いうまでもないことですが、ジャズの歴史は一握りの天才や大スターだけによって形作られてきたわけではありません。たしかにそういう人たちがいなければ、ジャズは現在のように進化/発展することはなかったでしょう。しかしもし、彼らを取り巻く惑星のような、幾分スケールは小さいけれど個性的なアーティストたちがいなければ、ジャズの景色はずいぶん彩りを欠いたものになっていたと僕は思います。
今回ご紹介するアート・ファーマーは、もちろん一流のジャズマンです。1940年代半ば、まだ10代の頃からトランペット奏者としてプロ活動をはじめ、リーダー・アルバムはもちろんサイドマンとしてのレコーディングも多数。そのうちの何枚かは、ジャズ史に残る名盤として、現在もガイドブックに必ずリストアップされます。
にもかかわらず、たとえばディジー・ガレスピーやマイルス・デイヴィスといった強大な影響力、カリスマ性を持った人たちにくらべるとこの人が、もう1つ押し出しが弱い、と感じられるのも事実。絶対に破綻しないテクニックとマイルスさえも凌ぐと評された構成力を持ちながら(というか、それが災いして)、彼がシーンに大きなセンセーションを巻き起こすことはありませんでした。1960年末、ファーマーはウィーンに活動の拠点を移すことになるのですが、それはそんな状況――売れっ子でそれなりに順風満帆だけれどその先に行けない、という状況を打開したいという思いからだったのかもしれません。
実際このウィーンへの移住は、ファーマーの音楽人生に新たな展開をもたらすことになります。アメリカと違い、ジャズマンを芸術家として敬する風土のあったヨーロッパの地は、内省的な彼の性格にも、またアグレッシヴなブロウよりもリリシズムを前面に出した音楽性にも合っていたのでしょう。以後彼は、それまで以上に自分の望む音を率直に発信するようになります。また、ちょうどこの頃からファーマーはトランペットをほぼ封印し、専らフリューゲルホーンを吹くようになるのですが、その理由を、この楽器のまろやかな音色が彼の目指す音楽にフィットしていたからと想像するのは、それほど的外れではないでしょう。
もう1つ、渡欧から晩年にかけてのファーマーの静かなるブレイクを考える上で忘れてはならないのが日本のレコード会社の存在です。中でもEAST WINDというレーベルは、70年代半ばファーマーの演奏を集中的に録音し、彼の魅力を様々な角度から掘り起こしました。その後半生において彼が、ほかの誰とも違うポジションを確立することができたのは、半分はこのレーベルのおかげだと僕は思っています。
ここに取り上げる「おもいでの夏」も、そのEAST WINDからリリースされた作品です。オリジナル1曲を除いておなじみのスタンダードや映画音楽が並ぶ選曲は、ファーマーの個性を引き出しつつ日本のファンにも喜んでもらえるよう制作陣が知恵を絞った結果、と当時のライナーノーツにはありますが、たしかにこの演奏をきくと、バブル期に濫造された安直なスタンダード集とは次元の違う高い志がそこにあったことがうかがえます。
とりわけ素晴らしいのが、アルバム・タイトル曲。巨匠ミシェル・ルグランが同名映画のために書いたこの曲を、ファーマーはこの上なく感傷的に、切々と歌い上げます。フリューゲルならではの仄暗い音色で奏でられるテーマと、そのテーマの表情を引き継ぎながら美しく織り上げられるソロ。ここにはアート・ファーマーという音楽家の美点が凝集しているといっても過言ではありません。
《アルフィー》も名演です。そもそもこれはバート・バカラックのオリジナルからして大名曲で、古今東西数多のミュージシャンが取り上げていますが、音楽に込められた甘やかなやるせなさを、これほど柔らかな叙情でもって表現し尽くした例は、そう多くはないのではないでしょうか。
あと、本作について特記すべきなのがサイドマンの素晴らしさ。シダー・ウォルトン(作家の村上春樹さんはこのピアニストの大ファンだそうです)、サム・ジョーンズ、ビリー・ヒギンズからなるリズム・セクションの、ツボを押さえた絶妙なサポートは、まさに名人芸と呼ぶにふさわしいものです。
この夏はみなさんもこのアルバムをききながら、ご自身の「おもいでの夏」を振り返ってみてはいかがですか?
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