。そうすることでクラシックが生きた音楽であることを実感できます。クラシックは死んだ作曲家の手による死んだ音楽ではなく、テクノやJ-POPや民族音楽などと同じぐらい、今現在も生命力に満ちた音楽なんです。 (文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:ユーラシック) |
【公演情報】 フランチェスコ・トリスターノ J.S.バッハ:フランス組曲(全曲) |
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