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インタビュー マハン・エスファハニ

王子ホールマガジン Vol.52 より

欧米の音楽シーンで異彩を放つ新世代のチェンバロ奏者、マハン・エスファハニが王子ホールに初登場します。イランに生まれ、アメリカで育ち、世界各地で研鑽を積んだ彼は、わずか30歳でロンドンのギルドホール音楽演劇学校の教授に就任。チェンバロの新たな地平を切り拓くアーティストとして注目を集めています。9月のリサイタルに先立ち、イギリス在住の音楽ライター後藤菜穂子氏によるインタビューをお届けします。

マハン・エスファハニ(チェンバロ)

「非凡なる才能」(タイムズ紙)、「繊細にして躍動的」(アーリーミュージック・トゥデイ誌)などと評されるイラン系アメリカ人。大統領奨学生としてスタンフォード大学で学び、ボストン、ミラノ、プラハで研鑽を積んだ後に英国オックスフォード大学ニュー・カレッジのレジデント・アーティストに就任。2010年秋にオックスフォード大学キーブル・カレッジの名誉会員にも選ばれ、15年、弱冠30歳でギルドホール音楽演劇学校の教授に就任。ソリストおよび客演指揮者としてイングリッシュ・コンサート、コンチェルト・ケルン等に招かれるほか、BBCプロムス、レーゲンスブルク古楽音楽祭、ニューヨークのメトロポリタン美術館ほか各地で演奏。CDも高い評価を得ており、14年6月には名門ドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、翌年5月、DGデビュー作の「TIME PRESENT AND TIME PAST」をリリースした。

 

――エスファハニさんは子供の頃からチェンバロに夢中だったとうかがっていますが、チェンバロという楽器に目覚めたのはいつでしたか?

マハン・エスファハニ(以下「エスファハニ」) 8歳頃だったと思います。家にチェンバロがあったわけではなく、習っていたのはピアノでした。当時、父に連れられてよく図書館に行き、いろんなレコードを借りて聴いていました。最初に聴いたチェンバロの録音は、カール・リヒターの弾くバッハのチェンバロ協奏曲集でした。ドイツ・グラモフォン[以下、DG]レーベルのカセットだったのを覚えています。以来すっかりチェンバロの虜になり、図書館にあるチェンバロのレコーディングを片端から聴いていきました。同じくDGレーベルのラルフ・カークパトリックのバッハ全集のレコードも聴きました。うちのレコード・プレイヤーでは半分のスピードでの再生ができたので、遅いスピードで聴いて彼がどのように弾いているのかを自分の楽譜に書き入れたりもしました。とにかくチェンバロにはまっていた子供時代でした。

――アメリカでお育ちになったそうですが、お生まれはどちらですか?

エスファハニ 生まれはイランのテヘランです。両親はイラン人ですが、僕が4歳の時にワシントンDCに家族で移り住みました。僕は一人っ子です。両親はともに公務員なので、僕にも定職に就いてほしいと願っていて、音楽家になることには反対していました。今ではアメリカでの僕の演奏会には必ず聴きに来てくれますし、応援してくれていますが、それでも心の中では定収入のある職についてほしいと思っているようです。

――チェンバロを実際に学び始めたのはいつですか?

エスファハニ チェンバロを本格的に学び始めたのは18歳、大学に入ってからでした。スタンフォード大学へ進学し、専攻は音楽学でしたが、チェンバロのある下宿を探し、ようやくチェンバロを学び始めたのです。子供の頃からずっと憧れていましたが、自分自身がプロのチェンバロ奏者になれるとは想像もしていませんでした。振り返ってみると、いろんな幸運と偶然が重なり、奏者になることができましたが、どこかで違う選択をしていたらなっていなかったかもしれません。

――子供の頃にもっとも憧れていたチェンバロ奏者は誰でしたか?

