インタビュー ガブリエル・リプキン
王子ホールマガジン Vol.19 より |
(c)Marco Borggreve ガブリエル・リプキン(チェロ) 1977年イスラエル生まれ。3つの大陸の3つの音楽学校を卒業し、12以上のコンクールで最高位を受賞。2002年にベルリンで行われた第1回エマニュエル・フォイアマン国際チェロ・コンクールでは、モーツァルトの協奏曲およびライマンの「ソロⅡ」の演奏解釈に対して、それぞれ特別賞を獲得した。15歳でズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルと共演。その後も、ミュンヘン・フィル、ボルティモア響などのメジャー・オーケストラ、フィリップ・アントルモン、ジュゼッペ・シノーポリらの指揮者、ユーディ・メニューイン、ピンカス・ズーカーマン、ユーリー・バシュメット、ギドン・クレーメルらの錚々たる演奏家と共演する。00年から演奏活動を休止し、レパートリーの拡大などを主たる目的としたサバティカル休暇に入る。その成果は、自身のプロデュースによる2枚のCD、民俗的な背景を持った小品を集めた「ミニアチュールとフォークロール(細密画と民俗音楽)」、バッハの無伴奏チェロ組曲を取り上げた「シングル・ヴォイス・ポリフォニーⅠ(単一声部=多声音楽)」とに結実。いずれも高い評価を得、バッハのCDはミュンヘンで「ローズ賞」を受賞した。これまでにウズィ・ウィーセル、アントニオ・メネセス、バーナード・グリーンハウスらに師事。07年に初来日し、その実力と才能を圧倒的に示した。使用楽器は、A.M. Garani(1702年ボローニャ)。 |
五線のない楽譜 ブロードバンドの普及により、かつてはSF映画の小道具でしかなかったテレビ電話も一般的なツールとなりつつある。5月に王子ホールでリサイタルを行うチェリスト、ガブリエル・リプキンもその利用者のひとりだ。精力的にスケジュールをこなすなか、拠点としているフランクフルトの自宅でテレビ電話によるインタビューに応じてくれた。 話がJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」に及ぶと、リプキンは「ちょっと待ってください」と言って席を外し、数枚の紙を手に戻ってきた。「見えるかな?」とカメラの前にかざしたのは「組曲 第5番」の楽譜。それはリプキン自らが分析・解釈を加えた自筆の楽譜であった。音符は黒のインクで記され、その周囲に青や赤でいろいろと書き込まれている。何よりユニークなのはこの楽譜、五線がないのだ。訊けば自分の楽譜はいつもこのように手書きで作っているという。 「私はもともと視覚面にとても敏感なほうで、コンサートの準備をするときもCDを制作するときも、まず視覚的なところから始めます。演奏するときもよく目を閉じて、さまざまなカタチや概念を脳裏に描くんです。そのイメージが身体の動きに影響を与え、音楽にも作用していきます」。 芸術作品としてのCD
繊細なビジュアル感覚の持ち主だからであろう、自身のレーベルからリリースした2点のアルバム、『ミニチュアール&フォークロア』と『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲』は、いずれも非常に凝ったつくりをしている。紙質やパッケージの開き方など、デザイナーやエンジニアと一緒にこだわりぬいたようで、たとえば『ミニアチュール』アルバムのブックレットの一部は、チェロと同じニスを使って印刷されているという。こうしたアナログな良さは、実際に品物を手にとってみないと分からないだろう。それは楽曲をダウンロードして聴くスタイルが一般的となりつつある時代へのアンチテーゼにも思えるが。 「いいえ、私はアンチ・デジタルではないし、楽曲をダウンロードして聴くこともあれば、自分でも演奏をネット配信しています。ただ私は視覚や聴覚だけでなく、触覚でも感じ取れるような、総合的な芸術作品をつくりたかったんです。これらのアルバムをつくったからといって、バッハの組曲をダウンロードして楽しむことを否定するつもりはありません」。 さらに彼はアルバム録音とライブ演奏の関係についても語る。 「ライブ演奏こそが至高のパフォーマンスであり、録音は標本のようなものだと言う人がいますが、どちらも同じぐらい大事だと思います。現代のアーティストはスタジオの中で没我の境地に達し、マイクを通してコミュニケートできないといけません。でないとその人のライブは物足りないものになるでしょう。反対にスタジオでしか演奏しない人は、スタジオでも何かを欠いた演奏をしてしまう。というのも、ライブのお客さんを前にしての緊張やリスクや汗、そして避けようのない『不完全さ』を経験していないわけですから。オートバイの両輪と同じですよね。どちらの車輪も一定以上のスピードで回転させる必要がある。