ジャズには「ソロ」という演奏形態がありますが、それがもっとも多いのはピアノです。もともとピアノは、メロディー/ハーモニー/リズムという3要素を1人で奏することができる、いってみればソロで完結できることを目的に作られたような楽器ですから、これはまあ当然といえば当然ですね。
では次に多いのは? それは、やはり3要素を1人でこなせるギターです。1度に出せる音数や音域などの制約があるため、ピアノほど多くはありませんが、1920年代から腕に覚えのあるジャズ・ギタリストたちは、果敢にこのフォーマットに挑んできました。そんな中、これぞ決定盤!といわれるのが、ジョー・パスの『ヴァーチュオーゾ』です。
ジョー・パスは、9歳でギターをはじめ、14歳の時にはすでにプロとしてお金を稼いでいた早熟のミュージシャンでした。生まれ故郷のニュージャージーで活動していた彼は、程なくニューヨークに進出、17歳で早くも初レコーディングを経験します。前途洋々に思えたパスのジャズ人生……。
しかしティーンエイジャーの若者にとって、この街はあまりにも危険な誘惑に満ちていました。アルコール、女性、賭博……中でもパスが囚われたのはもっともたちの悪い誘惑、麻薬でした。たちまち中毒になった彼は、20歳の頃から更正施設の入退院を繰り返し、結局10年以上を棒に振ることになってしまったのです。
ただ、救いもありました。彼が最後に入った「シナノン」という更正施設は、独自の治療理念を持っていたため多くのジャズマンが入院しており、彼らは施設内で比較的自由に演奏活動をおこなうことができたのです。そのことは彼らの心身に好影響をもたらしたし、なによりも演奏の腕と勘を鈍らせない――つまり出所後の生活を支える上で大いに役立ちました。実際、あるレコード会社のプロデューサーは、パスを含む施設内のジャズマンに目をつけ、退院後彼らに、その名も『サウンド・オブ・シナノン』というアルバムを吹き込ませるのです。
このアルバムが評判になったのか、麻薬癖を克服したパスには次々と仕事が舞い込みはじめます。デビュー直後にシーンから姿を消していた彼は、いってみれば新人のようなもの。しかもその新人は驚異的な技巧と、人生の酸いも甘いもかみわけたような豊かな音楽性を持っていたのですから、レコード会社が放っておくわけはありません。ラジオやテレビのためのスタジオ・ワークも含めパスは次第に売れっ子となり、1963年には最有力ジャズ・マガジン『ダウンビート』の年間新人賞を受賞。翌64年には、現在も彼の代表作の1つといわれる『フォー・ジャンゴ』を録音することになるのです。
そんなパスの名を決定的にしたのが本作です。73年、新たに契約したパブロ・レコードのプロデューサー、ノーマン・グランツに、完全ソロ・ギター・アルバムの企画を提案されたパスは、持てる技術のすべてを投入して録音に臨みます。そうして生まれた作品は、おそらくグランツの期待をはるかに超えるものでした。ファースト・テンポの曲における信じ難いスウィング感。バラード・チューンの繊細なトーンとコードワーク。ソング・ライクなアドリブ・ライン。おそらくこの時点におけるソロ・ギターの最高到達点ともいえるその演奏は、まさにヴァーチュオーゾの名にふさわしいもので、これを機にパスは、世界最高のジャズ・ギタリストと目されるようになり、以後94年に65歳で世を去るまで、その王座に君臨することになるのです。
楽器の演奏技術が発達した現在、たしかに速さや正確さだけなら、パスを凌ぐギタリストはいるかもしれません。しかし技術を披瀝しながら音楽の豊かさがまったく損なわれないという点では、この作品は絶対に凌駕されることのない永遠の輝きを放っていると僕は思います。
最後に余談ですが、パスについてはちょっと冷や汗ものの思い出があります。昔、あるジャズ・クラブのフリー・ペーパーに、彼の演奏について「興奮度:星2つ」と採点したのですが(満点は星3つ)、それを読んだパスが怒った怒った。ステージ上で「オレ様の演奏の興奮度が2つ星と書いたヤロウがいる。どうせそいつが興奮する演奏なんてこんなんだろう!」と、ジャカジャカジャカジャカとギターをかき鳴らすのです。それも何度も何度も……。自分としては、パスの演奏には表面的な興奮よりももっと奥深いものがある、というつもりで書いたのですが……天国のパスさん、スミマセン。あれ書いたの、僕でした。 |