インタビュー モディリアーニ弦楽四重奏団 ロイック・リョー
王子ホールマガジン Vol.51 より 偉大な画家、モディリアーニの名前を冠したこの弦楽四重奏団は、モディリアーニの絵がすぐに画家の名がわかる個性に彩られていることから命名された。その名の示す通り、彼らの演奏も非常に独創的で斬新、自由闊達な音楽性と表現力に彩られている。 |
モディリアーニ弦楽四重奏団 2003年に4人の親友たちによって結成。イザイ四重奏団、W.レヴィン、G.クルタークのもとで学んだ他、ベルリン芸術大学にてアルテミス弦楽四重奏団の指導を受けた。世界の名だたるホールで活躍を重ねており、ウィグモア・ホール、カーネギー・ホール、シャンゼリゼ劇場、シテ・ド・ラ・ムジーク、アムステルダムのコンセルトヘボウ、ウィーン楽友協会、ザルツブルク・モーツァルテウム、チューリヒ・トーン・ハレ、フェニーチェ劇場のほか、ルツェルン、ラインガウ、シューベルティアーデなどの音楽祭などに招かれている。08年よりミラーレ・レーベルとのレコーディングを開始、これまでにリリースされた7つのCDはいずれも各国で高評を得ている。 |
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――このシューマン・プロジェクトは、長年温めていた計画なのですか。 ロイック・リョー(以下「リョー」) そうです、ぼくたちはシューマンが大好きですから。でも、シューマンはピアノ作品であれだけすばらしい物を数多く生み出しているのに、弦楽器用に残された作品は少ない。弦楽器奏者たちはみんなそれに大いなる不満を抱いているんですよ。もっとシューマンの言語を知りたいのに、ああ、フラストレーションがたまるってね(笑)。弦楽器奏者がシューマンを弾くというと、変わっているとか珍しいといわれてしまう。というわけで、なかなか手が出せないわけです。でも、ぼくたちはシューマンが好きですから、みんなでピアノ作品を聴くようにしています。シューマンの神髄に近づきたいからです。 ――今回の選曲は、4人の意見が一致した上で構成したものですか。 リョー すぐに決まりました。1842年というわずか1年間に作曲活動を集約させるような、同じ構成による作品を一気に書いている。その内奥に分け入りたいと思ったのです。シューマンは1曲書くごとにものすごい進化を遂げている。彼は弦楽器の作品を作ることで自分自身を確立していったわけです。今回はその進化が味わえると思います。 ――まず、弦楽四重奏曲第1番は、どのように考えていらっしゃいますか。ロマンあふれる美しい作品ですが……。 リョー 確かに最初に書かれた弦楽四重奏曲として、とても印象深いですね。水が湧き出てくるようにフーガ的な書法が用いられています。そして他の声部が徐々に大きくなって内へ内へと入り込んでいく。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲をモデルにしたんだろうなと思いますが、随所にシューマンらしい音が聴こえる。第1主題の登場は非常にノスタルジックで、それが第2主題とスケルツォに発展していくとワーグナー的な様相も帯びてくる。おそらくドイツの悲劇的な伝説に結びついているのではないかと考えられます。第2楽章は非常にゆったりとして美しい。第3楽章は比較的かろやか。こういう楽章をかろやかに弾けたらいいなあ(笑)。 ――シューマンらしい音、というのは、ことばで説明することはできるのでしょうか。 リョー 難しいけど、やってみましょう。シューマンはまさにロマン派の作曲家で、繊細で傷つきやすい詩人のように思われ、触れると血が噴き出てきそうな危なっかしい人物のように思われていますが、けっしてそれだけではないと思います。彼は常に自分の感情を抑制することができた。ストレスが極端に多かったようですが、それを乗り越えて次に進んでいくような強さを感じます。それが音楽に現れているのです。シューマンはピアニストになりたかったのになれなかった。すぐそばには愛するクララがいて、自分が夢見ていたピアニストの道を華麗に歩んでいる。どんな気持ちだったのでしょう。当時はまだ作曲家としての評価は高くなく、批評家としては認められていましたが、本名を使わずペンネームで書いています。自分の名を書く勇気がなかったのでしょう。シューマンはピアノ作品の傑作を数多く生み出しましたが、自分で演奏することはできませんでした。作曲のプロセスに閉じこもっている。でも、これがシューマンの個性だと思います。特有の神話世界を築き上げています。ピアノ作品の「謝肉祭」にあるように、オイゼビウスとフロレスタンという筆名を用いたのは、彼にふたつの顔があったからでしょう。それらすべてがシューマンの音として楽譜に残されている、それを表現したいのです。 ――第1番では、オイゼビウスとフロレスタン的な面はどこに感じられますか。 リョー スケルツォかな。目の前に情景が浮かび、それが変化していくから。第1番は、導入の3、4小節だけで作品の在り方がわかる、まさに情景描写。多面的な景観が見えるのです。ベートーヴェンの「第九」からの引用も伺えます。終楽章は田園の描写ですしね。 ――第2番になると、その書法と内容、構成が変容していくわけですね。 リョー そう、シューマンは新しいステージに向かっていく感じがします。必然的に作曲法がどんどん進化して、実験ラボのようになっている。当初、シューマンは弦楽器の扱い方には自信がなかったようですが、書き進めていくうちにどんどん成熟し、この第1楽章は非常にノスタルジックですばらしい。ぼく自身が大好きな楽章です。第2、第3楽章になると、より技巧的には難しくなります。印象としては深い海にもぐっていくよう。シューマンの抱えている孤独、憂愁、苦悩、愛などすべてが音に込められています。 ――この第2番は、あまり取り上げられる機会のない作品ですよね。 リョー 確かに、プログラムに単独で入れるのは難しいでしょうね。でも、今回シューマン・プロジェクトのために練習を続けるなかで、みんな第2番が大好きになったのです。いまでは、ぼくたちこれが一番好きかもしれない、と全員が思っている。 ――そういう曲を作り上げていく段階では、お互いに意見を出し合う形で進めるのですか。あるいは演奏だけで表現するのですか。 リョー うるさいほどにしゃべりまくりますよ。もちろん共通点があり、感覚的にはみんな近いので、完全に対立することはありません。学生時代からの仲ですからね。みんないいたいことははっきりいうし、基本方針は変わりません。ただし、微妙に意見が食い違うことは出てきます。解釈や表現や方向性に関してですが。ぼくたちはそういうときのために、常にひとりは客観的な立場を取るようにしています。新たな作品を演奏するときは、まず各々が納得いくまで個人で練習を行い、それで一度合わせてみるわけです。そこで喧々諤々となるんですよ。 ――練習は一気に合わせるのですか。 リョー 4人で合わせてから、ふたりずつの練習を行います。組み合わせを変えて、徹底的に練習していきます。全員が面白いことをしたい、新たな試みをしたい、新鮮な音楽を奏でたいと考えていますから、そこに近づくために楽譜を読み込み、不可能を可能にし、アイデアが浮かんだらすぐにみんなに聞いてもらう。それからまた話し合い、リスキーなことも試してみる。そうした段階を経て、4人で合わせると、「喜びの音楽」が生まれるんです。それがぼくたちの究極の願いであり、目標でもあるのですから。 ――では、第3番も解説してください。 リョー ピアニストが作品を書くとこうなるとわかる作品ですね。シューマンはハイドンやモーツァルトやベートーヴェンのように、弦楽器を実際には弾いていませんよね。ですから作品も非常にピアノの要素が強く感じられる。ピアノだとこの流れは楽に表現できるんだけど、弦楽器ではうまく流れないという箇所が随所に見受けられます。それをぼくたちはテクニックをひたすら磨き、流麗な音楽になるよう鍛えていくわけです。この苦労、わかってくださいね(笑)。シューマンの作品を弾くとき、この面を理解しないとうまくいきません。弦楽四重奏は脳みそひとつで演奏しているように聴こえなくてはならないのですが、実際はぼくたちの脳みそは4つある。それをシューマンは絶妙な形で各楽器に振り分けているのです。ルバートひとつとっても、ひとつの音のようにまとまらなくてはなりません。音の流麗さと融合ですね。絶対に不可能と思えるところもあるんですよ。そこがモーツァルトやベートーヴェンの作品とは異なる部分です。 ――第3番は、とりわけ難しい作風が用いられているというわけですか。 リョー 伴奏パートがピアノだったら片手でできるのに、弦で弾く場合はどれだけ難しいか、ということが出てきます。同業者はみんなそれを知っています。ですから、録音をみんなで聴き、「ああ、このカルテットはこういう風にして折り合いをつけているんだな」とか、「いやあ、ずるいなあ。ここはこうやってうまく切り抜けているんだ」などとワイワイいうことになります。シューマンは、弦楽器の作品を集中して手がけることで、長いフレーズをいかに聴かせるか、リリカルな表現をどうするか、4つの楽器にどんな役割を与えるかなど、新しい経験を積み重ねながら作っていったと思います。 ――ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲に関しても、その手法の変化が見られますか。 リョー とても知的な作品だと思います。シューマンは、可能ならば全部の音をそれぞれ保持して、明確に聴かせたかったのではないでしょうか。ピアノと弦楽器の役どころは異なりますが、これらの作品もピアニスティックな書法で書かれています。シューマンの作品は全般にいえることですが、華やかな効果を直截的に訴えかけてくるものではありません。人間性の深いところに訴え、それを探求していく。そういう感情を促す作品だと思っています。ですから、聴いてくれるみなさんが、それぞれ心の奥深いところで受け止めてもらえれば最高です。ぼくたちは、第1番の冒頭から自然にスーッと音楽に入っていきます。聴衆のみなさんも、日常のあらゆることから離れ、一緒に音楽のなかに没入してほしい。自然にシューマンにいざなわれていくように、ぼくたちは心を込めてひたむきに演奏します。第3番の緩徐楽章はことばで表現できないほどの美が存在し、終楽章は本当にユニーク。ピアノのアダム・ラルームは若き実力派で、作品に新たな風を吹き込む新鮮な演奏をします。ぜひ楽しみにしてください。 ――以前、弦楽四重奏団は家を建てるようなもので、チェロが土台、ヴィオラと第2ヴァイオリンが壁、第1ヴァイオリンが屋根と話していましたが、いまも変わりませんか。 リョー 子どものコンサートではそう話ますね、わかりやすいですから。でも、フランスではワインに例えられるんですよ。チェロがボトルで第1ヴァイオリンがラベル、ヴィオラと第2ヴァイオリンが中身とね。いつもローラン(ヴィオラ)とぼくは壁だけじゃないよと話しているので、この例えは大好きなんです。 ――でも、第1ヴァイオリンがラベルとは。 リョー いいじゃない、ラベルはみんなが真っ先に見るし、一番目立つんだから。ぼくらのワインには金ピカのラベルを貼っておけばいいんですよ。あっ、本音をいっちゃった、フィリップ、ごめん(大爆笑)。 ――「喜びの音楽」、楽しみにしています。 (文・構成:伊熊よし子 写真:横田敦史 協力:KAJIMOTO) |
【公演情報】 モディリアーニ弦楽四重奏団 with アダム・ラルーム |