インタビュー デヤン・ラツィック
王子ホールマガジン Vol.22 より デヤン・ラツィックというクロアチア出身のピアニストをご存じだろうか? |
デヤン・ラツィック(ピアノ) 1977年、クロアチアのザグレブに生まれる。7歳でピアノを、9歳でクラリネットを始 め、その1年後には初めての作品を作曲。旧ユーゴスラビア時代に様々なコンクールでピアノとクラリネットのそれぞれで優勝し、クロアチアの神童と称えられる。91年、13歳のときにモーツァルトのクラリネット協奏曲およびピアノ協奏曲 K.449を演奏、初めてのレコーディングを行う。作曲にも並外れた才能を発揮し、ベルレブルク城でのロストロポーヴィチ生誕70周年記念ガラ公演の為に 初めての弦楽四重奏曲を作曲。チェリストのピーター・ウィスペルウェイは彼のソロ・チェロのための《シャコンヌ》を初演している。 |
――王子ホールでも演奏するバルトークとスカルラッティを組み合わせたプログラム、『リエゾンス』というタイトルのアルバムにもなっていますが、このアイディアを得たのはいつごろだったのですか? デヤン・ラツィック(以下ラツィック) ずいぶん昔ですね。1990年にハンガリーのバルトーク・フェスティバルにはじめて参加して、すっかりバルトークの音楽に魅了されてしまいました。そしてバルトークの音楽に接しているうちに、いかに民謡が大きな影響を与えているかを知りました。スカルラッティの作品を弾くようになったのはその5年ほど後、10代の後半に入ってからでした。スカルラッティは555曲のソナタをすべてスペインで作曲していて、その作品にはスペイン民謡、ジプシー民謡の影響が少なくありません。フラメンコなんかもそうですね。それらの要素を鍵盤音楽に採り入れていった。そんな背景を学んで、ふと思ったんです。「スカルラッティとバルトークが同じ時代に生きていたら、きっといい友達になっただろうな」って。両者のあいだには時間という大きな壁があります。でも自分のような後世のアーティストは、時間の壁を取り払ってこの2人の友情を取り持つことができる。2人の音楽をひとつのプログラムに融合できる。そんな想いから実験的にコンサートで演奏するようになり、やがてアルバムにもなったのです。 ――『リエゾンス』はシリーズ化するそうですね。 ラツィック そうなんです。第2弾はシューマンとブラームス、第3弾は C.P.E.バッハとベンジャミン・ブリテンのカップリングです。前者はあまり説明の必要がないでしょうが、C.P.E.バッハとブリテンはどちらも組曲的作品を残していますし、冒険的で実験的な作品を書いています。それに2人ともイギリスに住み、イギリス民謡に親しんでいました。イギリスの音楽は不当に低く評価されがちですけれども、たとえば16世紀のイギリス・ルネサンス期にはたくさんの素晴らしい作曲家がいました。忘れられてしまったそれらの作品を掘り起こしたのがブリテンだったのです。 ――ラツィックさんは民謡や民俗音楽にかなり興味をお持ちのようですね。 ラツィック バルトーク、そして彼の友人でもあったコダーイは、「上質な音楽はすべて民衆から生まれる」という趣旨の発言をしています。たとえばシューベルトやハイドン、ベートーヴェン、それからロシアのショスタコーヴィチやプロコフィエフといった作曲家も、それぞれ民謡に題材をとった作品を書いています。 ――ご自身も作曲をされますが、故郷クロアチアの民謡をベースにした作品も書いているのですか? ラツィック クロアチア北東部にイストリアという半島があります。地理的にはヨーロッパの真ん中あたり、ヴェネツィアからもウィーンからも2時間しか離れていない場所です。人口はせいぜい30万人ぐらいでしょうか。この地域には何百年も前から特殊な言語が伝わっています。イストリア民謡では常に男声と女声の二声で旋律が奏でられます。またこの地域の音楽は長調や短調といった調性に縛られておらず、リズムも一定ではない。とてもヨーロッパの音楽とは思えないほどエキゾチックです。もちろんイストリア音楽だけに影響を受けているわけではありませんが、今お話ししたような特徴を自分の作品にも採り入れています。 ――ピアノと作曲、それぞれどのぐらいの時間をかけているのですか? ラツィック 音楽は生活の一部であって、「今からピアノモード」、「今から作曲モード」ときっちり分けてはいません。ピアノの練習中に曲のアイディアが浮かべばそれを書きとめますし。ただ当然、ピアニストとしてとにかく毎日こなさなければならないメニューがあります。練習を次の日に延期するなんてことは不可能です。作曲に関して言えば、○月×日までに仕上げる、というのは性にあわないんですよ。まず作品を仕上げてから誰に献呈するかを決める、というのが理想ですね。とはいえ委嘱を拒否するのもはばかられるし、難しいところです……。 ――最近完成させた曲にはどういったものがありますか? ラツィック シューマンへのオマージュとして『子供の情景』という同名のピアノ曲集を作りました。ずっとこの作品にかかりきりだったわけではありませんけど、1997年に書きはじめて2005年に完成しました。書き上げたあとでアムステルダムのコンセルトヘボウに献呈しようと決め、昨シーズンに初演することになりました。先ほどお話ししたイストリアの民謡も曲中に使っています。私の『子供の情景』は少年期のネガティブな面をテーマにしていて、シューマンのような理想主義とは正反対の、いわば月の裏側のような作品です。この作品ではある子供(子供たちでもいいのですが)が様々な経験をし、困難に直面します。「自分は幼すぎるのだろうか、それとも大きくなりすぎているのだろうか?」とか、そんな不安もそうです。恐怖や疑念、予測不能な未来、子供にはどうしても越えられない壁。子供というのは、自分では十分大人なつもりでも、何も知らなかったりしますよね。私たちは大人になったから少年期を振り返り分析することができるけれども、子供のころはそんなことを考える余裕がなかった。 ――では今、大人になって少年期を振り返り、この作品に込めた想いとは? ラツィック 『気分転換』の大切さですね。子供ってたいてい活発ですよね。精神も魂も活発です。それというのは、なにかに注意を向けていないと破裂してしまうからだと思うんです。だからピアノを弾くでもいいし、サッカーをするでもいいし、子供たちには一人で考え込まないでほしいですね。 ――現代の子供は引きこもりがちだったりしますよね。 ラツィック そう、動かないんですよね。コンピュータやDVDや音楽プレーヤーがもたらしてくれるものは大きいです。それは素晴らしい。でも音楽を聴くにしても、かつてはレコード屋さんへ行って買わなければならなかった。買うためには外へ出て、歩いて店まで行って、欲しいアルバムを探す必要があった。それが今では検索してクリック一発です。それはあまり健全ではないと思います。 ――ご自身は子供のときから神童と呼ばれてきたわけですが、燃え尽きそうになったりはしなかったのですか? ラツィック 小さいころから表舞台に立ってきた人間は、たいてい10代に入ると大きな危機を迎えます。でも私は幸い音楽を投げ出したり自殺を図ったりしなかった。これは両親のおかげでもあります。両親ともに音楽家でしたが、むりやり楽器をやらせようとはしませんでした。いつも自分から練習をしたい、演奏をしたいと思うように仕向けてくれました。 ――今でもサッカーをすることはあるんですか? ラツィック ええ。今はミュンヘン在住なので、ミュンヘン・フィルのチームに入っています。ドイツでは、ベルリン・フィルやハンブルク、シュトゥットガルトなどなど、オーケストラがそれぞれチームを持っていて、リーグ戦をしているんですよ。毎週試合があるわけではないですけど、時折スケジュールを合わせて試合をするんです。ホームゲームもあればアウェイもあって、楽しいですよ。自分が現在『おおむね正常』な状態にあるのも、サッカーのおかげですね(笑)。 (文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:ジャパン・アーツ) |
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