ダニエル・バレンボイムに見出された逸材、アメリカのチェリスト、アリサ・ワイラースタインが、チェリストの定番、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の録音をリリースした後に来日したのは、2014年2月のことだった。
このアルバムは、彼女ののびやかで情熱的な響きが存分に発揮されたもので、選曲もワイラースタインならではの個性的な構成となっている。ドヴォルザークの祖国を思う気持ちとアメリカで書いた作品をリンクさせ、ふたつの国での作曲家の精神の在り方へと踏み込んでいるからである。
ピアノとの共演による《私にかまわないで》《家路》《森の静けさ》などはニューヨークで録音。まさにドヴォルザークの足跡を音楽でたどっているような形をとっている。聴き手はドヴォルザークの生き方に触れることができ、各作品の内部へといざなわれるのである。
バレンボイムは若手演奏家の発掘や支援に尽力していることで知られるが、ワイラースタインも若くして彼に認められ、ドヴォルザークの録音の前のデビューCDでは、バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンとの共演でエルガーのチェロ協奏曲を録音している。
「この作品はデュ・プレの名演があり、バレンボイムは作品を知り尽くしています。ですから、私はこれまで触ってはいけない曲のように思っていました。でも、マエストロにお会いして演奏を聴いてもらったときから初録音までトントン拍子に話が進み、マエストロから学ぶことは多いと考え、勇気をふりしぼって録音に臨みました」
こう語るワイラースタインは、最初にバレンボイムにカーネギーホールの楽屋で演奏を聴いてもらったときは、何も覚えていないほど緊張していたという。
(c)Jamie Jung
「本当に緊張の極致でした。演奏後には放心状態となり、無意識のうちにセントラルパークを歩きまわっていたんです。まるでゾンビのようになってしまい、ただ川のほとりにすわっていたんですよ(笑)。バレンボイムは、それからしばらくして私の初録音にエルガーを指定したばかりではなく、ヨーロッパ・ツアーにも参加するようにといってくれました。もちろん、エルガーのチェロ協奏曲は子ども時代から大好きな作品で、デュ・プレは私の敬愛するチェリストです。この話を聞いて震えが止まらない感じでした。でも、こんなチャンスはニ度とありません。私はありったけの勇気を振り絞り、自分を奮い立たせ、エルガーの録音に挑戦しました。この作品は二面性を表現することが大切です。情熱的な面と内省的な面。その対極を表現したつもりです」
ワイラースタインの幸運はその後も続く。前述した第2弾の録音に、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の話が決まったからである。しかも、ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルとの共演で、プラハのドヴォルザーク・ホールで録音するという、すばらしい状況である。
「ドヴォルザークのアルバムでは、作曲家の祖国や家族を思う強い気持ちを描きたかったのです。そして選曲にもこだわりました。チェロ協奏曲のあとに、この作品に関連する《私にかまわないで》を収録したのも、協奏曲はプラハ、他の作品はニューヨークで録音したのも、ドヴォルザークの感情を表現したかったからです。このジャケット写真、ボヘミアの森で撮影したんですよ。《森の静けさ》も録音していますが、森を訪れてその空気に触れ、ドヴォルザークの真意が理解できたような気がしました。作品のあらゆるところに故郷を思う気持ちが込められているからです。プラハでは、本当に得難い経験をすることができました。作曲家の魂に触れ、作品が生まれた土地の空気を吸い、自分のなかで作品が熟成していくのをひしひしと感じたからです」
ワイラースタインは4歳のときに自分の意志でチェロを始めた。「チェロのすべてが好きなんだもん」といい張り、チェロが生涯の友となっていく。以後、歴史に名を残す名手たちの数多く録音を聴き、楽譜をとことん読み込む姿勢を貫き、いまや世界各地で演奏する国際的なアーティストに成長した。
性格は明るくとても前向きで、大変な努力家ゆえ、多くの音楽家に愛され、共演のオファーがあとを絶たない。だが、自身も糖尿病と戦っているため、2008年11月、国際若年性糖尿病研究財団のセレブリティ・アドヴォケイトになった。
「病気との闘いは生涯続くと思います。でも、それに打ち勝つ力を音楽は与えてくれます。同じ病気で苦しんでいる人たちに、少しでも勇気を与えることができたらと思い、いろんな活動をしています」
彼女の演奏はエネルギッシュで情熱的。非常に説得力のある音楽で、聴き手の心を瞬時につかむ。もちろんテクニックは多くの指揮者が絶賛するものを備えているのだが、特筆すべきはその表現力である。作曲家がその作品で何をいいたかったのか、何を表現したかったのかを楽譜から読み取り、自分のなかで存分に咀嚼し、完璧に自身の音楽として聴き手の心へと届ける。
インタビューでは、相手の目をまっすぐに見据え、はげしさを秘めた表情で切々と話しかける。だが、ときおり非常に陽気で屈託のない、気さくな表情を見せる。ひとつひとつの質問にもじっくりことばを選び、ていねいに答える。多分にユーモアを交えながら。
そして大切な友、チェロについて聞くと……。
「使用楽器は名工ドメニコ・モンタニャーナが1730年頃に製作したものです。約2年前、全くの偶然でこの夢の楽器に巡り会いました。アマチュアのチェロ奏者が持っていたもので、ほとんど無傷の美しいチェロです。初めて音を出したときは、自然に涙が出ました。本当に素晴らしい楽器です。それ以来この楽器を弾き続けていて、幸運にも約半年前に支援してくださっている皆さんの援助で買い求めることができました。この楽器とともにいろんな曲を弾き、説得力のある音楽家になりたい!できることなら、無伴奏作品だけでプログラムを組み、チェロと一体化した音楽を奏でたいと思っています」
そんな願いが実現することになった。やはりこだわりの選曲である。ドメニコ・モンタニャーナのチェロと奏でる魂の歌を聴き取りたい。
(文:伊熊よし子 写真:Decca/Paul Stuart ) |