インタビュー 庄司紗矢香
王子ホールマガジン Vol.22 より 話していると大きな黒い瞳がよく動く。壁か天井かその彼方かは定かでないが、しばらく遠くを見やっていたかと思うと視線は手元にうつり、黒目がくりくりと動き、やがて言葉が紡がれる。質問に対する回答をじっくり考えるというよりも、言うべきことはすでに見えているのだが、それを慎重に言語化しているよう だ。バイリンガルどころか6ヶ国語話者(ヘキサリンガル)である庄司紗矢香の頭の中には、日本語やドイツ語や英語やフランス語だけでなく、シューベルトの旋律やシェーンベルクの音符たち、そしてクレーの線やポロックの飛沫が広義の『言語』として詰まっている。多くの人間は持ち合わせている『言語』の幅が狭いからさしたる迷いもなくコトバを使うが、彼女のようにデータベースが大きいと、それだけたくさん黒目を動かしてコトバを検索しなければならないのかもしれない。 |
庄司紗矢香(ヴァイオリン) 5歳からヴァイオリンを始める。1999年10月、第46回パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールにコンクール史上最年少、かつ日本人として初めて優勝し、一躍世界中から注目を集めるところとなった。以後名だたる指揮者・オーケストラと共演を重ね、音楽祭への出演も多い。「多くのヴァイオリニストが当たり障りのない画一的な演奏をするなかで、確固たるカリスマ性と情熱的に作品に取り組む姿勢を兼ね備えた演奏家」と各国で高い評価を得ている。録音では、ドイツ・グラモフォンから5枚のCDをリリース。デビュー作はメータ指揮イスラエル・フィルとの共演、その後パリ・ルーヴル美術館でのライブ録音、プロコフィエフとショスタコーヴィチの作品集、チョン指揮フランス国立放送フィルとの協奏曲集などをリリースしている。 これまでザハール・ブロン、原田幸一郎、海野義雄らに師事。ケルン音楽大学卒業。99年度都民文化栄誉章、20000年出光音楽賞、07年第8回ホテルオークラ賞およびS&Rワシントン賞受賞。使用楽器は、日本音楽財団より貸与された1715年製ストラディヴァリウス『Joachim』。 |
2005年11月の王子ホール。この日の庄司紗矢香は照明を極限まで絞った空間に茫と浮かび、激しく身体をゆすってショスタコーヴィチのソナタの世界に没入していた。その姿には、篝火のなか神託を受ける卑弥呼もかくやと思われる凄味があった。神話世界の天鈿女命(アメノウズメノミコト)然り近世の出雲阿国然り、『神懸り』とも『物狂ひ』とも呼ばれる没我のパフォーマンスを行う巫女/芸能者の系譜に彼女もいるのではないか、そう思わせるだけの特異な存在感を放っていた。 当人はステージ上での自らの姿が与える印象についてどれだけ意識しているのだろうか。たとえば件のショスタコーヴィチのソナタを演奏したときは、曲調と暗がりとの相乗効果を見越して舞台を暗くしたのか、それとも作品に集中するための環境づくりをするうちに、必然的にそうなったのか。話を訊くとどうやら後者、つまり聴覚と視覚の掛け算ではなく五感マイナス視覚という引き算を意図していたようだ。 「当たり前のことですけど、コンサートに来る方は、見ている。もちろん舞台上ではきれいでなくてはいけないとか、それが大切だというのは分かります。ただその視覚的な要素が音楽の妨げにならないようにしたい。顔の表情だったりドレスの色だったりではなくて、音楽を純粋に音楽として、私の表現したいものを受け取ってほしい。それが理想でした。作品の世界に皆さんと入っていけるような、そういう環境づくりをしたかったんです」。 見えない状態をつくることで極力耳に集中できる環境をつくる――逆説的だが、視覚のもたらす影響をよく理解するミュージシャンらしい発想ともいえる。実際彼女はヴィジュアル・アートにも強い関心を抱いており、映像作家とともに自分の演奏を映像化するプロジェクトに取り組んだり、また最近では時間を見つけては絵筆を握っているという。描くのは油絵。 「練習が第一ですけど、寝付けないときとかまだエネルギーがあるなってとき、描きたいっていう欲求がたまってきたところでバッと描いちゃうんです」。 現在住んでいるパリでも旅先でも、美術館を訪れることが多いという。 「時代もジャンルも限定せずに鑑賞しますけど、個性のある作品に惹かれますね。