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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.34 より

 「バグス・グルーヴ」マイルス・デイビス

 マイルス・デイビス(tp) セロニアス・モンク(p)
 ミルト・ジャクソン(vib) パーシー・ヒース(b)
 ケニー・クラーク(ds) ソニー・ロリンズ(ts)※
 ホレス・シルバー(p)※

 1954年6月29日※ 12月24日
 ニュージャージー、ルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオで録音

 今はそういうことはあまりないようですが、昔のジャズマンは個性的というか我が儘というかヤバい人が多かったので、ステージやレコーディング時のエピソードも物騒な話があふれていました。たとえば陽気なキャラクターで知られたディジー・ガレスピーは、ボスだったキャブ・キャロウェイに口論の末ナイフで10数針のケガを負わせたし、チャーリー・ミンガスはトロンボーン奏者のジミー・ネッパーが書いたアレンジが気に入らないと殴りつけ歯を叩き折ってしまいました(管楽器奏者の歯を、ですよ)。また、以前このコーナーでご紹介したジョアン・ジルベルトとスタン・ゲッツのレコーディングも、きいているだけで胃が痛くなるような状況下でおこなわれたものでしたっけ。

 今回は、そんな数ある諍いバナシの中でももっとも有名なエピソードを持つ作品をご紹介しましょう。

 1954年12月24日。プレスティッジ・レーベルのプロデューサー、ボブ・ワインストックは、マイルス・デイビスのアルバムを録音するためのセッションをセッティングします。メンバーはマイルス以下、ミルト・ジャクソン、パーシー・ヒース、ケニー・クラーク、そしてセロニアス・モンク。なんとも豪華な顔ぶれに、いやが上にも期待は高まるわけですが……。ところがスタジオに入るや、マイルスはモンクに向かって突然こういい放ったのです。「オレのソロの時は、バックでピアノを弾くな」――ひえー。これでは、お前のピアノは邪魔だといっているも同然なわけで、いくら当時マイルスが飛ぶ鳥落とす勢いだったとはいえ、キャリアとしてはモンクのほうが大先輩。おまけに彼はマイルス以上の奇人変人でしたから、こりゃただで済むはずがない。すわ殴り合いかと、スタジオ内に走る緊張……。しかし意外なことにモンクは黙ってリーダーの命令に従いました。というか、彼はマイルスのバックでピアノを弾かないどころか、曲によっては自分のソロさえも途中で放棄してしまったのです。

 これがジャズ界で有名な、俗にいう「クリスマス・ケンカ・セッション」の顛末ですが、しかしこの話、実際には後世の人間がおもしろおかしく尾ひれをつけた“ネタ”というのが真相のようです。というのも、マイルス自身、自叙伝の中で、「モンクのピアノはトランペットのバックには合わないと思ったから、休んでいてくれといっただけだ。モンクもオレの意図はよくわかっていたはずで、そもそもあんなでかくて強い奴に、オレみたいなチビがケンカを売るわけないだろ」といっているのです。もちろん本人の言葉が真実とは限りませんが、ことこの件については、マイルスの証言は本当だと僕は思います。たしかに彼は不遜で尊大ではありましたが、意味もなく他人を傷つけるような人間ではなかったし、なによりも残された演奏の素晴らしさが、マイルスとモンクのあいだにあった信頼の深さを物語っていると思うのです。

 尤も、個人的にはこの伝説は伝説として残しておいてほしいという気持ちもあります。だって、こういう眉にツバをつけたくなるようなエピソードが、音楽に奥行きや彩りを与えるのも事実なのですから。

 さて、この時のセッションは現在「バグス・グルーヴ」と「マイルス・デイビス・アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ」という2枚のアルバムに分散して収録されていますが、とりわけ名演として誉れ高いのが前者に収められたアルバム・タイトル曲です。当時の主流だったビバップのアプローチとは一線を画したメロディアスでリリカルなソロを吹くマイルス。ブルージーな歌心と貴族的な高貴さを見事に共存させるジャクソン。唯一無二の音使いと響き、タイム感で聴き手を金縛りにするモンク。三者三様の異なる個性が、にもかかわらず美しく融和するその様は、ジャズという音楽の不思議と、それゆえの魅力を示しているといっていいでしょう。ちなみにこの曲、2つのテイクが収録されていますが、そのいずれも甲乙つけがたい演奏になっているのですから、このセッションがいかに充実していたかがうかがえようというものです。

 一方「モダン・ジャズ・ジャイアンツ」に収められた《ザ・マン・アイ・ラヴ》は、モンクが自分のソロを途中でやめてしまったいわくつきの演奏ですが、このピアニストの特異なスタイルを考えれば、これ、意図的なアプローチだったのではないでしょうか。僕などはこの演奏を聴くと、そのスリリングな展開にドキドキワクワクしてしまうのですが。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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