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Concert  コンサート情報

World Chamber Music 音の世界遺産 #4
コン・ナイ

2009年716日(木) 19:00開演

全席指定 6,000


(c)Dunnara Meas

コン・ナイ(歌/チャペイ)

ワールド・チェンバー・ミュージック第4回は、カンボジアのコン・ナイです。幼くして天然痘で失明し、生きるためにチャペイの弾語りを習得しました。当然のごとくポル・ポト率いるクメール・ルージュには迫害されましたが、奇跡的に生き延びたのです。
カンボジアの伝統音楽はタイ、ラオス、ミャンマーなどと共通するインド文化の影響が強く、世界遺産アンコールワットの壁画にも、同じく無形遺産となった宮廷舞踊や影絵芝居のナン・スバエックに引き継がれた楽器が描かれています。近年、復興が進んでいる舞踊劇は、最も様式上の純粋さと古典的な美しさが残されているといわれています。
コン・ナイの語り物は、最も大衆的なジャンルです。それだけに、歌や楽器の技術だけでなく、即興的な詩のセンスも問われますし、その表現力で聴衆を興奮、感動に導くのです。ポル・ポト以前には多くの盲目の楽士や放浪芸人がいましたが、生き残った者はきわめて僅かなのです。コン・ナイは伝統的なスタイルだけでなく、過酷な人生経験に裏打ちされた、豊かな表現力で、世界に通じる同時代的なアーティストといえる存在でしょう。
その意味で、同じように戦争を生き抜いたヴェトナムのキム・シンにも通じるところがあります。というか、激動の時代を経験してきたインドシナの放浪芸。その多くが盲目であることをはじめ、ハンディキャップを持つという共通項。彼、彼女たちを代表するのがコン・ナイといっても過言ではないでしょう。
WOMADにも招聘されたことからも判るように、その歌に魅せられたのはカンボジア人だけではありません。伝統的なスタイルから、きわめて即興的な弾語りまで、まさに自由自在。【カンボジアの吟遊詩人】【メコンのブルーズ】という形容はぴったり。1946年生まれの63歳。充実と枯れた味わいが同居するカンボジアの奇跡。彼もまた生きる伝説【音の世界遺産】なのです。

――音の世界遺産 監修:星川京児

プログラム

MONEAK SEIKA RUMLOEUK KOUN KROU (師へそして両親へ捧げる歌)
KROEUN SATRAY (ある女の風刺歌曲)
KROEUN BOROSS (人間の道徳や規範への尊重を歌う曲)
ROBEUK PHKOY LOAN (人々の幸せを祈る歌)
ROBEUK DOMRE (人々の幸せを祈る歌2)
BANGKONG KAEK (カラスの枝)
LAM LIV (ある別れへのプレリュード[ラオス民謡])
ROAM VOUNG (人々の幸せを祈る歌3)
CHIV KHAN SLA (両親にとって子供を育てることがいかに大変か歌った曲)

プロフィール

コン・ナイ(歌/チャペイ)

~カンボジアの吟遊詩人~
コン・ナイは1944年、カンポット地方で生まれた。天然痘を患った際、貧しさのため治療を受けられず、4歳で失明する。彼はまず、生き延びる術を身につけなければならなかった。13歳の時、大叔父からチャペイの演奏を習う。同時に、結婚式で歌われる曲や、Reamkerの叙事詩を教わる。Reamkerとはカンボジアのラーマーヤナともいうべき壮大な叙事詩であり、カンボジア人の魂である。コン・ナイは瞬く間にチャペイを習得し、即興詩人としての才能を発揮し始める。16歳になると、生まれ故郷であるカンポット地方の各地で演奏を始めた。クメール・ルージュが政権を握ると、コン・ナイは流刑囚の作業現場や農作業場でクメール・ルージュ体制の栄光を謳うよう強制された。作詞の才能を駆使し、コン・ナイは自らの生命の危険を冒してまで、国威掲揚の曲を仲間を慰め励ます内容へすり替えた。その事実を知った幹部は、コン・ナイをロープ製造会社に送り強制労働に就かせた。コン・ナイはこうして、クメール・ルージュ崩壊まで演奏することができなかった。91年、プノンペンで賞を受賞したことでようやく、演奏生活に戻ることができたのである。