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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.38 より

 「アフィニティ」ビル・エヴァンス

 ビル・エヴァンス(p) トゥーツ・シールマンス(hca)
 マーク・ジョンソン(b) エリオット・ジグムンド(ds)
 ラリー・シュナイダー(ss,ts,fl)

 1978年10月30日~11月2日
 ニューヨーク、コロムビア・スタジオで録音

 ビル・エヴァンスというと、「内向的で学究肌の完璧主義者」というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、そしてそのイメージは概ねアタリなのですが、しかし一方でこの人は、未知なるものへの好奇心を旺盛に持ち合わせた音楽家でもありました。
 一例を挙げれば、楽器編成。エヴァンスというと我々はすぐにピアノ・トリオを思い出してしまうわけですが(それはたぶん、あの不朽の名作「ワルツ・フォー・デビー」の印象があまりに強いからでしょう)、実際にはこの人、ソロ、デュオといったスモール・フォーマットからシンフォニー・オーケストラとの共演、さらには当時は珍しかったフルートとのコラボや自身のピアノの多重録音など、幅広く、中には奇抜といっていいほどの編成による録音も数多く残しているのです。
 で、おもしろいことに、そういう時のエヴァンスというのは、トリオの時以上に感情的であったり耽溺的であったりと、表現の振幅が大きくなることが多いのですね。非日常的な他者とコミットすることによって、普段は隠れていた表現者としての本能が開放されるというか。たとえば今回ご紹介する「アフィニティ」。これなども、偉大な才能との邂逅によってエヴァンスの魅力が増幅され、期待以上の成果を生んだ作品といっていいでしょう。

 このアルバムでエヴァンスの相手役をつとめているのは、ジャズ・ハーモニカのパイオニアにして、齢90となった現在でも最高峰として君臨しているトゥール・シールマンス。もしあなたがその名前を知らなくても、彼の演奏はきっとどこかで耳にしたことがあるはずの、この分野の第一人者です(ちなみに、映画「真夜中のカーボーイ」やテレビ「セサミ・ストリート」のテーマを吹いているのはこの人です)。
 哀愁、ユーモア、冒険心……シールマンスの魅力を数え上げればキリがありませんが、とりわけ僕がすごいと思うのは、この人がどんな種類の音楽にでも即座に適応し、同時にその中で自分の世界を確立してしまうところ。オールド・ファッションなジャズでも最先端の意匠を凝らしたポップスでも、彼は何の違和感も感じさせずそこに同化し、そしてその中で「シールマンス・ワールド」としか呼びようのない音楽を作り上げてみせます。しかも――ここが一番びっくりなのですが――この人、何の苦労も感じさせずに、まるで鼻歌を歌うようにそれをやってしまうのです。そう、まるでモーツァルトのように。

 そういうシールマンスの天才性(と呼ぶのがためらわれるほどに彼の音楽の佇まいは自然なのですが)は、このアルバムでも遺憾なく発揮されています。彼とエヴァンスの共演は、公式にはこの時がはじめてだったのですが、その呼吸の合い方ときたら、まるで長年連れ添ってきた夫婦のよう。このピアニスト特有のほのかな明るさを持ったリリシズムを微塵も損なうことなく、自分の音楽をナチュラルに歌い上げていく様は本当に驚異的としかいいようがありません。
 ためしに1曲目、ポール・サイモンの《君の愛のために》をきいてみましょうか。この演奏には、随所でテンポ・ルバートが挿入されているのですが、そういう箇所でもシールマンスはエヴァンスが絶妙のタイミングで送り出す繊細なハーモニーにピタリと息を合わせ、一瞬の躊躇も見せず素晴らしいメロディー・ラインを紡ぎ出していきます。あるいはミシェル・ルグランの《真夜中の向こう側》。美しいエレクトリック・ピアノに乗せて奏でられる旋律と音色の美しさ、玄妙さは、ジャズ界広しといえども、この人だけが創出し得るものではないでしょうか。
 そんなシールマンスの参加を得たせいか、エヴァンスのプレイもいつにも増して精彩に富んだものになっています。実はこの10ヶ月ほど前に録音された「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」でのエヴァンスは、ほとんど黄泉の国の入り口に踏み入れかけたかのような諦念に支配された音階を鳴らしていたのですが(ゆえにこれは大名盤となっています)、それとはうって変わってここでの彼は、躍動感と喜びにあふれた音楽を繰り広げています。「酒とバラの日々」での輝かしいタッチ。「トマト・キッス」のダークなグルーヴ。エヴァンスが音楽する喜びをこれほど率直に表明したことが、果たしてこの後の人生であったかどうか……。
 闇を照らす灯のような、名手2人の心温まる語らい。寒い冬の夜にぴったりの1枚です。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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