インタビュー イザベル・ファウスト
王子ホールマガジン Vol.34 より イザベル・ファウストが現代でも有数の実力派ヴァイオリニストであることに異を唱える人は少ないだろう。2011年7月の来日時にはクリスティアン・アルミンク指揮新日本フィルとブリテンのヴァイオリン協奏曲を、そして王子ホールではJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲を披露し、新聞や音楽雑誌にその演奏を絶賛する記事が並んだ。実力にようやく人気が追い付いてきた、といっても過言ではないかもしれない。2012年2月に予定されているアレクサンドル・メルニコフとのベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会に向けても大いに期待が高まっている。7月のコンサートを控えた某日、滞在先のホテルで話を訊いた―― |
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン) クリストフ・ポッペンとデネーシュ・ツィグモンディに師事し、1987年アウグスブルクのレオポルト・モーツァルト・コンクール、93年パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで第1位。97年には、バルトークのソナタのデビュー録音でグラモフォン賞「ヤング・アーティスト・オ ブ・ザ・イヤー」を受賞している。最近ではアバド、アントニーニ、ビエロフラーヴェク、ハーディング、ホリガー、ヤノフスキ、ヤンソンス、オラモ等の指揮者、ミュンヘン・フィル、パリ管、ボストン響、BBC響、マーラー室内管等のオーケストラと共演。古典作品に加え前衛的なレパートリーも持っており、世界初演も多い。室内楽奏者としても各地の音楽祭に定期的に出演、共演者にはラルス・フォークト、クリスチャン・テツラフ、ジョゼフ・シルバースタイン、タベア・ツィンマーマン、クレメンス・ハーゲン、ジャン=ギアン・ケラスなどがいる。CDで はバルトーク作品全集、フォーレ作品集(以上ハルモニア・ムンディ)、シューマンのヴァイオリン・ソナタ全集 (cpo)などをリリース、協奏曲ではドヴォルザーク、ジョリヴェ、 ベートーヴェン(以上ハルモニア・ムンディ)などがあり、特に最近リリースしたベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集とバッハの無伴奏集の評価が大変高い。使用楽器はストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティ(1704年製)」。 |
――はじめにヴァイオリンとの出会い、ヴァイオリンを習うきっかけなど、ファウストさんのバックグラウンドについてお話しいただけますでしょうか。 イザベル・ファウスト(以下「ファウスト」) ヴァイオリンを始めたのは父の影響が大きいですね。父は31歳になってからヴァイオリンを習い始めたという、たいへんな勇気の持ち主なんですよ(笑)! 父は前々から子どもたちにも楽器をやらせようと決めていたみたいです。5歳になった時に父は自分と一緒にヴァイオリンを習ってみたいか訊ねてきました。私も「うん、やってみる」という気持ちになって、父と同じ先生のもとに通うようになりました。それから2、3年は楽譜の読み方などは学ばずに弾き方だけを学びました。スズキ・メソードと一緒ですね。父の真似をして楽器を覚えていったわけです。そのうち私と2歳上の兄と、別の2人の子どもでカルテットを結成することになりました。私は第2ヴァイオリン、兄はヴィオラを受け持ちました。このカルテットでは5年ぐらい集中的に活動して、国内外のユース・コンクールにもたくさん出ました。なのでかなり小さいころからステージで拍手を浴びる快感を覚えてしまったんです(笑)。 |
――プロになることを意識するようになったのはいつごろですか? ファウスト 12~13歳のころからすでに、可能ならばこれを自分の仕事にしたいと考えるようになりました。カルテットとして演奏会を開き、知らない土地へ行ったり、外国の人々や文化に触れることがとても楽しかったんです。自分にとってはそれが自然なことのようにも感じました。 |
――以前はクリストフ・ポッペンに師事されたそうですね。 ファウスト クリストフ・ポッペンのもとで勉強するようになったのは学校を卒業する前からです。彼はケルビーニ四重奏団の設立者でもありますから、室内楽の分野でもたくさんのことを教わりました。自分にとって大きな影響力のあった先生はもうひとりいて、それは私が11歳のときにバルトークの無伴奏ソナタを教えてくれたハンガリー人のデネーシュ・ツィグモンディ先生です。若い頃は毎年夏に彼のもとへ勉強に行きました。ですが一番の師匠はやはりポッペン先生ですね。彼のもとには6年も通いました。 |
――ポッペンと言えば声楽のヒリヤード・アンサンブルとJ.S.バッハの《シャコンヌ》を再構成した《モリムール》というアルバムがありますね(編注:2004年2月に王子ホールで上演)。バッハの無伴奏ソナタ&パルティータはやはり小さい頃から演奏されてきたわけですよね? ファウスト もちろんです。私のヴァイオリン修行における『ドイツ的なるもの』の代表格ですね。ドイツ国内のジュニアコンクールでも必ずといっていいほどバッハの作品が課題曲に選ばれますから、コンクールの準備を重ねることでバッハの作品に触れる機会も増えていきます。私の場合は、7歳のときに《サラバンド》を習ったのが最初で、それから長い年月をかけて6曲のソナタとパルティータを習得していきました。バッハの無伴奏はヴァイオリンのレパートリーの中でも最も難しいもののひとつであり、大きな壁です。そしてキャリアを通じて常に再考することが求められる。若い頃は直観的に感じたままに弾きがちですが、やがてその構成や歴史的背景など、様々な要因を考える必要がでてきます。私はピリオド演奏を専門とする人たちから頻繁にアドバイスをもらっていますし、その他の研究も含めて様々な情報を基盤としています。そのうえでこの古典中の古典を現代の聴衆に向かって演奏することの意義、バッハが知りえなかった彼の後の時代の音楽を聴いてきた私たちにとっての、この作品の意義を問うていかなければならないのです。 |
