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Concert  コンサート情報

ウラディーミル・フェルツマン

2007年425日(水) 19:00開演

全席指定 7,000


ウラディーミル・フェルツマン(ピアノ)

2005年、フェルツマンは13年ぶりに来日し、16年ぶりに唯一のリサイタルを当ホールで開きました。4月26日当夜のプログラムは、前半にバッハのパルティータ第1番、第2番、後半にショパンのバラード全4曲を配したもの。私たちが彼を忘れていた10数年の間に、彼はなんと深く音楽の根源を見つめていたことでしょう。この日、聴衆の多くがフェルツマンという求道者によって独特な時間を有する音楽空間への旅に導かれ、言い様がない感動を得たのです。今回はまた、ピアノを知り尽くしたフェルツマンだからこその興味深いプログラム。2年の時を経て私たちはまた一夜の時間旅行へ…。

プログラム

ハイドン:ピアノ・ソナタ 第49番 変ホ長調 Hob.XVI-49
     :ピアノ・ソナタ 第34番 ホ短調 Hob.XVI-34

********** 休憩 **********

シューマン:アラベスク ハ長調 Op.18
       :謝肉祭 Op.9

プロフィール

ウラディーミル・フェルツマン(ピアノ)

1952年モスクワに生まれたフェルツマンは、11歳でモスクワ・フィルハーモニック管弦楽団との共演でデビュー。69年にはモスクワ・チャイコフスキー国立音楽院に入学、ヤコブ・フリエールの下でピアノを学んだ。モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の両音楽院では指揮法も学んでいる。71年、フェルツマンはパリで開催されたマルグリット・ロン国際ピアノコンクールで優勝し、旧ソ連やヨーロッパ、日本での活動の足がかりをつくった。79年、ソヴィエト連邦のイデオロギーや融通の利かない政府の芸術の規制に不満を募らせたフェルツマンは、出国ヴィザを申請しソ連からの出国・移住の意思を表し、それがもとで即座に公での演奏活動を禁止され、事実上音楽界から追放されることとなった。8年間にわたる長い苦闘の末、やっとのことでソヴィエト連邦からの出国が許可され、1987年にアメリカ合衆国へ渡る。入国に際してはホワイト・ハウスであたたかい歓迎を受け、そこでアメリカでの最初の演奏会を行なった。その同じ年、カーネギー・ホールで初リサイタルを行ない、メジャー・アーティストとしての地位を確立した。ニューヨーク州立大学ニュー・プラッツ校ピアノ科の特別主任教授を務め、ニューヨーク市内のマネス音楽院でも教鞭を執っている。フェルツマンにとって、ピアノの素晴らしい伝統を伝承していくことも重要な任務となっており、上級者を対象とした1ヶ月の総合的教育プログラムを中心にすえた夏期国際フェルティヴァル&セミナー『ニュー・プラッツ ピアノ・サマー』を立ち上げ、音楽監督も務めている。このプロジェクトはピアノ演奏の全てに対してユニークで多角的なアプローチを提示して、世界中の音楽家の注目を集めている。またフェルツマンは膨大なディスコグラフィーを誇っており、6枚のバッハのピアノ作品集、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ後期5作品、シューベルト、ショパン、リスト、ブラームス、メシアンのソロ作品、他にもバッハ、ショパン、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフの協奏曲を含む多数のCDがソニー・クラシック、Music Heritage Society,カメラータからリリースされている。2006年にはカメラータからハンス・フォンク指揮・ケルン放送響とのブラームスのピアノ協奏曲第2番、第1番が相次いでリリースされ、07年4月にはJ.S.バッハの「イギリス組曲」がリリースされる。95年にアメリカ合衆国の市民権を取得、現在ニューヨーク州北部在住。

オフィシャルHP http://www.feltsman.com/