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王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.24 

入江一雄

Vol.24 入江一雄

王子ホールマガジン Vol.55 より

フォーレのふたつのピアノ四重奏曲の全パートを完璧に頭に叩き込んでリハーサルに臨み、篠崎“まろ”史紀も「こんなピアニストお目にかかったことがない」と舌を巻いた入江一雄は、4月10日に「銀座ぶらっとコンサート」でステラ・トリオ(ヴァイオリン:小林壱成、チェロ:伊東 裕)としてデビューを飾る。藝大在学中に日本音楽コンクールで優勝するなど順調に実績を重ねてきた彼だが、藝大在学中、そしてモスクワ音楽院留学中には、思い悩み、足踏みをした時期もあったようだ――

入江一雄(ピアノ)

東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て同大学・同大学院を首席で卒業・修了。在学時にアリアドネ・ムジカ賞、アカンサス音楽賞、同声会賞、大賀典雄賞、三菱地所賞、クロイツァー賞、大学院アカンサス音楽賞各賞受賞のほか、明治安田クオリティオブライフ文化財団音楽奨学生に選出される。2008年、第77回日本音楽コンクールピアノ部門第1位。併せて野村賞、井口賞、河合賞、岩谷賞(聴衆賞)受賞。同コンクール入賞を機に演奏活動を開始し、ソロだけでなく国内主要オーケストラとの共演や室内楽・アンサンブル等多岐に渡る。これまでに栗原ひろみ、國谷尊之、故・竹島悠紀子、ガブリエル・タッキーノ、植田克己、上野 真、野島 稔に指導を受ける。12/13年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション、15年度文化庁(新進芸術家海外研修制度)より助成を受け、モスクワ音楽院研究科に在籍。エリソ・ヴィルサラーゼに指導を受け、16年7月帰国。17年4月より東京藝大室内楽科非常勤講師。

――音楽との出会い、そしてピアノを始めるに至った経緯を教えていただけますか。

入江一雄(以下「入江」) 母親が熊本の自宅でピアノの教師をやっていたので、ピアノは日常にある音として認識していました。最初はヴァイオリンを始めたんですが、教室の窓から見える車に夢中で楽器を触ろうとしなかったそうです(笑)。ピアノを始めたのは4歳のときで、最初は母に教えてもらっていました。5歳ぐらいのときに熊本から埼玉に引っ越して、小学校低学年のときに東京の國谷尊之先生にみていただくようになりました。レッスンはたしか週1回とか2週間に1回ぐらいだったと思います。先生の前でピアノを弾いて、どんなアドバイスをしてもらえるか楽しみでした。早い段階から初見で弾く練習もするようになり、ベートーヴェンの交響曲の連弾バージョンを1番から順に弾いていきましたね。一緒に演奏するということもそうですし、楽譜を読んだり、ベートーヴェンの交響曲について学んだり、多角的なアプローチのレッスンだったので楽しかったです。辛いと思ったことはなかったです。

――コンクールは小学校時代から受けましたか?

入江 小学校6年生のときに、まさにこの王子ホールで学生音楽コンクールに出場しました。この時期に國谷先生から、ピアノを真剣にやっていくのか勉強をやっていくのか、そろそろ決めたほうがいいというお話がありました。ピアノをやっていきたいという気持ちが強かったので、コンクールを受けることにしました。埼玉から有楽町線に乗って銀座一丁目が近づいてくるにしたがってお腹が痛くなってきて……という苦い思い出もありますし、入賞はできなかったけれど、初めて予選を突破して、演奏から得られる充実感を知ることができました。

――中学校は普通の学校に通って、その後藝大附属高校を受験されたそうですね。

入江 6年生の時点でピアノをやっていくと決意したせいか、そのままごく当たり前のように藝高を受験するという流れになっていました。中学の3年間はそこに向けての準備期間と言っていいかもしれません。そして藝高に受かった時点で「よし、これでプロになれるぞ!」という変な確信が生まれました。「あとは藝大に進みさえすれば将来安泰だろうな」って(笑)。でも大学の途中で、人前で演奏するのが怖くなって、本番でも自分が望む出来が得られない時期がありました。結果を第一に考えてしまうあまり、音楽にどう接するべきなのかを見失っていたんです。それが大学3年の夏ぐらいで、1、2ヶ月間、意識的にピアノを触らないようにしました。でもある日いつの間にかピアノを弾いている自分がいて、やはり自分はピアノが好きなのかもしれないなと。その年の秋には藝大フィルとコンチェルトを演奏する機会があり、気持ちを新たにして臨むことができたので、数ヶ月悩んだのも無駄ではなかったなと思っています。

