今ではジャズ・ミュージシャンによるクラシック・アダプトは当たり前になってきましたが、ここ数年はクラシック演奏家の中にもジャズに積極的にアプローチする人が増えてきたようです。以前インタビューしたあるジャズ・コンポーザーは「クラシックの演奏家から、ジャズの要素を含んだ作品をとのオファーを受けることがけっこうある。チャーリー・パーカーのあのフレーズを昔から弾いてみたかったという人もいる」といっていたし、またジャズではありませんが、我が国の実力派弦楽四重奏団、モルゴーア・クァルテットは、キング・クリムゾンやピンク・フロイドなどロック・グループの楽曲をレパートリーに採り入れクラシックにとどまらないファン層を獲得しています。
今回ご紹介するのは、そんな「クラシックからの越境」の先駆けとなったユニット、クロノス・クァルテットです。
彼らについてはたぶんこれを読んでいるみなさんのほうが詳しいと思うのですが、念のため基礎情報を記しておくと……。
クロノス・クァルテットは1973年、当時22歳だったヴァイオリニストのデイヴィッド・ハリントンが中心となって結成された弦楽四重奏団です。当初は古典(モーツァルトやベートーヴェンですね)も演奏していたようですが、次第にレパートリーを近現代曲、委嘱作品、異ジャンル・ミュージックに絞るようになり、79年に本格始動。その尖鋭的なパフォーマンスとクラシックにあるまじきステージ・ファッション(パンク風に髪をおっ立てたりテクノ風のサングラスをかけたり)で、音楽シーンに一大センセーションを巻き起こしました。むろん「クラシックを冒涜している」といったお決まりの批判もありました。しかし彼らの常識に囚われない冒険的なスタンスは、テリー・ライリーやスティーヴ・ライヒ、デヴィッド・ボウイ、ビョーク等々多くのアーティストに支持され、彼らとの共演を通してこのクァルテットは、クラシックの枠を超えたクロス・ジャンル・ブームの立役者となったのです。
そんなクロノスがキャリアの初期にとりわけ熱心に取り組んでいたのがジャズ――正確にいうとジャズ曲のカヴァーです。つまり彼らは、即興演奏ではなく、ジャズの楽曲それ自体が持つ複雑な和声や旋律線に着目し、それを弦楽四重奏に移し替えることで新たな表現を創出しようとしたのです。
その試みは新鮮でした。セロニアス・モンク、オーネット・コールマンなど、“作曲家”としての評価が今ほどは定まっていなかったジャズ・ミュージシャンのコンポジションの力を、今から30年以上も前に独自の視点から提示してみせたそのアプローチは、まさに慧眼といってもよいでしょう。
ここで取り上げる『ミュージック・オブ・ビル・エヴァンス』もそんなクロノスの成果を示した1枚です。
タイトルからもわかるように、これはピアニスト、ビル・エヴァンスのコンポジションで構成したアルバムで、それだけきくと「あのエヴァンスの曲を弦クァルでやるなんて、どんだけオシャレ!」と想像する方もいらっしゃるかもしれませんが、どっこい、これが意外なほどのスリルと緊張感に満ちた演奏なのです。もちろん美しいことは美しい。けれどそれは、表面的な心地よさだけを掬い取ったのではない、エヴァンスの持っていた静かなラディカリズムや天才ならではの禍々しさまでをも透視してみせたパフォーマンスになっているのです。
たとえば有名な〈ワルツ・フォー・デビー〉。エヴァンスの手によって紡がれたあの可憐なメロディーを、クロノスは甘さを抑えてドライに響かせるのですが、しかしそのドライさゆえに、ここでは楽曲の持つ清廉さが一層際立ってきます。あるいは〈ピース・ピース〉。オリジナル・ヴァージョンでエヴァンスは、調性から次第に逸脱していく狂気すれすれの美しさできき手を金縛りにしたのですが、ここではそれをさらに増幅したような凄演がきかれます。
そしてもう1つ、このアルバムで忘れてはならないのが、エディ・ゴメスとジム・ホールのゲスト参加です。ご存知の方もいるかと思いますが、彼らは共にエヴァンスと深い縁を持ったジャズマンで、特にゴメスは11年間にわたってエヴァンス・トリオのベーシストをつとめた人。彼らの存在が、クロノスだけでは欠けていたかもしれないスウィング感とインタープレイの要素を演奏に注ぎ込み、それによって音楽の生命力がより増したのはまちがいありません。
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