オルセー美術館にあるマネの《アスパラガス》とか、単純な中に深さがあって……現代のものもいろいろ見ますよ。この間は国立美術大学(ボーザール)のギャラリーで『時代を超えたもの』をテーマにした学生の展覧会に行きました。大きい部屋に昔のギリシャ彫刻のコピーや、そのパロディや、いわゆる現代アートまで、あらゆるところにあらゆる形で配置されていて、入った途端に圧倒されました」。 そもそも8年近く暮らしたドイツを離れてパリに居を構えるようになったのも、この都市が持つ豊かな芸術的土壌に魅力を感じたからだという。 「フランスは言葉にしても文化にしても、ドイツとは隣同士でありながらガラッと変わる。歴史や考えかた、感じかたも含めて勉強したいなと思いました。それに音楽だけじゃなくマルチアートな街なので、そこから芸術的なインスピレーションを得られればと思いました」。 これまでイタリア、日本、ドイツ、フランスと住まいを変えてきたが、今現在はやはりパリがホームという意識なのだろうか? 「そうですね。どこにいてもある程度アットホームな感じで迎えてくれるところはあるんです。イタリアに行けばイタリアの友人に迎えてもらえるし、ドイツに行けば、『ああ帰ってきたぁ』という気持ちになります。もちろん日本は生まれた国だから『家(いえ)』ですし。パリにはいろんな国の人たちが、それぞれの表現したいことを抱えて集まっているので、居心地がいいですね。いろいろな人からインスピレーションを受けたり、交換できる街です」。 そんなマルチアートの街には、長年パートナーシップを組んできたイタマール・ゴランも住んでいる。庄司が「17歳のときから音楽的なアドバイスだけでなくて、困ったときには親身に相談にのってくれたりして、とても感謝しています」と語るゴランは最近パパになったばかりで、幸せの絶頂にあるとのこと。両者が初めて王子ホールの舞台でリサイタルを行ったのは2002年の12月。このときはアンコールを2曲弾き、3曲弾き、「もうしんどい」と漏らす庄司に対し、「あと1曲やろう、がんばれ」とゴランがけしかけていた。体力的に厳しいなかでも来場してくれたオーディエンスへのサービスを大切にしようという姿勢の表れだろう。このようにかつてはゴランがリーダーシップをとり、楽曲への取り組みを考える上でもいろいろとサジェスチョンをしていた。 庄司も今や20代半ばに入り、以前よりも積極的に自分の意見を言うようになったという。大人の演奏家同士のこと、演奏についての意見をぶつけ合うこともあれば、求めるところが一致することだってある。1月のリサイタルに関していえば、ブロッホのソナタがそうだ。 「ブロッホは前からイタマールと『やりたいね』って話していたんです。作品を勉強していて、彼の作品の神秘性というか……常に疑問を問いかけてくるような、解いてはならない謎(旧約聖書の神のように)が見え隠れするような、そんなところに惹かれたんです」。 その神秘性を庄司紗矢香はどう我々の前に提示してくれるのだろう。ブロッホの謎を解きほぐし明快な切り口を見せるのか、解いてはならない謎は謎のまま、不可知の世界を描くのか。 「演奏家はある意味代弁者だと思うので、ブロッホが『こうなんだ』ということを書いていたとすれば、私は彼になり切って『こうなんだ』ということを出す。それだけのことです。どの作曲者であっても同じことで、その理解の仕方やニュアンスの付け方に演奏家の個性が出てくるのでしょう。演奏家はあくまでも作品なり作曲家、どちらか分かりませんが、そのどちらかになり切るしかない」。 巫女がカミとヒトとの間にあって神意を告げる存在であるように、庄司紗矢香もまた媒介者(ミディアム)として作品/作曲家とオーディエンスの間に立つ。作品なり作曲家になり切れたかどうか、その感触はいかにして確かめるのだろう。 「最終的に自分がどこまで入って行けたかは、自分で分かります。自分が本当に入って行けたときは、客席にも伝わっていると思いますし……ただそれをどう感じるかは人それぞれですけど。出すべきものを出せたかどうか、そこが一番大変なところで、毎回毎回まだだなと思うから続けているんです」。 では自分が最も理想とする、入り切り、出し切った状態に達することは―― 「ないと思います(笑)」。 黒目を動かすまでもなく即答した。 (文・構成:柴田泰正 写真:keiko kurita 協力:梶本音楽事務所) |
【公演情報】 |
>>ページトップに戻る |