エスファハニ カークパトリック(Ralph Kirkpatrick, 1911〜1984)です。彼はアメリカの偉大なチェンバロ奏者で、僕が生まれた年に亡くなりました。いわばランドフスカとレオンハルトをつなぐ存在だったといえるでしょう。チェンバロのための現代曲もずいぶん演奏し、エリオット・カーターの二重協奏曲なども初演しました。彼はホロヴィッツからもレオンハルトからも等しく尊敬されていました。
僕は彼のことを崇拝していました。今も彼の写真を部屋に飾っていますし、彼自身が所有していた《ゴルトベルク変奏曲》の楽譜も持っています。

――エスファハニさんは、チェコの往年の名チェンバロ奏者ルージチコヴァー(Zuzana Růžičková, 1927〜)に師事されています。ルージチコヴァーに師事するようになったきっかけは?

エスファハニ 僕はスタンフォード大学を卒業後、ヨーロッパに渡り、しばらくイタリアでバロック指揮者のアラン・カーティスのアシスタントとして、オペラのコンティヌオ奏者をしていました。そうした時に〈BBCニュー・ジェネレーション・アーティスト〉という若手育成プログラムに選ばれて、一気にコンサートの回数が増えました。そんな中で、自分はまだチェンバロ奏者としての訓練が足らないことを痛感し、ルージチコヴァー先生の門を叩いたのです。
 先生からはチェンバロの主要なレパートリーをみっちり学びましたーー《平均律第一巻》、ラモーのチェンバロ作品すべて、C.P.E.バッハのソナタ集、ウィリアム・バードの曲多数など。先生は現役時代、バードをはじめとする英国音楽をずいぶん演奏されていました。それから20世紀のチェンバロ協奏曲ーープーランク、マーティヌー、ヴィクトル・カラビス、ミヨー、ファリャの協奏曲などーーもレッスンしてもらいました。 先生に師事するようになって、ようやく自分がプロの音楽家としての道を歩み始めたという実感がありました。
 先生から学んだもっとも重要なことは、自分の演奏についてできるだけ批判的に考えるということです。

――さて、9月の来日はエスファハニさんにとって二度目の来日となります。王子ホールでのリサイタルではバッハの《フランス組曲》第4〜6曲を中心としたプログラムを取り上げます。このプログラムの聴きどころについておきかせいただけますか。

エスファハニ 《フランス組曲》は、バッハのなかでは軽やかな作風の作品だと言えるでしょう。バッハの中期、すなわち円熟期にさしかかった頃の作品で、その高度で知的な作曲技法が、シンプルかつ分かりやすい作風へと純化されています。きわめて旋律的で、比較的不協和音が少なく、協和な響きから成っています。大部分が二声で書かれ、ジーグでは三声になったりしますが、でも三つの声部がずっと維持されることはまれで、二声になったり三声になったりします。バッハは一世代上のマッテゾンやクーナウの組曲を手本にしたのでしょう。
 私は《イギリス組曲》や《パルティータ》も大好きですが、《フランス組曲》は聴き手の心にダイレクトに語りかけることのできる音楽だと思います。最近英国でこのプログラムを演奏した時も、聴衆がすぐに反応してくれるのを強く感じました。
 その一方で弾く側としては、《フランス組曲》は音も比較的少ないですし、曲を信頼する勇気が必要です。子供の頃、モーツァルトのピアノ・ソナタよりもハイドンやベートーヴェンのソナタのほうが情報量が多くテクスチュアも厚くて弾きやすく感じたのと同じです。音が少ないからといって、けっして弾きやすいわけではありません。今回のプログラムでは、こうしたバッハの軽やかな側面を楽しんでいただければと思います。

――バッハは今後もしばらくエスファハニさんのご活動の中心を占めることになりますね。

エスファハニ はい、この秋にはバッハの《ゴルトベルク変奏曲》のディスクがリリースされます。DGレーベルでの2枚目の録音です。そして、2016年末から22年にかけて、ロンドンのウィグモア・ホールでバッハの鍵盤作品全曲演奏プロジェクトを16回シリーズで行い、ライヴ録音する計画もあります。ウィグモア・ホールのような由緒ある会場でこうした大がかりなシリーズを演奏できることをたいへん光栄に思っています。

――その一方でエスファハニさんは、バロック時代の音楽のみならず、20世紀以降のチェンバロのレパートリーも積極的に取り上げていらっしゃいます。DGレーベル第1弾のディスクは “Time Present and Time Past”と題され、17〜18世紀のA.スカルラッティやバッハから、20世紀のグレツキやライヒまで収録されています。チェンバロをバロックの楽器に限定したくないということでしょうか。

