王子ホールマガジン 連載
クラシック・リスナーに贈る
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王子ホールマガジン Vol.24 より |
「輝く水」 エグベルト・ジスモンチ(g,p,vo,wood fl) 1976年11月 オスロ/タレント・スタジオで録音 |
毎年ユニークなテーマとプログラムで音楽ファンを喜ばせてくれる〈東京の夏〉音楽祭。その〈東京の夏〉で一昨年と昨年、一手に話題をさらったミュージシャ ンがいました。そう、ブラジルのエグベルト・ジスモンチです。 ジスモンチは、ジャズのシーンではすでに大御所の部類に入る人で、アルバムも数多く発表しているのですが、ただ、やっている音楽がオーソドックスなジャ ズとはかなり肌触りを異にするため、「名前は知ってるけど、音楽はちゃんと聴いたことないなあ」というファンもけっこう多かったのですね。ま、ひと言でい えば、「異端児」だったわけです。 ところが近年の「ジャンルのボーダーレス化」という流れを受けて、彼の音楽が再注目されるようになってきた……というか、注目されるようにちゃんと紹介 しようという動きが出てきた。その端的な例が〈東京の夏〉だったわけですが、この狙いは見事に的中。はじめて彼の音楽に触れた人はもとより、すでにファン だった人も、実演に接することによって改めてその魅力にやられてしまったのです。僕も含めて。 では、そんなジスモンチとはどういう人物で、その音楽とはどういうものか。 もともとジスモンチは幼少時から青年期にかけてクラシック・ピアノを徹底的に学び、それでも飽きたらずパリに留学してあのナディア・ブーランジェ女史の 門下に入ったという、バリバリのアカデミック派でした。ところが何を思ったか、1966年、彼は突然ブラジルに帰国し、アマゾンの奥地でかの地に古くから 伝わる音楽を研究しながら今度は独学でギターを習得するのです。つまりジスモンチの芸術を成り立たせているのは、洗練の極みともいえる近代西洋音楽と、そ れと真逆の、土着的な伝統音楽、というわけです。 ただだからといってこの人が、「ギターでは民族音楽風のことを、ピアノではクラシックっぽいことを」という安易な行き方をしているわけではありません。 いや、表面的にはそうきこえるところもあるのですが、しかしもう一歩踏み込んでみると、その表現はそう単純なものではない。そのことがひしひしと伝わって きたからこそ、あのコンサートを観た人たちは一様に大きな感銘を受けたのではないでしょうか。 たとえば僕はこう感じました。たしかに、彼のギターとピアノの演奏には各楽器固有の構造や奏法に由来する差異はあるのだけれど、しかしそれらが並べて置 かれてもまったく違和感が感じられない。つまりジスモンチ本人の中にある表現欲求の「核」というものは、どの楽器の演奏においても純一であり、同時に真 正、という気が強くしたのです。 そのことは彼の「弾き姿」からも感じられました。ギターを身体の一部のように扱うのはまあ当然としても、ジスモンチの場合それがピアノでもおなじように 一体感を感じさせるのです。ピアノというのは、その前に座るのがオスカー・ピーターソンであろうがキース・ジャレットであろうが、どうしても「襟を正して 相対する」という雰囲気が漂ってしまうのですが、ジスモンチは全然自然。ピアニストにこういう印象を持ったのは、僕ははじめての経験でした。さらにいうと ――こちらはテレビで観て感じたことですが――オーケストラという西洋音楽最強最大の装置の中にあってさえ、ジスモンチのこの自然さは失われないのです。 むしろ演奏が進むにつれて、オケのほうが彼の醸し出す世界に支配されていくというか。ジャズ界、いや音楽界広しといえども、こういう求心力・包容力を有し た人、そうはいないのではないでしょうか。 てなことを書いてるうちに、あわわわわ、「この1枚」を紹介するスペースがなくなってきてしまいました。尤もジスモンチには駄作というものがないので、 どれを聴いてもまちがいはないのですが、ここでは象徴的に、彼の名を世界的に知らしめることになったECMデビュー作「輝く水」を挙げることにしましょ う。アマゾンの大自然をそのまま音に映し替えたようなウッド・フルート。超絶的で、同時にサウダージをたっぷりと含んだギター。リリシズムと躍動感を併せ 持つピアノ。そういったものが渾然一体となって描き出される世界は、さながら音の一大叙景詩といった趣で、聴く者を圧倒せずにはおきません。共演している ナナ・ヴァスコンセロス(やはりブラジル人で、一時パット・メセニー・グループにも参加していたパーカッショニスト)の素晴らしいプレイも含めて、ジスモ ンチ芸術が凝集した大傑作です。 |
著者紹介 藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。 |
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