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インタビュー 清水直子

王子ホールマガジン Vol.33 より

世界屈指のオーケストラの屋台骨を支えるプレイヤーの1人といって差し支えないだろう――清水直子は土屋邦雄や安永 徹といった先駆者に続いてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に迎えられ、10年以上にわたって首席奏者を務めてきた。ベルリンを拠点として粛然と音楽の道を歩む姿は、TBS『情熱大陸』でも紹介されたので記憶されている方もいるだろう。王子ホールには2007年1月に夫であるオズガー・アイディンとのリサイタルで、次いで08年12月に自身の立ち上げたピアノ五重奏団「アウラータ」の一員として登場し、2011年7月には、王子ホールを日本でのホームグラウンドとする東京クヮルテットと、2日間にわたってモーツァルトの弦楽五重奏曲を全曲披露してくれた。この記念碑的な公演に先立って、東京クヮルテットのメンバーが現代最高のヴィオラ奏者の1人と称賛する彼女に話を訊いた――

清水直子(ヴィオラ)

1997年ミュンヘン国際音楽コンクール・ヴィオラ部門にて、ユーリー・バシュメット以来21年ぶりの第1位を受賞。95年マルクノイキルヘン国際コンクール優勝。96年ジュネーヴ国際音楽コンクール最高位(1位なし2位)、併せてオーチャードホールアワード受賞。98年大阪文化祭賞受賞の他、ヤング・コンサート・アーティスツの国際オーディションに第1位で合格、同時に数々の賞を受ける。 桐朋学園大学でヴァイオリンを広瀬悦子、江藤俊哉に、ヴィオラを岡田伸夫に師事。93年ヴィオラに転科し研究科修了。94年よりドイツ・デトモルト音楽大学で今井信子に師事。ソリストとして東京フィル、読売日本交響楽団、新日本フィル、日本フィル、東京シティ・フィル、東京交響楽団、神奈川フィル、仙台フィル、紀尾井シンフォニエッタ、名古屋フィル、スイス・ロマンド管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、南ドイツ放送交響楽団、フランクフルト市立歌劇場管弦楽団、ヴュルテンベルク・フィル、ハレ管など、国内外のオーケストラと共演を重ねている。北米でもニューヨーク、ワシントンDCにてデビューリサイタル、ニューヨークにてコンチェルトデビューを果したほか、ヨーロッパ各地でコンサートを行っており、2001年2月より、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席ヴィオラ奏者として活躍。ミュンヘンコンクール入賞者で結成したアウラータ・クインテットのメンバーとして、また夫でありピアニストのオズガー・アイディンとのデュオでも各地で演奏を重ねている。

 

不真面目な学生?

超難関のミュンヘン・コンクールを制し、その後世界最高峰のオーケストラで首席奏者を務めるまでになった演奏家が『不真面目』なわけはなかろうが、学生時代の清水直子は、本人の言葉を借りると――「不真面目というか、やる気がないというか……クラスのなかでわけも分からずフワフワと泳いでいるような存在」だったとか。
 幼少期よりヴァイオリンを習っていた彼女は、桐朋学園在学中、他の生徒と同じくヴィオラも演奏した。
 「学生生活の後半では頻繁にヴァイオリンとヴィオラを持ち替えで弾いていました。両方の楽器を素晴らしく演奏される方もいらっしゃいますけど、私の場合は性格上どちらかに決めたほうがよかった。そのまま続けたらダラダラといってしまうような危機感を持っていたこともあり、桐朋の研究科を卒業する時期にヴィオラ一本に絞ろうと決心したんです」。
 そう決めてからは、以前ヴァイオリンの仕事をオファーしてくれた人々には、今後は仕事を引き受けられないと申し出たとのこと。駆け出しの時期に仕事を断るというのは勇気の要ることだが、ヴィオラに集中したいという意志は固かった――それだけひたむきにヴィオラに取り組むようになった背景には何があったのだろう。
 「学生時代は室内楽に積極的に取り組んでいて、当時カルテットでヴィオラを弾くのがすごく楽しかった――ということもあるんですが、ヴィオリストとしてやっていこうとはっきり自覚するようになったのは、研究科に進んで岡田伸夫先生の門を叩いた後でした。岡田先生は自分のような生徒も優秀な生徒さん達も分け隔てなく、一生懸命に教えてくださいました。なにしろ初めの頃は練習もせずにレッスンに通っていた私のような生徒――しかも子供ではなく、いい歳した学生――に向かって先生は『人間は食べないといけないし、眠らないといけない。音楽家だったら練習もしなきゃいけないんだ』と、淡々とおっしゃる。そこではじめて『あ、そうか』と気づいた自分も、今思えばどうよ?!って感じですけど(笑)。とにかくその熱意に感化され『私でもできるかもしれない』と思えるようになってからは、先生のおっしゃることを一言一句聞き逃さないつもりで、レッスンに通いました。でも、教わったことを一生懸命試してはみるものの、間違いや失敗を恐れてばかりいて、今ひとつ自分の殻から出られなかった。それが、ドイツに行ってそれまでとは全く違った環境に飛び込み、今井先生に出会って無我夢中で勉強するうちに、だんだんと自分自身とともに演奏も変わってきたというか……。私にとって、岡田先生と今井先生、2人の素晴らしい師と人生上の良いタイミングで出会えたことは、何よりの幸運でした」。