それが出来てはじめて柔軟な走行が、そして時にはスタントが可能になるんです」。 前代未聞のプロジェクト リプキンは最近、《ソリテュード・サイクル》という、かつてないスタントを完遂させた。ドイツ・シュトゥットガルト近郊の山中にあるソリテュード城で展開された長期的プロジェクトで、1,400名以上の応募者の中から選ばれた8人の作曲家と共同生活を送り、コンサート・プログラムを合作するというものである。それは単に新作を演奏するだけではない、音楽的であると同時に社会学的な実験でもあったと語る。 「インターネットなどによってグローバル化が進む一方で、私たちが経験する孤独や『自己との対話』はより濃密になっています。私はそれを音楽的な形式として、コンサートの構造として使おうと思いました。《ソリテュード・サイクル》はチェロの独奏作品ですが、曲によっては電子機器を使用し、ありとあらゆる電子的な効果が用いられています。トラディショナルな音楽の奏者として訓練を受け、300年以上昔に作られたチェロを弾いている自分がこのような作品に取り組むことで、伝統的な音楽と新しい音楽の融合は可能だと示す。それがひとつの目標でした」。 リプキンがどのように作曲家たちと関わり、日々を過ごしていたか。各自の作曲過程がどれだけ孤独で、またどれだけ他者とのつながりの中で行われていたか。そして実演のステージがどのように構成されていたか。目下すべてを収めた映像作品を編集しているところだが、しばらく続く多忙なスケジュールを考えると、リリースされるのは早くても1年以上先になるようだ。将来的にはここ日本で《ソリテュード・サイクル》の実演に接する機会があるかもしれない。 王子ホール・リサイタル この5月に行われる王子ホールでのリサイタルに目を向けよう。プログラムの冒頭には、バッハの「無伴奏チェロ組曲」全6曲のエッセンスと目される、第5番の《プレリュード》、続いてベートーヴェンのソナタが演奏され、後半にはブラームスとシューマンが配されている。その間にあって特筆すべきなのが、リプキンが『絶対音楽の巨人』と呼ぶ、ベンジャミン・ブリテンの「チェロ・ソナタ」だ。 「ブリテンの作品は音符のひとつひとつが必要不可欠で、一切改変の余地がない。まさしく天才の作品です。このソナタは、チェロとピアノのオーケストレーションとしては最上級のものです。ただし、チェロもピアノも技術的にたいへん難しい。ある部分でパガニーニ的な超絶技巧が求められ、またベートーヴェン的な集中力が求められ、そのうえ腕のいいピアニストも必要という、厄介なレパートリーです」。 人生の半分以上をともにしてきた大親友であり、互いを知り尽くしているというロマン・ザスラフスキーとのコンビで弾くのだから、大いに期待したいところだ。 チェロ演奏の極意とffff(フォルティッシッシッシモ) 自分はなんでも突き詰めていくタイプだとリプキンは言う。時間がかかったとしても『究極』を求めていく過程が好きなのだと。たとえば3年に及んだサバティカル休暇にしても、この期間内で、チェロに関して技術的に考えられるあらゆることを実行した。「精神論は抜きにして、とにかくチェロをとことん弾きたおしたんです」と言って彼は笑う。そうして体得したチェロ演奏の極意とはなんだろうか。 「チェロという楽器には巨大なエネルギーとテンションが内包されています。チェリストとしての自分の仕事は、『音』というかたちでこのテンションをチェロから放出することだと考えています。身体をどうコントロールすれば的確にこのエネルギーを解き放てるか、そこに神経を集中させているんです」。 ただし、むやみにエネルギーを解放すると始末におえない。リプキンは最後にこんな経験を語ってくれた。 「現代作曲家のケヴィン・ヴォランのチェロ協奏曲を弾いたときのことです。この作品のある箇所にはフォルテが3つあり、そこからクレシェンド、モルトクレシェンドときて、最終的に4つのフォルテと一緒に『可能な限り大きな音で』と記されています。そこでAの開放弦を弾くようになっているんです。その日は実にうまく演奏できていたのですが、この場所にきたらバチンとA弦がはじけてしまった。でもどうしてもこのクライマックスでチェロを鳴らしきりたかったので、オーケストラの首席チェリストからチェロを借りてもう一度最初から弾き始めました。すると同じ場所で再び弦が切れてしまった。諦め切れなかったので次席チェリストから楽器を借り、10小節前からやり直しました。ところがまた同じところで弦が切れてしまった。3回も切ってしまうと、もう諦めるしかないですよね。最終的には『可能な限り大きな音』よりほんの少し柔らかく弾いて乗り切りました」。 (文・構成:柴田泰正 演奏写真:横田敦史 協力:コンサートイマジン) |
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