――王子ホールでの無伴奏全曲演奏を前に思うことは? ファウスト これはとてもスペシャルな作品であり、全6曲を1日で演奏できる機会が得られて幸運に思います。自分にとっても会場の皆さんにとっても、長く深い旅になると思います。バッハの無伴奏は6曲あわせてひとつのツィクルスになっていますから、その全曲を1日で集中的に弾くことで、この作品をこの上なく純度の高い状態で味わうことができると思います。だからオーディエンスの皆さんも十分な睡眠をとったうえで、体調を万全にしてお越しいただきたいですね(笑)。自分の演奏と会場の空気がうまく融けあえば、非常にいい波動、非常にいいエネルギーがホールを満たすことになると思います。もっとも理想的な状態に達すれば、ある意味で瞑想に近い状態を共有し、発見やひらめきが得られることもあるかもしれません。自分ひとりでステージに立つというのは、ヴァイオリニストにとっては比較的珍しい体験です。非常に知的でありながら人間的な音楽に触れ、自分の感情を確かめながら全6曲の巨大な構造を確かめていくというのは、すさまじい集中力を要することです。しかしそこまでの精神に到達できた暁には、掛け替えのない体験ができる。それを願っています。 |
――無伴奏のアルバムはすでに1枚出ていますが、残る作品はいつリリースされるのですか? ファウスト 最初の3作(BWV1001~1003)は2011年8月にレコーディングする予定で、リリースされるのは来年の夏以降だと思います。CDを制作するうえで怖いのは、ある時点での解釈が残ってしまうということですね。録音してから2年後にはまったく異なる考えを持つ可能性もありますし、とにかくリリースされてから10年後に聴いてもある程度満足できる仕上がりになることを祈るばかりです(笑)。 |
――2012年2月のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲の企画について伺います。ハルモニア・ムンディの4枚組セットは各所で絶賛を博していますが、そこに収められているボーナスDVDでこのレコーディングプロジェクトについて「ベートーヴェンを再発見するプロセスだった」と語っていますね。それについてもう少し詳しくお話しいただけますか? ファウスト バッハにしてもそうですが、ベートーヴェンのソナタに取り組むときも時間とエネルギーが必要です。10曲のヴァイオリン・ソナタが書かれた時代をもう一度掘り返す作業が求められます。ですからまずはこの時代を俯瞰する作業があり、その大きな図面のどこにこれら10曲のソナタが配置されるのかを考える。比較的短い期間に書かれた10曲ですが、そのなかでも発展があり、成果があり、その先のベートーヴェンにとっての指針があります。 |
――レコーディングに際してはお互いの意見をぶつけ合ったりもしたと思いますが、具体的にどんな点を話し合ったのですか? ファウスト いくつかの楽章ではテンポについて話し合うこともありました。ピアノにとっては自然に感じられるテンポでもヴァイオリンにとってはそうでもなかったり、その逆もあります。ですが意見の対立というよりは、妥当なラインを共に探っていったという感じですね。第10番の冒頭のトリルの後にアポジャトゥーラを入れるべきか、はたまたトリルのみにすべきかなど、色々な人に意見を訊いて回りましたよ(笑)。ピアニストにとってはアポジャトゥーラを入れるのが自然だし、ヴァイオリニストにとってはそれが負担となります。近年ではヴァイオリニストが主導権を持って演奏を組み立てるケースが多いので、このアポジャトゥーラを省くことが多いと思いますが、ベートーヴェンはおそらくピアノ側の視点で考えていたのではないか――ということで、私たちはこれを実際にやってみることにしました。本当に小さなディテールなんですが、それでも賛否両論いろいろな反応をいただいています。この装飾を聴き慣れない人は「なんか気持ちが悪い」なんて言うんですけど、そういう人には「10回聴いてくれれば慣れるから!」って伝えています(笑)。 |
――これからのプロジェクトについてお話しいただけますか? ファウスト 室内楽に関していうと、ウェーバーの作品集を制作しました。これには6つのヴァイオリンとピアノのためのソナタが収録されます。ウェーバーにそんな作品があったなんてご存じない方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか? それぞれ7、8分程度の短い曲で、ユーモアに溢れていて、「スペイン風」とか「ロシア民謡風」といった副題が付けられています。でも実際は言うほどロシア風に聴こえなかったりするのがポイントです(笑)。これにプラスしてハンマークラヴィーアとガット弦で演奏したピアノ四重奏曲も入っています。9月にはメルニコフとケラスとベートーヴェンの《大公》トリオをレコーディングする予定です。それから2013~14年には大きなプロジェクトとして、フライブルク・バロック・オーケストラと指揮のパブロ・ヘラス・カサド、そしてメルニコフとケラスと私でそれぞれシューマンの協奏曲をガット弦で演奏し、さらにシューマンの3つのピアノ・トリオも演奏するというプロジェクトが進行中です。とくにこのトリオのプログラムなんて、王子ホールにうってつけだと思いますよ!? (文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 |
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