――その後は藝大の修士課程に進み、その後ロシアに留学したのですね。

入江 昔からエリソ・ヴィルサラーゼに習いたいという希望がありまして、いろいろな方の力添えでなんとか先生に会うことができ、留学が決まりました。モスクワ音楽院では30年の人生のすべての苦労がそこに詰まっていると言っても過言ではないぐらいの経験をしました。1年間はモスクワ音楽院の寮に住んだのですが、トイレは便座がないし紙は流せないところが多いし、5月ぐらいからは地域によってお湯が出なくなったりするし。でもロシアの地方出身の友だちは、「さすがモスクワ、ロシアの学生寮のなかで一番きれいかもしれない!」と感心していました(笑)。
 留学するまでは日本の学校のピアノやコンクール会場のピアノしか弾いたことがなかったのですが、ロシアの楽器はすごく独特で、寮のピアノは鍵盤が抜けていたりペダルが効かなかったり、上の方はどこを弾いても同じ音が出たり、そういうことはざらにあります。学校に行くと古いスタインウェイのフルコンがありまして、それがまたうるさいんですね。やさしく押さえたつもりでもすぐに鍵盤が下りてしまってうるさい音しか鳴らない。以前は強い音を弾くために指を速く動かすとか、指ありきの弾き方だったので、それを一から改めるようにしました。設計図を書くために、鉛筆選びから始める感覚です。これではとうてい人前で演奏なんてできないとも思いましたが、「これを乗り越えればもうひとつ上の世界に行けるのではないか」という希望は持っていました。

――自分が壁を超えたなと確信したのはいつごろですか?

入江 留学2年目に、ヴィルサラーゼ先生のコンサートを聴いたときです。向こうではいろんな人の演奏会を聴きに行って刺激を受けていましたが、このときのコンサートで、なぜ自分がダメだったのかが本当によくわかったんです。自分はこれまで音楽やピアノに接するときに、「ここはこう表現しなければ」と自分を追い込んでいた。自分はこういうことができるんだぞと示すためにピアノを弾いていた。でも先生の演奏からは、自分がどうこうではなく、音楽と向き合う姿勢を感じたんです。作曲家が伝えたかったことに向き合い、それを最大限表現する、それを追い求める。先生はとても口うるさい人で、当たり前のことを細かく指摘するんです。「クレッシェンドと書いていないのになぜクレッシェンドしたのか。そんな余計なことはしなくていい」とか、そういった基本的なことをとても大事にする。演奏を聴いているうちに、「楽譜に書いていることを守りなさい」というのはこういうことなのだな、と気づいたのです。
 ヴィルサラーゼ先生は、クラスの生徒たちに同じようなことを注意するのですけど、その全員が違う演奏をします。ということは教えを忠実に守っても、機械のように一緒の演奏になることはないわけですよね。人が違えば音も違うし、演奏も変わる。だから守るべきところは守らなければならないし、そのうえで個性が出てくるのだなと。そう考えるようになってからは演奏が楽しくなったし、自信を持って人前で演奏できるようになりました。時間はかかりすぎてしまったかもしれないけれど(笑)。

――ロシアものがもともとお好きだったということですが、やはり本場で学ぶロシアものというのは違いますか。

入江 下地はしっかり作れたなと思います。日本にいて自分が勝手にイメージしていたロシア作品と、現地で聴くロシア作品とでは違いました。バッハやベートーヴェンに比べると、ラフマニノフやプロコフィエフが演奏される機会は圧倒的に少ないですよね。ベートーヴェンとかは良し悪しの判断材料が多いけれど、ロシア音楽に関してはヘンテコなものが良いと言われたりしているので、そのあたりは自分のライフワークとして正していきたいという使命感があります(笑)。でも「あいつのロシアものの演奏聴いたけどダメだったぞ」なんて言われないようにしないと。

――この春からは藝大の講師に就任されるそうですね。

入江 はい、2017年4月より室内楽科の非常勤講師を務めることになりました。自分も藝大時代に室内楽科の授業をとって、そこではじめて室内楽に接しました。そして今ではソロよりもコンチェルトや室内楽の機会が増え、それが自分のソロにも活きているので、そういうことを生徒たちに気づいてもらえるような教え方ができるといいですね。

――器楽奏者との共演のイメージが強いのですが、これまでに歌手と共演する機会はありましたか?

入江 ロシアのピアノ教育では歌曲伴奏をとても重要視しています。学部の生徒には、各年次で歌曲の教科書が与えられます。それはロシア歌曲だけではなく、シューマンやブラームスもあるし、イタリア・オペラもある。各年度の前期と後期にその試験があり、1年次では7曲を用意して試験当日に1曲を弾き歌い、1曲を歌手とぶっつけ本番で演奏し、さらに口頭試問があって、作品についての説明が求められます。それが5年生になると、対象が30曲に増え、最終試験では幅広い歌曲に加えてオペラの一場面まで課題になるというかなりスパルタな内容で、それをクリアするのにみんな躍起になっていますね。自分は研究科だったのでそれほど厳しくなかったのですが、毎学期歌手と一緒に演奏する機会はありました。おかげで歌曲を好きになりましたし、今後も続けていきたいです。

――ずっと先のビジョンはありますか? 10年、20年後にはなにをやっているでしょう?

入江 高校に入るぐらいまでは、「絶対に有名ピアニストになって、大きいホールでソロコンサートをやるぞ」みたいな夢がありましたけれど、今は自分のできることをたくさんやって、新しいことにも挑戦しつつ、後に続く人に良い影響を与えられたらいいなと思います。ソロに限らず室内楽やリートなど、歳をとってもずっと続けたいですね。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭)

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