ojihall


Topics  トピックス

王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.45 より

 「クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス」
 クリフォード・ブラウン

 クリフォード・ブラウン(tp) リッチー・パウエル(p)
 バリー・ガルブレイス(g) ジョージ・モロウ(b) マックス・ローチ(ds)
 ニール・ヘフティ(arr, cond) & strings

 1955年1月18~20日 ニューヨークで録音

 今はもうそういうことはありませんが、1940~60年代に活躍したジャズマンの多くはアルコール依存か麻薬の常習者でした。この頃のジャズ・クラブの仕事はというと、22時ぐらいからはじまって演奏40分+休憩20分のセットを4~5回というのが普通。そういう過酷な状況の中でおアシをいただける演奏を続けるため――たとえ幻想とはわかっていても――彼らは酒やクスリに走らずにはいられなかったのです。
 しかしごくまれに、そういう悪癖に一切縁のないミュージシャンもいました。たとえばトランペットのクリフォード・ブラウン。
 ブラウンが活躍した50年代前半というのはモダン・ジャズの最初の全盛期。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー、マイルス・デイヴィス、バド・パウエル等々目もくらむようなジャズマンたちがシーンを賑わわせており、ブラウンもそんな中で腕を磨いたのでした。で、当然のことながら彼らのほとんどはジャンキーかアル中。それなのにブラウンがクリーンでい続けられたのは、育った環境のおかげもあるでしょうが(彼が生まれ育ったデラウェア州ウィルミントンは黒人にも高度な教育機関が用意されていました。ちなみにブラウンは州立大学の数学科出身です)、それ以上に彼が、酒やクスリに頼る必要のない堅牢な演奏力と音楽性、そして自分を信じて音楽を創造し続ける意志力を持っていた、ということが大きいでしょう。
 ブラウンの演奏をきいてまず驚かされるのは、どんな局面にあっても曖昧なところがまったくないその明快さです。ゆったりとしたバラードや快適なミディアム・テンポはいうに及ばず、♩=330というような超高速ナンバーであっても彼の奏でるアドリブには微塵の乱れもなく、しかもそれはあらかじめ譜面に書かれていたかのような歌心に満ちています。それにその音色の素晴らしさ。輝かしくはあるけれどけばけばしくはない絶妙の重量感を持ったその響きは、トランペット・サウンドの最良のモデルといっても過言ではないでしょう。おまけにこの人は性格も最高によかった(評論家のナット・ヘントフは「彼はあけっぴろげで、狡猾さなど微塵もなく、他人に対する悪意のかけらもなかった」と証言しています)。それゆえに、一癖も二癖もあるジャズマンたちも彼のことを素直に認めたのでしょう。23歳で本格的にデビューするや、ブラウンのもとには大きな仕事が次々と舞い込み(その中には、ジャズ史上もっとも重要な作品の1つといわれるアート・ブレイキーの「バードランドの夜」への参加も含まれます)、54年には当時最高のドラマーといわれたマックス・ローチと双頭リーダーのクインテットを結成。ブラウンは一躍ジャズ・シーンのトップ・ランナーに躍り出たのでした。
 今回ご紹介するのは、そんなブラウンがストリングスと共演したアルバムです。いうまでもないことですがこの編成はスモール・グループよりも予算がかかるため、レコード会社は売上の見込みが立たなければゴー・サインを出しません。にもかかわらず彼らはデビューして3年も経たないトランペット奏者にこの企画を託した……その事実がブラウンに対する期待の大きさを物語っているでしょう。
 そして彼はその期待に見事に応えました。バラードがメインでアドリブ・パートもほとんどないという、即興してなんぼのジャズマンにとっては厳しいシチュエーションをものともせず、ブラウンは持ち前の豊かなトーンとメロディック・センスを存分に発揮して豊穣きわまりない音楽を歌い上げます。《イエスタデイズ》における世界をガラリと変えてしまうようなテーマへの切り込み、《ローラ》のシンプルで清潔な抒情、満天の星灯りを音に映したような《スターダスト》……。中でも僕が個人的に好きなのが《ジェニーの肖像》です。ここでの彼はただテーマのメロディーを吹くだけ。なのにその演奏からは、きく者の心に沿った様々な風景が見えてくるのです。これはまさにブラウンという音楽家の真骨頂を示した名演といっていいでしょう。
 しかし突然悲劇がやってきます。1956年6月26日の深夜、バンドのピアニストとその妻、そしてブラウンを乗せて仕事先に向かっていた車が折からの大雨でスリップし、ガードレールを突き破って75フィート下に転落。3人は命を落としてしまうのです。この時ブラウン、25歳。歴史に“もし”は無意味だということは承知しています。しかしそれでもなお、もし彼がもっと生きていたらどれほどの達成を成していただろうと想像せずにはいられない、あまりにも、あまりにも早すぎる天才の死でした。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
>>ページトップに戻る