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インタビュー 波多野睦美

王子ホールマガジン Vol.47 より

40代に差し掛かった女性歌手の移ろいを見ていきたいという想いから始まった波多野睦美の『歌曲の変容シリーズ』。2005年の第1回公演でアンサンブルと共にバロック・オペラのアリアを披露し、その後はスペイン、イギリス、フランス、アルゼンチン、日本など、様々な国と時代の歌をバラエティに富んだ共演者と採りあげてきた。それから10年、この4月にはシャンソン界の伝説的シンガー=ソングライター、バルバラの一生を綴る企画公演「波多野睦美、バルバラを歌う」が控えており、そして10月には10回目となる『歌曲の変容』で声楽を志す者が必ず通る「イタリア歌曲集」をオリジナル版で披露する。05年のインタビューでは、若いころは演奏会でも張りつめた空気があったけれど、徐々に破綻やゆるみも許容できるようになったと語っていた。そこからさらに10年、波多野睦美はどのように変容してきたのだろうか――

波多野睦美(歌)

英国ロンドンのトリニティ音楽大学声楽専攻科修了。シェイクスピア時代のイギリスのリュートソングでデビュー後、バッハ「マタイ受難曲」、ヘンデル「メサイア」などの宗教作品、オラトリオのソリストを含め、さまざまなバロックオーケストラと共演し、国内外で多くのコンサート、音楽祭に出演。現代音楽の分野でも、間宮芳生作品の世界初演、サイトウキネン武満 徹メモリアル、水戸芸術館「高橋悠治の肖像」、サントリーホール「作曲家の個展2013権代敦彦」他に出演。また、モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」のオッターヴィア、パーセル「ダイドーとエネアス」のダイドー、モーツァルト「イドメネオ」のイダマンテ役など、オペラ出演でも深い表現力と存在感で注目される。放送ではNHK「ニューイヤーオペラコンサート」「ららら♪クラシック」「名曲アルバム」「BSクラシック倶楽部」「日本の叙情歌」「題名のない音楽会」等に出演。王子ホールでの「歌曲の変容シリーズ」、朝11時からの「朝のコンサートシリーズ」など独自の企画も続け、広く聴衆の支持を得る。古楽、イギリス・フランス・日本の近現代歌曲などのレパートリーで数多くのCD作品を発表。ジャズ、ポップスのアーティストからのジャンルを越えたオファーも多く、活動の幅は広い。現在、音楽言論誌『アルテス』にエッセイ「うたうからだ」を連載するほか、朗読、ナレーションの分野にも活動を拡げている。

波多野睦美ブログ http://www.hatanomutsumi.com

 

――前回「王子ホールマガジン」で波多野さんのインタビューを掲載したのは、『歌曲の変容』シリーズがスタートした2005年のことでした。この秋にシリーズ10回目が控えていますが、この10年の波多野さんの『変容』について語っていただきたいと思います。

波多野睦美(以下「波多野」) 歌っていられること自体が、すごく幸運だなと思います。『歌曲の変容シリーズ』を始めるにあたって、王子ホールの星野プロデューサーは「人間の身体を使う楽器としての、40代の歌手の変化を見たい」というふうにおっしゃった。当時の私はその言葉の意味があまりよく分かっていなかったけれど、実際にその道を通ってきて「なるほど」と思った部分がたくさんありました。自分という一個体の人間だけでなく、震災、テロと本当に様々な変化がありました。そのなかで毎年好きなことをやっていいという場を与えられたのだから、ありがたいことです。
 このところナレーションをする機会が増えて自分でも驚いていますけど、それこそ10年ぐらい前に星野プロデューサーから「朗読をやってみたら?」って言われていたんですよね。そのときは「冗談じゃありません、恥ずかしくてできません」なんて逃げ回っていたのに、最近では朗読だけするコンサートなんかも出てきたぐらいです。そうやってこちらを見ていてくれ、煮詰まってしまいそうな、ふとしたときにアイディアをくださる人がいる。そういう人と出会えるのも才能だと思っています(笑)。

 

――王子ホールを定点観測の場所として毎年コンサートをやってこられたわけですが、振り返ってみてご自身のパフォーマンスはどう変わってきましたか?

