「スタイリスト」という言葉は、一般にはタレントや俳優さんの衣裳、メイク、髪型をコーディネートする職業を指しますが、ジャズの世界ではちょっと違って、「ある演奏様式を開発・確立した人」に対して使われます。たとえばピアニストでいうと、バド・パウエルやビル・エヴァンス。もう少し新しい世代だとハービー・ハンコックやチック・コリア。彼らは、それまでの演奏スタイル――即興や和声の手法、リズム感覚等々――を統合し、かつ独自のアイディアを盛り込み、そこに分析・模倣が可能な「理論」を与えました。結果、彼らが創始したスタイルは広く流布することとなり、1つの流派を形成することになります。ジャズ・ファンはよく、「このピアニストはパウエル派だね」とか「エヴァンス派の新星」といういい方をしますが、これはそのピアニストがパウエルやエヴァンスのスタイルを継承している、影響を受けている、ということを意味するのです。
さて、今回取り上げるマッコイ・タイナー。彼もまたそんなスタイリストの1人です。
マッコイがその名を広く知られるようになったのは、1961年、かのジョン・コルトレーンのグループに入団してからのことです。ご存知の方もいると思いますが、コルトレーンの演奏、とりわけ60年以降の演奏というのは、モードという手法を全面的に取り入れ、時には無調、つまりフリー・ジャズの領域にまで踏み込んでゆく過激なものでした。だから、それをバックアップするピアノも、がっちりと和声感を感じさせるそれまでのやり方では少々具合が悪い。そこでマッコイが採用したのが、4thインターバル・コードとペンタトニック・スケールによるアプローチです。かんたんに説明すると、前者は4度の音程(たとえば、レ-ソ-ド)で音を重ねるハーモニー、後者は文字通り5つの音(たとえば、レ・ファ・ソ・ラ・ド)を使った音階のことで、これらを用いると、調性の拘束はより緩やかになり演奏の自由度は格段に増します。そこに、モダンでクールなスピード感を加えることによってマッコイのピアノは、コルトレーンの演奏を最大限引き立てることになり、ひいては「新しいジャズ・ピアノのスタイル」として大きな注目を集めるようになったのです。
そんなマッコイの音楽は、コルトレーンの死後、さらに影響力を増していきます。アフリカはもとより、中東やアジアの音楽にインスパイアされたコンポジション。ものすごいスピードで空間を埋め尽くす音の連なりと、そこからもたらされる陶酔的興奮。コルトレーンという精神的支柱を失い途方に暮れていた人々は、そこに「新たなコルトレーン的なるもの」を見出したのでしょうか。彼の音楽は多くのファンから熱烈に支持され、フュージョンの台頭によってリアル・ジャズが元気をなくしはじめていた時代にもかかわらず、そのアルバムはめざましいセールスを上げたのでした。その中でも特に高い人気を得たのが、ここにご紹介する「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」です。

とはいえ、はじめてこのアルバムをきいた時の僕の印象は「えっ、これ本当にマッコイ?」というものでした。なぜなら、そこにきこえてきたのは、それまでの、どちらかというと暑苦しい彼とはずいぶん趣を異にする響き――朗々と鳴り響くストリングス、そこにかぶさり美しいメロディーを奏でる木管群、彩りを添えるハープ等々――だったからです。
しかし、そんなカラフルなオーケストラ・サウンドをバックに繰り広げられるマッコイの演奏は、絢爛たる力強さを保持しながらもリスナー・フレンドリーなメロディー・ラインと爽快さを備えていて、僕の心をあっというまに捉えました。とりわけヘヴィ・ロテのトラックとなったのが、アルバム表題曲の《フライ・ウィズ・ザ・ウインド》。キャッチーなテーマとそれを彩るスケールの大きなアレンジ、その中を縦横無尽に駆け巡るピアノは、まさに「風とともに翔べ」というタイトルや雄大なアルバム・ジャケットとリンクして、いやが上にもきき手の心を高揚させてくれます。中には「ポップに過ぎる」「コマーシャリズムに堕した」と非難する向きもありますが、個人的にはこれはマッコイの中でも屈指の名曲であり、それを含む本作は、だから彼のディスコグラフィー中屈指の名盤であると信じています。
気分がクサクサした時、なんかやる気が出ないなーという時、ちょっと大きめの音量できいてみてください。元気溌剌となること、まちがいなしです! |