対談 ジャン=ギアン・ケラス×森山開次
王子ホールマガジン Vol.18 より いまや人気実力ともに世界でも有数の存在となったチェリスト、ジャン=ギアン・ケラス。そしてステージだけでなくテレビや映画でも活躍し、世界的に知名度を高めている森山開次。いずれも過去に王子ホールの舞台を彩ってくれた俊英ですが、去る10月、王子ホールの独自企画により、両者の刺激的なコラボレーションが実現しました。 |
ジャン=ギアン・ケラス(チェロ) 森山開次(ダンス) |
ステージで出会って ――お二人は今回がはじめての共演になったわけですが、事前にお互いのCDやビデオを鑑賞して、ケラスさんは森山さんを「野生的でありながら詩的で雄弁」と捉え、森山さんはケラスさんを「とてもいい『間』を持っている人」と感じたとのことでした。そんななか実際にお会いになって、どんな印象を持たれましたか? ジャン=ギアン・ケラス(以下ケラス) 僕は開次さんの直感力というか、そういう部分に感銘を受けました。お互い相手についてほとんど知らないままステージで出会ったわけですよね。それなのに僕の演奏する音楽に対する感覚がとても冴えていた。もし開次さんが「無伴奏組曲」の内容をそのまま身体で追っていくだけだったら、とてもつまらない作品になっていたでしょう。でもそうではなくて、音楽から得たものを自分の身体を通して表現していた――そんなふうに感じました。 森山開次(以下森山) 僕はほとんど音楽を聴かない家庭で育ったので、音楽に関してほとんど知識がありません。いろいろな音楽を聴くようになったのはダンスをはじめてからで、だからバッハにしても『いま出会った』という感覚を持っています。音楽家の方にとってはバッハって古典ですけど、僕にとっては『今』出会う新しいものなんです。だから今回のプロジェクトに関しても、『バッハとはじめて出会った』という意識で進めていきました。 振付ができるまで ケラス それは素晴らしいことですね。バッハの組曲は数え切れないぐらい西洋のダンサーにとりあげられてきましたが、西洋の人間はどうしても西洋の伝統を背負ったまま作品づくりをするので、個々の舞曲の性質に比較的忠実な振付になってしまうんです。それはそれで立派な作品になるでしょうが、あまり飛躍はできませんよね。今回のプロジェクトはそれらの試みとはまるで違うものでした。開次さんはどうやって振付を構成していったんですか? 森山 振付をつくりあげるときの要素はたくさんあります。今回の場合、バッハの音楽はもちろんですけど、ビデオで見たケラスさんの姿もそう。僕はいろいろな要素を拾い集めるところからはじめて、それらをつなぎ合わせて何かを生み出すという作業が好きなんです。何もないところから、いろいろな要素を集めてつなぎ合わせる。 ケラス 演奏中、開次さんが明らかに音楽にノッているなと感じるときがありましたけど、その反対に、とくにゆったりとした楽章で、ときおり焦燥に駆られたように激しくエネルギーをほとばしらせていたりしましたね。つまり音楽の静謐さとは真逆の表現になっていたわけですけど、そういう表現に行き着いた課程にすごく興味があります。直感的にそうなったのか、それとも狙いがあったのか。 森山 どうなんでしょうね・・・・・・難しいところです。 ケラス やっていてすごく楽しかったですよ。 森山 さっき言ったことと矛盾するかもしれませんけど、バッハという名前には脅威を感じていたし、古典としての認識はありました。だからはじめは何か凄いものをつくらなければ、という気持ちがあったんですね。でも振付をつくっているうちに、体調が思わしくなくなったり、そういった要素が重なって緻密な振付ができなくなりました。 ――公演が近くなった段階で森山さんのコンディションがいまひとつすぐれず、結局2人で合わせてリハーサルをするのは公演前日のゲネプロのみになりましたね。 ケラス でもじゅうぶん身体は動いていたし、結果的によかったんじゃないですか? 森山 そうですね。今回は自分の身体の動きに制約があったということが、振付のひとつの要素になりました。身体を動かせなかったときに、布団に横になってバッハを聴いて、色々なことを感じることができた。そのときに、音楽にそのまま身を任せたほうがいい部分もあるなと思いましたし、だからつくりこんできた振付と、音楽に自然にノッていった部分とミックスされているんです。 音と身体の対話 ケラス 僕にとって楽しかったのは――もっとたくさん開次さんの姿が見られるとよかったんだけど(笑)――時々開次さんが見えたり、開次さんが自分のすぐ後ろにいるときに呼吸とかエネルギーを感じられたことです。ステージ上の自分がリアルタイムで経験していることを演奏に反映させて、音楽の中に開次さんを取り込んでいけれればいいな、と思いながら弾いていました。 森山 僕も似たようなことを感じていました。僕は僕で、ケラスさんの後ろで踊る時間が多かったので、ケラスさんの表情などはあまり見えませんでした。でも音によって自分の身体が動く瞬間というのがあって、僕に向かって弾いてくれているのが分かったし、僕のほうからもケラスさんから受け取ったものを返しているつもりで踊っていました。