王子ホールマガジン 連載
クラシック・リスナーに贈る
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王子ホールマガジン Vol.22 より |
「明日に架ける橋」 ポール・デスモンド(as) 1969年 ニューヨークで録音 |
ジャズにそれほど詳しくない方でも、たぶん《テイク・ファイブ》という曲はご存知でしょう。これは1950年代初頭から60年代半ばにかけて一世を風靡し たデイブ・ブルーベック・グループの代表作「タイム・アウト」に収められたナンバーで、5拍子のリズムと、ジャジーな、それでいて不思議な洗練を感じさせるメロディーが大いに受け、発表当時は“変拍子ジャズ”というブームまで巻き起こしました。 今回取り上げるのは、しかしこの「タイム・アウト」ではありません。というのは――あくまでも個人的な好みですが――僕はブルーベックという人、そして 彼のやったジャズをあまり評価していないからです。その理由を細々と述べるスペースはここにはありませんが、ひと言だけいうと、この人はジャズという音楽を高踏的に扱い過ぎた。その結果彼の音楽は、ジャズが持っていなければいけない何かが大きく欠落しているように感じられるのです。ただ、そんなブルーベックのグループに、真に優れたジャズマンがいました。アルト・サックスのポール・デスモンドです。 とはいうもののデスモンドは、たとえばチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンのようにジャズの流れを変えるような巨人ではありませんでした。それ どころかファンの中には、繊細なサウンドで鼻歌のように吹く彼のプレイをさして「軟弱!」という人もいるほどです。しかしそれでも、いや、それゆえに僕は この人を、ジャズ史上数少ない天才の1人に数えたいのです。 たしかにデスモンドの演奏には、“額に汗する懸命さ”が希薄です。どんな時にも肩の力の抜けた気楽さが感じられ、そこには苦労の跡がまったく見られませ ん。けれど裏を返せば、そうやってどんな音楽でも易々と吹き切ってしまうからこそ、彼は天才だ、ともいえるでしょう。モーツァルトの自筆譜には書き直しの跡がほとんどないそうですが、デスモンドのプレイにもそれとおなじような趣があります。どんなにむずかしいことでも平易に見せてしまう……そういう凄味も音楽には、芸術には、たしかにあるのです。
そんなデスモンドの天才ぶりを如実に示しているのが、今回ご紹介する「明日に架ける橋」です。アルバム・タイトル曲はご存知サイモン&ガーファンクルの 名曲ですが、本作はそれ以外の収録曲もすべてS&Gのカヴァー。それまでミュージカルのナンバーを丸ごとジャズ化した作品はいくつもありましたが、ポップ畑の、それも1人(1組)のアーティストの楽曲だけでアルバムを作ってしまったのは、これがはじめてのことだったかもしれません。 売れ線狙いといえばたしかにそう。色物と批判されれば甘んじて受けましょう。しかしそんな志や外見とは裏腹に、中で繰り広げられている演奏のとてつもな い充実、これだけはまちがいありません。たとえばここでの楽曲は、当然のことながらどれもジャズ的なアレンジがほどこされているわけですが、それが「ちょ いとジャズっぽく4ビートにしてみました」的なレベルではなく、実に凝った、曲によっては斬新といっても過言ではないものになっているのです。そしてそのアレンジの中でなされる演奏も、これもまた斬新。ハービー・ハンコック、ロン・カーターといった人たちが脇を固めているといえば、その新しさ、わかる人に はわかってもらえるのではないでしょうか。 しかし何よりもすごいのは、デスモンドその人のプレイです。現在ジャズのスタンダード・ナンバーの多くを占める1920~40年代のいわゆるティン・パ ン・アレイの曲と違って、60年代以降のポップスは楽曲の構造が格段に複雑になっています。そういう曲を元にアドリブするには、当然従来のビバップ・セオ リーでは全然追いつかないわけですが、ところがデスモンドはそんなことはまったく関係ないかのように、ポール・サイモン独特の精妙きわまりない曲想を少し も損なわず、飄々とアドリブを展開していくのです。これは彼が、理論先行ではなく、「頭に浮かんだメロディーをそのまま音にしていく」――すなわち天才的 な鼻歌の歌い手だったことの証にほかならないでしょう。 音楽的には高度でありながら、しかし聴き手にそれを強いることなく、快適さだけを提供してくれる……。真のイージー・リスニング・ジャズは、かくありた きものです。 |
著者紹介 藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。 |
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