王子ホールマガジン 連載
クラシック・リスナーに贈る
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王子ホールマガジン Vol.28 より |
「ミズーリの空高く」 チャーリー・ヘイデン(b) 1996年 ニューヨーク/ライト・トラック・スタジオで録音 |
1940年代にビバップと呼ばれるジャズ・スタイルが出現した時、ほとんどの白人ミュージシャンは、黒人独特のフィーリングに根ざした尖鋭的独創性(あるいは独創的尖鋭性)に圧倒され、その形態をなぞるしかなす術がありませんでした。ウエストコースト・ジャズ? たしかにあれは白人のオリジナルのようにいわれますが、実際にはアレンジやアンサンブルを洗練・強化させただけで、ジャズとしての本質的な部分はビバップの枠を超えるものではなかったと、少なくとも僕は考えています。 しかし50年代も半ばになるとビバップの方法論も行き詰まりを見せはじめ、新たなジャズの表現やスタイルが求められるようになってきます。そんな中、一部の先進的な白人ジャズマンたちが目を向けたのがカントリーやフォークでした。いうまでもなくそれらは白人の手によって生み出された白人のための音楽。もともと自分たちの領土に埋蔵されていながら、ジャズとは無縁と思われていたがゆえに長らく放置されていたその音楽的鉱脈を採掘することによって、彼らはジャズの未来を開拓しようとしたのです(そしてもしかするとそこには、黒人ジャズマンに対する劣等感を払拭したいという思いも含まれていたかもしれません)。 難解な即興音楽をドラムレス編成による牧歌的サウンドでコーティングしたジミー・ジュフリー。ロック世代ならではの斬新な感性でアメリカの心象風景を解体・再構築してみせたゲイリー・バートン。……彼らの試みは、けっしてジャズの潮流にドラスティックな変化をもたらすようなものではありませんでしたが、その遺伝子は形を変えながら、しかし確実に次世代へと受け継がれていくことになります。たとえば今回ご紹介するチャーリー・ヘイデンとパット・メセニーのデュオ・アルバム「ミズーリの空高く」。 チャーリー・ヘイデンとパット・メセニー。この2人は、スタイルやジャンルにこだわらないオープン・マインドな姿勢で表現行為を続けているという点において似通った志向性を持ったアーティストなのですが、それ以外にもう1つ、その音楽を語る上で絶対に忘れてはならない共通項があります。それは彼らがともに、アメリカ中部で生まれ育ち(メセニーはミズーリ州の出身、ヘイデンは生まれはアイオワ州ですがその後ミズーリに移り住み少年時代を過ごしました)、その土地の豊かな自然から得た滋養を糧に、音楽を創り、演奏しているということ。もちろんそのあらわれ方は、奏される音楽の種類によって、時にはあからさまであったり、時にはひそやかであったりと異なります。しかしじっと目を凝らせば、その音楽の向こうにはどんな時も、アメリカの原風景とも言える景色――プレーリーを渡る風。むせかえるような木々の匂い。砂埃の舞う1本道。ロッキングチェアの揺れるポーチ……――が見えてくるのです。 この「ミズーリの空高く」は、そんな彼らの特質がきわめてストレートな形であらわれた作品です。テーマがあり、そのテーマにもとづく即興があり、そしてその即興はデュオならではの親密なインタープレイによって駆動されるという形態こそジャズのそれですが、しかしそこには一般にイメージされるジャズの雰囲気――たとえば紫煙が充満する地下室とか酒とドラッグに酔った人々の嬌声とか、あるいは人種差別に対するプロテストとか――はまったく感じられません。どこまでも静謐な眼差しで、けっして声を荒げることなく、瑞々しい叙情をたずさえて歩みを進めるその音楽は、ひと言でいえば「アメリカ印象主義」(これはヘイデンがメセニーの音楽をさして言った言葉ですが、もちろんそれはヘイデン自身にも当てはまります)。演奏者の自然への愛と感謝が、いつしか民族としてのアイデンティティーの表明にまで高められたかのようなこの演奏を聴くと、かつてジュフリーやバートンがさし示した行き方は、今や「汎アメリカ音楽」として世界の音楽地図の中に確固たるポジションを確立するに至ったと感じずにはいられません。 ……と、いささか入れ込みすぎて小難しい話になってしまいましたが、実際にはここで繰り広げられる音楽は、誰もが理屈抜きで感動することができる平易なものです。だって本当に美しい自然は、誰の目にも美しく映るものですから。 夏の日の夕暮れ時、窓を開け放してこのCDを聴いてみてください。あなたにもミズーリの空が見えるかもしれませんよ。 |
著者紹介 藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。 |
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