中木健二 一問一答
王子ホールマガジン Vol.38 より 『新星』とご紹介してもよいでしょう。現在フランス・ボルドーのオーケストラで首席チェロ奏者を務める中木健二は、紀尾井シンフォニエッタのメンバーとして、また地元名古屋での室内楽企画などを通して徐々に日本での活動を増やしつつある実力者。2013年3月のMAROワールドに続き、5月には名手エリック・ル・サージュとのリサイタルで王子ホールに登場します。 |
中木健二(チェロ) 愛知県岡崎市生まれ。3歳よりチェロを始める。東京藝術大学を経て2003年渡仏。パリ国立高等音楽院卒業後、09年、スイス・ベルン高等音楽院ソリスト・ディプロマコースを卒業。05年ルトスワフスキ国際チェロ・コンクール、第16回FLAME音楽コンクール(フランス)優勝など受賞多数。現在ヨーロッパを拠点とし、10年度よりフランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団首席奏者を務め、幅広い演奏活動を行っている。紀尾井シンフォニエッタ東京メンバー。使用楽器はNPO法人イエロー・エンジェルより貸与されている1700年製ヨーゼフ・グァルネリ。 |
Q 中木さんは藝大を経てフランスに留学なさいましたが、ドイツやオーストリアではなくフランスを選んだ理由は? 中木健二(以下「中木」) 大きく2つの理由があります。16歳のときに、フィリップ・ミュレール先生というパリ国立音楽院の教授のマスタークラスを受講したんですが、厳しいながらも刺激的なレッスンをされる先生で、いつかそのミュレール先生に学びたかった、というのがひとつ。それに私はフルニエ、トルトゥリエをはじめ20世紀の中盤から後半にかけてのフランスのチェリストがとても好きで、その秘密を少しでも知りたい、その空気に少しでも触れたいという願いがあったんです。 Q 留学先での勉強はいかがでしたか? 中木 1年目はとにかくレパートリーを増やすことに集中しました。後になって自分の勘違いと分かったんですけれども、先生に言われない限り同じ曲を2度持って行ってはいけないと思い込んでいて、基本的に1週間に1曲、コンチェルトだと2週間で1曲全楽章を仕上げていました。というのも、自分の前のコマにレッスンを受けていたチェリストが、やはり同じように毎回違う曲を弾いていたんです。しかもすごく弾ける人で、こんなにうまい人がいとも簡単そうに新しい曲を持ってくるのだから、自分もやらねばという気持ちでした。なので長いときは1日12時間以上も練習して、短期間で曲の『音楽』を読み、テクニック面をクリアする力を徹底的に鍛えました。 Q 2年目、3年目と進むにつれてどのような変化が? 中木 2年目になると現代曲を得意とする若いチェリストの友人ができて、彼の影響で現代曲に積極的に取り組むようになりました。その流れで現代曲を中心としたコンクールにも挑戦することになり、出場したルトスワフスキ国際チェロ・コンクールで優勝しました。それまで1年半にわたってひたすら取り組んできたことがひとつ実を結んだので、大きな自信になりました。3年目以降はこのコンクールの関係や学校の関係で演奏会の数が増えていきました。 Q 順調にステップアップしていったようですね。 中木 でも留学して3年、4年と経つにつれて、学校のシステムや自分のスタンスについて疑問を持ち始めました。楽譜に書かれていることを正しい音程で正しいテンポで弾ければいいのかというと、そうではない。もっと深い音楽的な部分に触れたいと意識ようになったんです。にもかかわらず正確に弾くことばかり考えてしまう自分がいて、それがストレスになった時期もあります。 Q そこを突き破るきっかけはあったのですか? 中木 そんなときにアントニオ・メネセス先生に出会ったんです。彼はテクニック的に正しいだけの演奏を絶対に許さないチェリストでした。彼のマスタークラスを受講して、初めて彼の前で弾いたとき、私が正確に音符を弾くことに満足している様子を見た先生から、「君は自分の演奏に満足しているかもしれないけれど、音楽から求められていることにまったく応えられていない」と実に厳しい言葉をもらいました。楽譜に書かれた内容を正しく弾いて、あとは自分のやりたいようにやればいいと思っていた当時の自分にとって、それは大きな衝撃でした。そんな先生に食らいついていこうと決意して、ちょうどそのころ先生が教え始めていたスイス・ベルンの音楽院のコースも履修するようになったんです。月に2回か3回は、パリから片道4時間かけてスイスに日帰りをしていました。朝出て行って、3時間のレッスンを受けてその日のうちに帰ってくるというスケジュールです。 Q 5月に共演するル・サージュに室内楽を教わっていたそうですね? 中木 パリでは1年間、ル・サージュ先生のデュオのクラスを受講しました。今回共演させていただく曲のほとんどは、実際に彼からレッスンを受けた曲なんです。受講した年がシューマンの生誕200周年だったこともあり、彼がシューマンのスペシャリストだということもあって、シューマンの作品は全部弾きました。ピアノは単に伴奏にまわるのではなくて、一緒に弾いている人間が譜面のなかのどの音をいま一番欲しがっているか、それを情報として提供する必要があると常々おっしゃっていましたね。思っていることを、お互いが言葉ではなく音で伝え合う感覚というのは、ひとりでチェロを弾いているだけでは絶対に養えないものです。 Q 今はボルドーのオーケストラに所属されていますが、どういったいきさつでポストを得たのですか? 中木 室内楽をやっていたのと同じ考え方で、より多くのレパートリーに触れたいという意欲がありました。同時にカルテット等の活動も並行して続けたいし、それに奨学金が尽きかけていた(笑)。ですからビザを保証してくれる楽団での、首席のポジションを探していました。 Q この先どのぐらい続けていくか、イメージはされていますか? 中木 入団して3年目になりますが、まだまだやりたい曲は残っていますし、当分は続けるつもりです。ソロをしたいのかオケをやりたいのか先生になりたいのかってよく訊かれるんですけれども、そうやって縦割りで考えるのではなく、すべての活動を横の線でつなぎたい。私はたとえばコンチェルトで出てくる一番難しいパッセージや一番美しいパッセージと、ハイドンの作品に出てくるチェロの刻みとで、音楽的な重要性はまったく変わらないと思っています。そういう意識を持ってハイドンやモーツァルトのシンフォニーやオペラを弾くのはすごく難しいし、同時にすごくやり甲斐があります。 Q 2012年には名古屋の宗次ホールでご自身がプロデュースする室内楽のコンサートがありましたが、今後もそういった活動をしてきたいという希望は? 中木 ありますね。詩からインスパイアされたものを音で表現する、音を使って語りかける――これはおそらく自分が死ぬまで追求するテーマです。それを室内楽でやることで、一人で演奏するときより何倍も何十倍も可能性が広がっていきます。ですので機会があれば今後もどんどん続けていきたいなと思っています。 Q 今後新たに取り組みたい課題は何かありますか? 中木 2012年から開始してこれからも続けていこうと思っているのが、マスタークラスです。チェロという楽器はこの何十年かで飛躍的に発展してきた楽器なので、ヨーロッパと日本とで比べるとまだ少し温度差があります。ヨーロッパに今現在どんなアーティストがいてどんな解釈がされているかを若い人たちに伝えていくのは楽しいですし、それを彼らがどう受け止めるかをみることで、私自身も多くを学ぶことができると確信しています。演奏面でもフランスものでまだ紹介しきれていないものがあるし、弾きたい曲は五万とあるし……当分飽きることはなさそうですね。 (文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:アスペン) |
【公演情報】 MAROワールド Vol.20 transit Vol.3 |
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