インタビュー レ・ヴァン・フランセ
王子ホールマガジン Vol.27 より 4回の日本ツアーを経て、レ・ヴァン・フランセは現代最高峰の室内楽アンサンブルとしての実力を存分に示してきた。一人ひとりの奏でる音色の豊かさはもちろん、アンサンブルの精緻さ、そしてドリームチームとしての存在感も驚嘆すべきもので、聴衆はもちろん、舞台袖にひかえるスタッフも彼らの集中力の高さ、切り替えの早さには毎度のことながら舌を巻いている――何しろ開演直前まで男子校の昼休みかと思うほど騒いでいた連中が、ステージに上がった途端、ほとんどアイコンタクトもしないまま寸分の狂いもない演奏をはじめるのだ。これはソリストとして、オーケストラ団員として、そして室内楽奏者として築いてきたキャリアの賜物なのだろうか。何か集中力を高める秘訣でもあるのか訊ねると、エマニュエル・パユはこともなげにこう答えた。 |
レ・ヴァン・フランセ エマニュエル・パユ、フランソワ・ルルー、ポール・メイエをはじめとする木管楽器のスーパースター達が結成した夢のアンサンブル。2002年3月、アンサンブルとしての初来日時にはNHKでもその演奏会の模様が放映され、予想をはるかに超える完璧な演奏は聴衆に衝撃を与えた。フランスのエスプリを受け継ぐ木管アンサンブルとして、演奏される機会の少ない名曲の紹介、最高の奏者による最高の演奏を心がけ、合奏でも個人の輝きを見せるというフランスの伝統を重んじている。レパートリーによって編成も変わる。メンバーが参加し1999年に発売されたプーランクの室内楽全集のCDは第37回レコード・アカデミー大賞を受賞。以来BMGやEMIよりトリオや『動物の謝肉祭』、フランスの近代曲集のCDが発売され話題をよんでいる。 |
――レ・ヴァン・フランセのメンバーは言うまでもなく第一線のプレイヤーばかりですが、そもそもどうやってこれだけの面子が集うようになったのでしょう? メイエさんやル・サージュさんが中心になって運営しているサロン・ド・プロヴァンス国際室内楽音楽祭がきっかけだったのでしょうか? メイエ その通りです。エリックと僕は学生時代からの知り合いですし、みんな若い頃からの付き合いなんです。 ル・サージュ ポールと出会ったのは18歳ぐらいのときでした。もう25~30年ぐらい前から知っていることになりますね。 エリック・ル・サージュ ――音楽祭を立ち上げたのはいつ頃だったんですか? オダン 15年ぐらい前? ル・サージュ もう17年経ちます。 ――皆さんサロン・ド・プロヴァンス国際音楽祭には参加したことがおありですよね? 音楽祭の様子はどんな感じですか? 全員 スバラシイ! ルルー 世界最高の音楽祭ですよ。 ル・サージュ まず出演するミュージシャンがすばらしい。 メイエ まさに天才的(ジェニアル)な音楽家たちが集っていますね。プログラムも充実しているし。ただし食事はイマイチです(笑)。 ルルー うどんがないのが痛いよね。 ポール・メイエ メイエ 餃子もないし。 ル・サージュ そのうち日本人の料理人を招聘したいな。 メイエ 樫本大進さんとか日本人のアーティストも参加するし、たまには料理も作ってくれるんですよ。でもやはりプロの料理も味わいたい(笑)。 ルルー 出演者はみんなサロン・ド・プロヴァンスという南仏の小都市のお城に宿泊して、ランペリ城という町のシンボル的な建物の中庭でコンサートをやるんです。なので期間中はずっとお城での生活が続きます。 ――そうやって音楽祭や普段の活動を通じて親交を深めていった6人で、レ・ヴァン・フランセを結成したわけですね。 メイエ グループとしてはじめてツアーをしたのは2000年のことです。 オダン それ以前にもこの編成で演奏をしたことはありましたけど、当時はまだレ・ヴァン・フランセというグループ名はなかったですね。 ジルベール・オダン ――レ・ヴァン・フランセとして活動するときに、たとえば楽譜の管理だとか広報担当だとか、役割分担はするのですか? メイエ 特にはないですね。でも僕は主にクラリネット担当です。 ル・サージュ ジルベールはダメ出し係だね(笑)。 パユ そしてエリックは天才として君臨する。 ル・サージュ うん、どうしてもそうなっちゃうよね(笑)。 ルルー 本当なんですよ。エリックが鍵盤に手を置いてメンバーをぐるっと見渡すだけで、演奏がぐっと良くなる。 メイエ さすがピアノの魔術師(笑)。いや冗談はともかく、特に役割分担はしていません。 ――パリやベルリンやミュンヘンなど、皆さんお住まいはバラバラのようですが、プログラムはどうやって決めているんですか? ラドヴァン・ヴラトコヴィチ ヴラトコヴィチ 基本的にはE-メールですね。他のツールを使うこともありますけど、とにかくメールでたくさんやり取りをします。もちろん返信が早い人もいれば遅いひともいて、早いのは『パユさん』ですね。 ――では遅いのは? ヴラトコヴィチ 私です(笑)。 ――あまりメールチェックをしないのですか? ヴラトコヴィチ メールにはきちんと目を通しますよ。けれども他のメンバーにいろいろと検討してもらって、最終的に「それでいいよ」と言うのが私の役割なんです(笑)。 ――レ・ヴァン・フランセが現代最高の室内楽グループのひとつであることに異論のある人はそうそういないかと思いますが、皆さんの考える室内楽の楽しみですとか、室内楽の未来像といったものをお聞かせください。 メイエ レ・ヴァン・フランセは木管五重奏にピアノが入るという特殊な編成のグループです。弦楽四重奏やピアノトリオと違ってレパートリーがあまり多くありません。そのぶん編成を変えていろいろな曲を演奏するのですが、特性の異なる楽器とさまざまな組み合わせで合奏するのはとても楽しいですね。それと、室内楽のこれから……これは何と言っていいか分かりません。室内楽とかオーケストラとかのジャンルにはあまりこだわっていなくて、単に異なるタイプの音楽というふうに見ていますから。 フランソワ・ルルー ルルー レ・ヴァン・フランセは古くからの伝統を受け継いでいます。有名な名前を挙げるとすると、たとえば100年ほど前に活躍したフルート奏者のポール・タファネル。彼も自分のアンサンブルを率いていました。ジャン=ピエール・ランパルもそうだし、ここにいるエマニュエルもそうだし、ソリストとして活躍する管楽器奏者によるアンサンブルというのは昔からあったものなんです。フランス人奏者、そしてフランス流の奏法を身につけた人間による室内楽はヨーロッパにおけるひとつの伝統になっているんです。ですからレ・ヴァン・フランセという団体はずっと昔から続いている音楽的伝統を継承し、次の世代へ伝えていく存在だといえますね。 ――皆さんの後を継げるような若い世代のグループはいますか? 全員 もちろん。 ルルー いるはずだけど、どうやらまだ生まれていないみたいだ(笑)。 メイエ 優秀な若いプレイヤーは全員潰しておいたよ(笑)。 オダン 各地のコンセルヴァトワールでひと暴れしたからね。 エマニュエル・パユ ――皆さん、学校で教えることもあるんですか? ルルー うちにはラドヴァン大先生がいますよ。 ヴラトコヴィチ 教える機会は多いですね。室内楽も教えています。ここにいる人間は皆オーケストラでもソロでも活躍していますが、個人的には室内楽をやるときが一番しっくりきますね。演奏者同士も、演奏者とお客さんの間も非常に親密になりますからね。将来的にどうかという話ですが、この先も明るいと思いますよ。というのも室内楽では大きなスペースも必要とされないし、大規模な聴衆を集める必要もない。それでいてオーケストラやソロ・リサイタルと比べても、その中身の濃さではまったく引けをとりません。難しいのは、今の時代、若い人たちにとって興味の対象となるものは山ほどあるわけで、ある程度は音楽教育によって啓蒙する必要があるでしょうね。だから私は教育に携わり、若い世代の人々とのつながりを絶やさないようにしています。 ル・サージュ 僕は本当に若いときから室内楽に親しんできたから、自分にとってはソロでの演奏も室内楽も別のものだと考えていません。音楽をつくるという点では同じですから。日本では時として壁を感じることがありますね。室内楽とオーケストラの壁、ソリストと「伴奏者(ピアニスト)」の壁……。 オダン 室内楽もオーケストラも同じ芸術の別の顔。室内楽はもちろん、完成度の高い洗練された音楽を楽しむには、ある程度の教養が求められる場合もあります。そういった意味でも教育は大切です。実演と教育というのはお互いに補完しあう関係だと思いますよ。 パユ 教育ということで言うと、音楽学校に限らず、ライブの演奏を体験させるのはとても大事なことです。室内楽やオーケストラやソロといった区分がありますが、重要なのはまず本物の、生の音楽を聴いてもらうことです。それは子供たちにとって掛け替えのない経験になります。そのなかから「自分もやりたい」と願う子供たちだって出てくる。そのためには若い世代をコンサートホールに呼び込むだけでなくて、音楽家が彼らの元へ飛び込んでいくことも必要だと思います。サー・サイモン・ラトルはまさにそうした活動をしています――どんな音楽をやるかは問題じゃない。明日のオーディエンスである若い世代に、音楽家のほうから歩み寄ることが大切なんだ――ラトルは素晴らしいメッセージを発信していますよ。 ――以上です、ありがとうございました。 メイエ よし、じゃあコンサートに備えて…… パユ 緑茶でも飲もう。 (文・構成 柴田泰正 写真 藤本史昭 協力 ジャパン・アーツ) |
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