波多野 コンサートでは同じホールのなかで、聴いている人たちと共に呼吸をしていますよね。自分の場合、まだ身体が若いうちは自分が一生懸命呼吸することばかり考えていました。一人で練習していて「この曲はどうなるんだろう」と思うことがあっても、昔は自分がすべてをコントロールしようとして取り組んで、結局コントロールできないことだらけだったりした。でもステージに出ることで貰えるものがいかに多いか、昔よりも強く意識するようになってきました。聴きに来た人にやってもらおう、お客さんがいたらできるだろうという感覚――コンサートの時間の流れは、会場にいる人たちみんなで作ります。こっちが投げたものが返ってくるとか、客席から投げられたものを自分が返すとか、そういうクッキリしたものではないんです。どこからが海でどこからが川か分からないけれど、そのはざまで潮が満ちたり引いたりする感覚。それはホールの観客が大人だから成り立つことだとも思います。

 

――共演者について伺いますが、10年前には「好きな人と共演できるときにしておかないと勿体ない」ということをおっしゃっていました。

波多野 やれるうちにやっておかないと、という想いはさらに強くなりましたね。若かった頃は共演者が亡くなるなど想像できなかったんです。第1回の『歌曲の変容』で共演したチェンバロの芝崎久美子さんは一昨年亡くなられ、シリーズをスタートするとき一緒に演奏したいと思っていたフォルテピアノ奏者の小島芳子さんは、シリーズが始まる前に亡くなってしまいました。王子ホールで彼女とモーツァルトやハイドンの作品をやったら、フォルテピアノが夢のように鳴るだろうなって思っていました。でも亡くなられたいまはもう、その楽器と共演しようという気持ちにあんまりなれないんですね。それがあるから「今はムリだな」と思うプログラムもいくつかあります。

 

――波多野さんというと当初は古楽のイメージがありました。好きな時代の曲、好きな作曲家の作品を扱っていこうという考えもあったかと思いますが。

波多野 最初にシリーズの企画を出したときに、7回分のプログラム案を提出したんです。当初の案とリンクしている回もあったけれど、まったく違うものも相当出てきましたね。まず人ありきで考えたプログラムもあるんです。例えば作曲家でピアニストの高橋悠治さんとのプログラムがそうですし、ヴィオラの川本嘉子さんの音と出会って、この音と一緒にやるにはどうしたらいいだろうと考えて、プログラムを組んだりもしました。

 

――レパートリーについてお訊きします。『歌曲の変容』では中世やルネサンス期の曲から近現代の作品まで歌ってこられましたが、どのようにレパートリーを拡充されてきたのですか?

波多野 20歳ぐらいのときに宮崎で個人的に習った先生から膨大なレパートリーを学びました。若いうちは手当たり次第に学んでおけ、というのが先生の方針で、好きな曲を1曲だけ練習するのではなくて、ひとつ選んだら同じ作曲家の作品を3曲から5曲、7曲と学ぶことで、プログラムを組むときに15分、20分、30分……というふうに幅が出ると教えて下さいました。みんなそうやって学んでいるんだろうなと思ったら、同門の生徒でも、東京の音大生でも、そんな馬鹿正直にやっていたのはどうも私ぐらいだったみたいですが(笑)。イギリスの事情は日本に似ていて、自国のレパートリーばかりやっているクラシック歌手はまずいません。ともかく隈なく学ぶというのがイギリスの声楽家のやり方で、私もそれに倣っていろいろなスタイルに触れつつレパートリーを拡げていきました。間宮芳生先生をはじめ現代音楽の作曲家からのオファーをいただいて、死に物狂いで勉強して身につけていったレパートリーもたくさんあります。ベースになるのはそういったところで、あとはその都度、それこそ逃げられない状況で本番を迎えてレパートリーが増えていきました。