エスファハニ そのとおりです。もちろんチェンバロにとってバロックのレパートリーは膨大で、バッハ、バード、ラモー、フレスコバルディら多くの大作曲家に恵まれています。
 しかしながら、彼らの音楽だって作曲された当時すべてすぐに受け入れられたわけではありません。バッハもラモーも、一部の作品は当時ひじょうに風変わりな音楽だと思われていたわけです。すなわち、音楽というのはつねに流動的で変化しているのであり、その評価も時間とともに変わりうるということです。その意味で、現代の音楽もつねに変化しているものなので、聴衆のみなさんもそのことを受け入れ、好き嫌いという基準で聴くのではなく、今という時代を生きる者として、新しい音楽にも積極的に関わってほしいと強く願っています。

――20世紀後半のある時期から、チェンバロはバロック音楽限定の楽器になってしまった印象があるのですが、それはなぜなのでしょう。

エスファハニ 20世紀初頭にランドフスカ(Wanda Landowska, 1879〜1959)がチェンバロを復興させたわけですが、その後20世紀後半にいわゆる「古楽復興運動」が起こり、そこで歴史の流れが変わったのだと思います。20世紀のチェンバロ作品のカタログを見てみると、1985年頃でほぼ途絶えてしまっていることがわかります。20世紀最後のチェンバロの名作である武満 徹の《夢みる雨》、ナイマンやグレツキのチェンバロ協奏曲、リゲティの《ハンガリアン・ロック》などはいずれも1970〜80年代の作品です。
 20世紀の古楽の復興には二つの段階があり、20世紀前半にはヒンデミットやストラヴィンスキーなど現代作曲家たちが古楽に関心を持ち、チェンバロのために作曲し、ランドフスカやカークパトリックがそれらの曲を初演しました。たとえばランドフスカはプーランクやファリャの協奏曲を初演しています。
 しかし戦後の古楽復興運動は、歴史的なチェンバロが再現されるようになったことも関係していると思うのですが、現代音楽とは別の方向に進んでいきました。とりわけ影響力の大きかったレオンハルトおよびその弟子たちが現代音楽をほとんど弾かなかったことも大きな要因だと思います。

――エスファハニさんは最近では、BBC交響楽団、ロサンジェルス・フィル、シアトル響、シカゴ響などのモダン・オーケストラとも共演されていますね。

エスファハニ はい、ここのところ共演の機会が増えてきました。私にとってはたいへんポジティブな経験で、暖かく迎えてもらっています。
 昨年はシカゴで急遽代役としてプーランクの協奏曲を弾いたのですが、そもそもシカゴ響でチェンバロ協奏曲が演奏されたのは、なんと1928年のランドフスカ以来だったそうです! その時彼女はヘンデルのチェンバロ協奏曲を弾いたそうです。したがって、モダンのチェンバロ協奏曲を弾くのは団員にとってまったく初めてだったのです。
 シカゴでもシアトルでもコンサート後に団員が僕のところに来て、「新しい体験をさせてくれてどうもありがとう。子供たちも聴きにきて気に入っていました」と口々に話してくれたのが嬉しかったです。ある意味、彼らはチェンバロに対する先入観がないので、私にとっても新鮮な体験で、チェンバロと初めて演奏する団員の表情を見るのも興味深いです。
 僕はつねづね、リスナーのみなさんにチェンバロに対して先入観なく接してほしいと思っています。とにかく、チェンバロはピアノとはまったく違う楽器なのですから、いつまでもピアノと比較しないで、独立した楽器として見てほしいと思っています。チェンバロが古楽に限定した楽器としてではなく、メインストリームの楽器として認められることが僕の願いです。 (2016年2月20日、英国バースにて)

(文・構成:後藤菜穂子 写真:Marco Borggreve, Bernhard Musil / DG 協力:ユーラシック)

【公演情報】

マハン・エスファハニ  ~チェンバロ独奏演奏会~
2016年9月16日(金) 19:00開演(18:00開場)
全席指定 5,000円

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