そういう意味では、見える見えないは関係なく、音の力が存在していましたね。 ケラス 言い尽くされてきたことだけど、バッハの音楽にはやはり普遍的な力があって、いろいろなレベルでの鑑賞が可能なんですよ。バッハは、「フランス舞曲をベースに作品を書こう」とか、ひとつの主題を展開して壮大な作品にしあげようとか、そんな具合に自分に課題や制約を与えて曲を書くことが多かった。でも最終的にそういった制約を超越して、とても刺激的で、深みのある音楽を生み出している。そこが凄いところなんです。今回の開次さんとのコラボレーションでは、バッハ作品が持っている懐の深さというか、作曲の動機を超えて存在する次元を表現できたと思います。それに、「拍子はこれでいいんだろうか?」とか、作品の歴史的・構造的な側面ではなくて、それを超えて存在する世界に開次さんがフレッシュな気持ちで向き合ってくれたおかげで、深く、先進的な表現ができたように思います。 ――振付をする間はケラスさんの演奏をCDで聴いてきたわけですけど、実際にステージでナマで聴いたものはどう違いましたか? 森山 巻き戻しができなかった(笑)! 実際、あそこまで楽器が響くとは思っていませんでした。ダンスは視覚的なもので、音楽は聴覚的なものだという先入観がありましたが、すごく触覚的というか、直接触れられているような感じがしました。空気の振動がそのまま身体に伝わる。だから耳で聴く以上に身体で聴くことができて、それがすごく嬉しかったです。音楽は身体に近いということを実感できました。それだけでなくて、楽器から発せられるのが単なる空気の振動ではなくて、人の想いとか、感情とか、そういったものも乗せているのだなと実感しました。 ケラス 音楽にはオーディオ機器では再生しきれない部分がありますよね。コンサートという環境でしか得られない『何か』が。それは他の何をもってしても替えがたいものです。 公演を終えて ――その他にこのプロジェクトを通して感じたことはありますか? ケラス ひとつ言いたかったことがあります。演奏中に、僕がすごく静かにしていたり、沈黙する瞬間がありました。そういうときでも、「開次さん、ちょっと音を立てすぎてるな」と感じることが一度としてなかった。静寂の――それこそ『間』の中に開次さんが生きているような印象すら受けました。あれだけ高エネルギーの振付を踊っているのに、それに伴って生まれる音は、決して耳障りではなかったんですよ。 森山 僕はあまり音を立てないで踊るのが得意なんです(笑)。ドタドタしないようにつま先を使って・・・・・・というふうに。日本の住環境では、あまり音を立てないように生活することを強いられますけど、そのおかげで培われたものかもしれません。静かな音楽のなかで静かに踊りつつ、たまに床を滑る音だったり、呼吸の音だったり・・・・・・特に気持ちの高ぶるところは息を大きく使ったりして、自分自身の音が音楽とどう混ざり合うかをひそかに楽しんでいました。 ケラス うん、それはとても上手くいったと思います。 ――「偉大なるバッハの無伴奏にダンスなんかくっつけるな」と意見もあるでしょうが、踊りと音楽がお互いに作用する瞬間を感じることができましたし、新しいことの一歩なんだなと実感した方も多いのではないでしょうか。 ケラス たとえバッハの偉大な作品であろうともガラスの陳列棚に収めたくない、というのが僕の個人的な想いです。「完璧な状態でここに収まっているんだから、もう動かすのはよそう」という姿勢はいやなんです。《6つのエコー》を委嘱したとき、そのアイディアをとても面白いと言ってくれた作曲家もいれば、逆に「なんでバッハに新作を付け加える必要があるんだい?」と言った人もいる。もちろんバッハの作品は新作を付け足されることなど必要としていませんし、僕だってバッハの組曲をいつも新作と一緒に演奏すべきだなんて考えていません。でもそれが今回こうした新たな経験につながったわけですよね。開次さんも僕もそこから学ぶことができたし、全員とはいかないまでも、お客さんも何かを感じ取ってくれたはずです。そういった意味では今回の試みは生き続けるといえるでしょう。現代に生きる僕たちは、過去の天才たちの残してくれた傑作を体験することができる。でもその体験が必ずしも人生における至高の体験となるとは限りません。新しい試みをするときに、それが100年後も残る作品にならなくてもいいじゃないですか。大切なのはリスクを犯して挑戦してみることです。 ――お話ありがとうございました。お二人ともお疲れさまでした。 (文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:日本交響楽協会、オフィス ルゥ) |
【公演情報】 6つの組曲と6つのエコー 2007年10月2日(火)、3日(水) 15:00開演(14:00開場)/19:00開演(18:00開場) |
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