 

――4月にはまた逃げられない状況で「バルバラを歌う」ことになります。

波多野 オファーをいただいてから、「考えさせてください」と言って半年ほど悩んでしまいました(笑)。決め手はYouTubeの《ナントに雨が降る》などの映像でした。ものすごいアップの彼女がカメラ目線で歌っているクリップがあって、その目に魅入られて『に、逃げられない』と(笑)。それが決め手ですね。すごい曲ばかりだし、すごい女性、すごい人間だなと思いました。こんな機会をいただいたら逃げるわけにいかない。それで、演奏する曲をどれにしようかといろいろ聴いたところ、自分が好きな曲というのは2、3年の間に集中していました。いわゆるバルバラらしい、ヒット曲がたくさん出ていた時期ですね。でもそれだけだとマズいなと思って、2つの楽器で演奏した場合でもシンプルなアレンジで成立する曲、バルバラのヒストリーを追えるような内容……ということを考えて、何回も候補曲をシャッフルしました。選んだ曲を年代順に並べていったところ、演出の田尾下さんもこのままの順番で行こうとおっしゃいました。ベースやドラムが入らない、『骨』の部分のサウンドでいけたらなぁということを考えています。すごく遠くの話と思っていましたけれど、もうすぐですね。

 

――そしてこの秋には『歌曲の変容』がついに10回目を迎えます。チェンバロと弦のアンサンブルと共に演奏する「イタリア歌曲集」の原曲。

波多野 「イタリア歌曲集」というと、音大で声楽を副科でさせられた人などはたいてい悪い思い出を持っているかと思います。試験の課題曲だから一生懸命歌おうとはするけれど、どうもうまく歌えない、というような。私は田舎にいましたから、教則本と言えるものはイタリア歌曲集ぐらいしかなくて、それをひたすら練習していました。「イタリア歌曲集 I」に入っている作品は、1600~1700年代前半ぐらいに作られた歌をロマン派の作曲家が編曲したものが多いんです。だからロマン派作曲家のバージョンで身体の中に入っているのだけど、私はその原型が好きだなと思っていて、古楽器と出会って段々と理解できるようになりました。一時期は古楽奏者が通りがちな道として、20世紀・19世紀の作曲家がアレンジしたバロック作品に対して激しいアレルギー反応を示していましたけど(笑)。でもその時期を通り過ぎて、15年前ぐらいからは、昔すごく好きだった曲を改めて古楽器と共演したいという想いを抱くようになりました。でもリュートのつのだたかしさんにその話をすると「何か意味があるのかなあ?」と言われたりして、そうかこれは歌い手だけが持っているノスタルジーなのか、ならば意味がないな――と考えていました。けれどいま改めて振り返ると、ロマン派の人たちが編曲してくれたおかげで残っているんだよなと思えたり。
 レナート・ブルソンが20年前ぐらいのインタビューで、「イタリア歌曲集」が歌えたらなんでも歌えるんだということを言っていて、若かった私は当然真に受けてやる気を出していました。その時代とはまた違った見方ができるようになったとすれば、それは通奏低音奏者や楽器奏者とどれだけ一瞬一瞬の即興性を楽しむことができるか、というところでしょうか。古楽器との共演や現代音楽の経験を踏まえた今やることで、また楽しめるだろうなと。だから15年前につのださんに止めていただいてよかったと思います。あの頃録音してたらガッチガチの演奏になっていたはず(笑)。いまは謗られてもいいから自由に歌いたいと思っています!
 これから「イタリア歌曲集」のCDも録音しますが、そのディスクの曲をメインに、王子ホールでは、いくつかの曲をシアター風に演奏するステージにしたいと思っています。
 私がイギリスで勉強していたときに、すごく元気のあるお姉さんから「パーセルみたいに死に絶えたような音楽をやって何が楽しいの?」と言われたことがありました。その人は20世紀初頭の音楽を好んでいた。でもそれだって書かれてから80年ぐらい経っていたわけで、80年だと死んでいなくて300~400年だと死んでいるというのもおかしな話です。どちらも生きているものとしてやりたいですね。

