王子ホールマガジン 連載
クラシック・リスナーに贈る
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王子ホールマガジン Vol.19 より |
「ラスト・デイト」 エリック・ドルフィー(as,b-cl,fl) 1964年6月2日 オランダで録音 |
今回は難物ですよ。何せジャズ・ファンの中にも「よくわからん」という人が少なくないアーティストの作品ですから。「そんなもん紹介するな」と罵声が飛んできそうですが、でもクラシックでもシェーンベルクとかウェーベルンを楽しめるようになるには、ある程度の慣れが必要でしょう? ましてやその中に表現の真実があるとすれば、それを知らずにすませるのは何とももったいない。というわけで今回は、アルト・サックス、バス・クラリネット、フルートを駆使して無二の世界を創り出したエリック・ドルフィーの作品を。 1960年代前半、ジャズの潮流は元禄的な安定期を過ぎ、次第に混迷の度合いを深めていました。スタイルの主流は相変わらずビバップでしたが、その方法 論はすでに袋小路に陥っており、そこから脱却するためにモード、そしてフリーといった新たなアプローチが持ち込まれ、シーンはさながらジャズ戦国時代。そ んな様々なスタイルの架け橋をするかのようにあらわれたのがドルフィーでした。 では、その音楽はどんなものだったか。 まず彼は、一部の例外を除いては、基本的にコード進行の枠の中で演奏をしました。だから聴き手は、リズム・セクションを聴いていれば、曲のどこを演奏しているかぐらいはだいたいわかります。ところがその枠内で繰り広げられるアドリブはといえば、一般的な美意識からは遠くかけ離れたもの。平たくいえば、音がハズレてる、ってことです。ただそれは、いわゆるフリー・ジャズのようにハチャメチャではなく、どうやら彼自身の中にある何らかの法則に則って吹かれているらしいのですね。“発狂したビバップ”……ある評論家がいったこの言葉が、あるいはドルフィー・ミュージックの本質をもっとも端的にいい当てているか もしれません。 そんな彼の破格な音楽を、先進的なミュージシャンたちはこぞって褒めそやしました。チャールズ・ミンガス、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレー ン、ジョージ・ラッセル……ドルフィーと共演したジャズマンのリストを見れば、この人がいかに高く評価されていたかがわかるでしょう。この時期、たしかに彼は、ジャズ・シーンの先頭集団を走っていたのです。 しかし悲劇は突然訪れます。1964年6月29日、ヨーロッパを単独で楽旅中だったドルフィーは、以前から患っていた糖尿病が急激に悪化し、ベルリンで客死してしまうのです。 たしかに彼はシーンの先頭集団を走っていましたが、しかしそれは、イコール収入につながったわけではありません。それどころかドルフィーの音楽は保守的 なミュージシャンやファンからはほとんど受け入れられなかったため、彼はいつも困窮していました。楽理も譜面も抜群に強かったのだから、その気になればいくらでも仕事はあったはずなのですが、しかしドルフィーは自身の音楽を商売にすることを拒み続けました。結果、崇高な創造が次々と成される一方で、その肉体は知らず知らずのうちに病魔に冒されていったのです。そんな彼が、死の約4週間前に録音した遺作が今回の1枚、『ラスト・デイト』です。
スタジオ・ライブがもたらす独特の音響のせいか、それともサイドマンの素晴らしいバックアップのおかげか、はたまた遺作という聴き手の先入観のためか、ここにはそれまでのドルフィー作品とは違った不思議な雰囲気が漂っています。演奏それ自体には衰退の影など微塵も見られないのに、全体を覆うのは何かを 悟ったような諦観……。とりわけそれを強く感じさせるのがフルートで吹かれた《ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ》です。「あなたは恋がわかっていない」というこのラブ・ソングをドルフィーは、一切の感傷を排し、まるで黄泉の国の音楽のように奏でます。ほかのトラックには首を傾げても、この演奏にだけはきっと誰もが打たれるはず。もし何も感じなかったら、その時はドルフィーとは縁がなかったとあきらめてください。 この作品の最後には「When you hear music, afiter it's over, it's gone in the air. You can never capture it again」というドルフィーの肉声が収められています。しかし宙に消え去ったのは彼のほうで、その音楽は半世紀を過ぎようとする現在でも人の心を揺さぶ り続けている……皮肉なものです。 |
著者紹介 藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。 |
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