十年一日の如し

ドイツに渡った清水直子は、1997年にミュンヘン国際音楽コンクールのヴィオラ部門でユーリ・バシュメット以来21年ぶりとなる第1位を獲得、その後はリサイタルを行ったり、ソリストとして各国のオーケストラと共演を重ねてきた。そして2001年、首席ヴィオラ奏者としてベルリン・フィルに入団する。
 「若い頃は何でもチャレンジしてみようという意識があって、ソロや室内楽などいろいろな活動をしていました。ベルリン・フィルに関しても半ば『当たって砕けろ』のような意識でした」。
 それがもう10年になる。
 「恐ろしい(笑)。あっという間でした」。
 オーケストラの活動の傍らで夫のオズガー・アイディンとのデュオや、その他の室内楽も行っているが、仕事のバランスはベルリン・フィル入団時と今とで変わってきたのだろうか。
 「私は何でも時間がかかるタイプなので、オーケストラも10年経ってやっと慣れてきたかなという感覚です。レパートリーに関しては、蓄積ができてきたので、前ほど新しい曲に時間を費やさなくてもよくなりました。そういった意味では『さすがに10年やってきたんだな』と実感します。時間的にも精神的にも余裕がでてきて、入団当初は、室内楽は好きでも時間がないという状態だったのが、最近では無理なく自分のサイクルに組み込むことができるようになってきました」。
 室内楽でいうと、2008年に王子ホールでも演奏したピアノ五重奏団「アウラータ・クインテット」の活動も気にかかるところだ。
 「アウラータに関しては、ヴァイオリンの岡崎慶輔さんがチューリッヒ歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任され、コントラバスのナビル・シェハタさんがミュンヘンの教授になられたので、なかなか集まりづらい状況なんです。けど室内楽自体は他にもやっていて、最近ですと、東日本大震災の後に行われたチャリティ・コンサートで、同じベルリン・フィルの樫本大進さんと町田琴和さんと一緒にドヴォルザークの弦楽三重奏曲を演奏しました。まだこの先もいろいろな可能性が出てくると思います」。

東京クヮルテットとの共演

そうした可能性のひとつがこのたび王子ホールでも実現した東京クヮルテットとの共演である。
 「東京クヮルテットとは2009年にドイツで初めて共演させていただいて、今年の3月にもイタリアで5公演ご一緒しました。すごく貴重な、自分には想像もできなかった素晴らしい機会をいただいたと思っています。何しろ、例えば演奏者一人でベートーヴェンのソナタを全曲演奏できてしまうピアニストなどと違って、どれだけ好きでもヴィオラ弾き1人ではクインテットは演奏できない(笑)。そんなところに、東京クヮルテットという素晴らしいアンサンブルに加わらせていただけるというのですから、室内楽好きにとっては堪らない、うれしい出来事です」。
 7月7日、8日は2日間にわたってモーツァルトの弦楽五重奏曲を演奏するという、稀有な演奏会となった。
 「全曲をいっぺんに演奏するというのはあまり聞きませんよね。昔、ベルリンの友人と企画したことがあるのですけど、結局企画が頓挫してしまいました。やはり全曲演奏というのは実現が難しいなと思っていたんです。だから6曲全部弾けるというお話を伺ったときに、『これはすごい!』と興奮しました。本当は聴くだけでもよかったぐらいなのに、演奏にまで参加させていただけるとは(笑)」。
 2012年には、再び同じ顔ぶれでブラームスの2曲のクインテットを演奏する予定となっている。モーツァルトとブラームス、どちらのクインテットがお好みなのだろう。
 「今回再びモーツァルトのクインテットを練習しながら、つくづく名曲揃いだと改めて実感しています。もちろん彼のカルテットには素晴らしい曲がたくさんありますけど、そこに内声がひとつ増えるだけでまた別の世界が一気に広がる。ブラームスのクインテットと比べると、また全然違って……どちらが難しいとか難しくないとか、そういったことではありません。ただ、モーツァルトのほうが怖いかな……でもそれは明日明後日と6曲まとめて演奏しなければならないからかも(笑)。ブラームスにしてもモーツァルトにしても大事なレパートリーであることに変わりはないし、どちらもごまかしはききません。作品がどう違うかというよりは、2人の作曲家がどう違うかということでしょうね。聴くかたの好みにもよるでしょうし、演奏する私自身もどちらが好きか決められません、というよりどちらも好きです(笑)」。