 

――ホールで作成するチラシやプログラムで波多野さんのクレジットを記載するとき、昔は「メゾ・ソプラノ」と記していましたが、ここ5年ぐらいは企画主旨に応じて「歌」とか「声」とかいう記載にすることが多くなりました。ご自身では自分を定義づける際になにか特別意識することはありますか?

波多野 そのあたりはどうでもよくなってきました(笑)。声種の分類にしても、昔はどこかに決めないと落ち着かなくて……それは若い子が一生懸命ブランドのバッグを欲しがるのと似ているかもしれません。若いときはもっと必死に、「自分はこういう存在なんです」と言おうとしていたんでしょうね。デビューしたときも「リュートソング」という、声楽の範疇にも入れてもらえないようなものでしたから。今でも決めていないと言いながら、どんなレパートリーができるかを判断するうえでまだ自分の意識に枷があるように感じます。現代音楽をやっていると「決めていないと思いながらも決めていたなぁ」と気づかされることがある。『声を使う人』というだけの存在でありたいとは思っていますけれど。

 

――身体のコンディショニングに関して、10年前と比べて意識して変えているところはありますか?

波多野 意識しているのは、決め事を作らないということ。これが絶対に必要だとか、これをしないといけない、ということを作らないんです。以前から意識していたことですけれど、今はさらにそうなっています。昔は朝起きて喉の状態がひどかったらいやだからお酒は飲まない、と思っていたんですが、今では朝の2、3時間ぐらいはガラガラの喉でもいいわ、なんて(笑)。でも不思議とそういう心持ちでいるときのほうが朝から声が出たりするんです。

 

――昔にお話を伺ったときは、ひとつの理想としてテレサ・ベルガンサの名前があがっていました。70歳になった時の姿が一番いいんだ、という。

波多野 今でも東京オペラシティで見た彼女の姿が浮かびます。真っ赤なスーツドレスでアンコールが延々と続き……本当にすごかったですね。彼女は決してノーメイクで人前に出ないという話を聞いたことがあります。常に『女』だったんでしょうね。若いころの映像はそれこそお人形さんのようですし、でもどんどん美しくなっていったように思います。70歳のときの姿を見て、この人は今が一番美しいんだと心から感じました。女性を失わないというストイックさの賜物ではないかと。それとは逆に、日ごろ全然かまわずに、そのナチュラルさが美しいという女性もいますよね。私には年上のかっこいい女友達がたくさんいるんです! 見習うべきところがたくさんあって楽しいです。

 

――これからの『歌曲の変容』では50代の歌手の移ろいを見せていただくことになります。

波多野 50代ですよ! それができたら幸せですよね。歌手人生というよりも、人間としてありがたいです。王子ホールはスタッフが変わらないというのがすごいところで、変わっていないからこそ「10年経って……」という話ができる。スタッフが変わっていたら、10年を振り返ってお話ししても温度感が違ってくるでしょうし。

 

――お客様にも引き続き来ていただいて、10年後にまたさらりと同じようなお話しができるといいですね。

波多野 アラ還から還暦にかけてですからね。楽しみです!

 

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 ヘアメイク:島田文子
 協力:ダウランドアンドカンパニイ)

【公演情報】
G-Lounge#20
波多野睦美、バルバラを歌う
~自らの詩を歌い続けたシャンソン歌手の一生~

2015年4月17日(金) 19:00開演(18:00開場)
全席指定 6,500円

詳細はこちら

波多野睦美 歌曲の変容シリーズ 第10回
“イタリア歌曲集~優しい森よ~”

2015年10月20日(火) 19:00開演(18:00開場)
全席指定 5,500円

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