公私にわたるパートナー

もうひとつ、清水直子の活動の柱となっているのが、夫のオズガー・アイディンとのデュオである。2人での演奏は「細く長く続けていく」のが彼女の望みのようだ。
 「演奏会のペースは年によって変わります。去年は一緒に弾く機会が多かったのですけど、主人は何年か前から五嶋みどりさんにお声をかけていただいていて、今年はヴァイオリン・ソナタのレパートリーに一生懸命取り組んでいます(笑)」。
 それぞれに演奏経験を積んだうえで再び音を合わせることで、また新たに見えてくる景色があるという。 「毎日の試行錯誤や、いろいろな方といろいろな場所での演奏経験を経て、お互いの演奏や考え方も変わってきます。2年や3年といった時間を置いて、同じ曲を同じ共演者と演奏すると、その作品が何年か前とは全然違って聴こえることがあるのです。もちろん新しい曲も勉強しますし、べつにサボりたいから同じ曲を演奏するわけではありません(笑)! 私の場合はオーケストラの仕事もありますし、弦楽器のみの室内楽が好きなのでそこをもっと発展させていきたいと考えているところです。そうした経験をふまえた上でまたピアノと合わせると、他で学んできたことが生きてくる。主人とのデュオにはそういう面白さがあるんです」。

育つ人から育てる人へ

オーケストラと室内楽を両立させて10年が過ぎ、自身が言うように「時間的にも精神的にも余裕がでて」きたわけだが、ヴィオラの現在を牽引する存在として、後進の指導も求められるようになったのではないだろうか。
 「私は幸運にも尊敬する先生方に出会えた一方で、『自分は絶対あんな風にに上手く教えられないし、だから教えないほうがいいのだ』とずっと思い込んでいました。でも1年ほど前に今井先生にお目にかかった時に『あなたは教えないの?』という話になって……教えることもいい経験になるし、ためらっていても先には進まない、と。それで私も以前はお断りしていたのですが、最近では学生さんや、普段はヴァイオリンを弾いているけどヴィオラに興味がある方などの演奏を聴かせていただくことがあります。それから、学生時代の友人が音楽大学で教えていて、マスタークラスをやらないかと声をかけてくれるので、会いがてら出かけて行ったり……」。
 先々日本でもマスタークラスを開講してほしいというような話が出てくるだろう。
 「長いこと教わる側、吸収する側にいたので、いざ自分が教える側に、となると心許なく感じるのですが、やはり、自分が学んできたことを若い世代に引き継いでいかなければならない、という思いも生まれてきました。ですからこの先はオーケストラと室内楽に加えて、教えるという活動も徐々に入ってくるかもしれません」。
 当代きってのヴィオラ奏者として活躍を続ける清水直子は、日本人やドイツ人に限らず多くの若手奏者が憧れる存在である。その彼女の薫陶を受けて羽ばたく若手アーティストがいつ登場するのか、楽しみに待ちたいところだ。

 「3月の大震災があってから、何が自分にできるのかということをずっと考え続けています。毎日チャリティコンサートができるわけではもちろんないですけれど、私を含め、皆さんそれぞれのやり方で貢献しようと考えていらっしゃるのではないでしょうか。7月のコンサートが終わったら、震災ボランティアとして被災地に赴くことも考えています。ただし先が長いことなので、あまり思い詰めて自分が倒れてしまうようでも困りますよね」。
最後にその他の活動予定について訊ねたところ、このような答えが返ってきた。国内外の多くの音楽家同様、彼女の気持ちも被災地に向けられている。「私は音楽をやるだけで精一杯です」と言って笑うが、その精一杯の音楽は、時として大きな慰めをもたらしてくれることだろう。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:ジャパン・アーツ)

【公演情報】
東京クヮルテットの室内楽 Vol.7 with 清水直子
2012年7月5日(木)、6日(金) 19:00開演(18:00開場)
価格・発売日未定

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