インタビュー 鈴木秀美
王子ホールマガジン Vol.15 より サントリー音楽賞に続き文化庁芸術祭でも優秀賞を受賞するなど、その仕事ぶりが豊かに実を結んでいる鈴木秀美。チェロ奏者としては 1980年代半ばから国際的に活躍、オランダやベルギーを拠点にバロック音楽の探求を続けてきた。2000年に帰国してからは、ハイドンやモーツァルトな ど古典派作品を専門に演奏するオーケストラ・リベラ・クラシカを立ち上げ、指揮者としての活動も開始。そして今年の4月からは王子ホールを舞台に、「ガッ ト・サロン」と名づけた室内楽シリーズをスタートする。このシリーズでは躍進を続ける若きフォルテピアノ奏者、平井千絵を主なパートナーとして、ロマン派 の楽曲を多く演奏することになる。バロックから古典派へと広がってきた活動の先に、自身が「独奏楽器としてのチェロを考えるうえで非常におもしろい時期」 と語る19世紀の作品があるのは、必然といえば必然だろう。レッスンも行われるという自宅の一室で、『ガット』と『サロン』について語ってもらった。 |
鈴木秀美(チェロ) チェロを故井上頼豊、安田謙一郎ほかに、指揮を尾高忠明、秋山和慶に師事。デン・ハーグ王立音楽院に留学、A.ビルスマに師事。1986年第1回バロック・チェロ・コンクール第1位。95年に日本人としては初めての、オリジナル楽器による「バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲」を録音し、平成7年度文化庁芸術作品賞を受賞。2005年3月にリリースした同曲の新録音は「レコード芸術」誌・特選盤に選ばれた。01年よりオーケストラ・リベラ・クラシカを主宰。現在、東京芸術大学古楽科非常勤講師。著書に「『古楽器』よ、さらば!」(音楽之友社)、「ガット・カフェ」(東京書籍)。第37回(05年度)サントリー音楽賞受賞。平井千絵と発表した「メンデルスゾーン:チェロ作品集」で平成18年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。 |
ガットへのこだわり 大半の弦楽器奏者がスチール製の弦を使用する今日にあって、羊の腸をよりあわせて作ったガット弦を使い続ける鈴木秀美は、特異な存在として映るかもしれ ない。だが彼が探求してきたのは、楽曲が制作された当時の道具や奏法を用いて作曲者が想定していた音をより忠実に再現しようという、『オリジナル楽器』に よる演奏である。そういった意味では、ガット弦は至極当然の選択といえるだろう。なにしろ(広義の)クラシック音楽のレパートリーは、ほとんどがガット弦の発音や機能、音色といったものをベースとして書かれたものなのだ。弦の素材だけで音色が決まるわけではないが、作曲当時の音を再現しようとすれば、ガッ トを用いるのが自然な方法であることは確かだ。とはいえガット奏者が少数派であるという現実は揺るがない。それというのも音が弱い、温度や湿度の影響を受 けやすい、切れやすいといった実用面での問題が多いからではないだろうか。 「今年でチェロを弾いて40年になりますけど、そのうち30年はガット弦を使っています。その30年の間に人前で弦を切ったのはただの1回だけで すよ! ガットを弾き始めて1年目のことで、まだメンテナンスするうえでの注意点だとか、そういったことが良くわかっていなかった。その頃に1本切っただけなんです。でもこの30年の間に人前でスチール弦が切れるのをいったい何度見てきたことか・・・なんてことを話すと、途端に明日切れそうな気がして不安になりますけど(笑)」 少なくともチェロにおいては、ガット弦が切れやすいとはいえないようだ。そして楽器のコンディションが環境に左右されやすいという点も、鈴木秀美はむしろ魅力として捉えている。 「バロック仕様の楽器は温度や湿度の変化にとても敏感です。たとえば弓なんかでも、現代のものはスクリューがついていて張り具合を調節できますが、私の使っているようなバロック弓は湿度が上がるとたわんできてしまう。ですから弾いている間に弓の圧力を変えたり、スピー ドを変えたりして、刻々と変化する状況に柔軟に対応していかなければなりません。そこがオリジナル楽器演奏の面白いところなんです。まあもちろん苦しいこ とのほうが多いですよ。どんな環境でも楽器のコンディションが変わらないほうがラクに決まってます。でもそれを求めてしまうと、どこぞのファーストフードのように世界中どこへ行っても同じ味になってしまう。それじゃあ、あまりにもタイクツでしょう」。 『バロック』の語源は『ゆがんだ真珠』を指す言葉だそうだが、お定まりの合理性ではなく、不均質のなかにあふれる刹那の感興をこそ尊ぶあたり、やはりこの音楽家はすぐれてバロック的な意識の持ち主といえるだろう。 アルペジォーネ・ソナタ 王子ホールでの「ガット・サロン Vol.1」では、CDでも好評を得たメンデルスゾーンの第1番、そしてベートーヴェンの第3番というチェロ・ソナタの名作に加え、シューベルトの《アル ペジォーネ・ソナタ》を披露する。チェロ弾きにとって定番中の定番であるこの作品、もとはギター・ヴィオロンチェロという、ギターを縦にして弓で弾くよう な楽器のために書かれている(アルペジォーネとはこの楽器の異称)。 「自分でオリジナル楽器による演奏を謳っている以上、《アルペジォーネ・ソナタ》はアルペジォーネで演奏すべきでしょう(笑)。そんなわけでオランダに住んでいた頃に、アルペジォーネを借りて、この曲を通して弾けるところまで練習しました。それとは別に、5弦のチェ ロ・ピッコロという、アルペジォーネに近い音域を持つ小型チェロがありまして、あるとき仲間を集めて弾き比べをしてみたんです。その結果わかったのは、ア ルペジォーネは30人ぐらいのサロンであれば良さが伝わるだろうけど、100席を超えるコンサート会場では使うメリットがまるでない、ということ。それにこの楽器はヴィブラートをかけられないし、ポルタメントも一切できないんです」。 だがアルペジォーネの音色には透明感があり、低音部にもバセットホルンのような軽やかさが備わっている。これは捨てがたい魅力である。またミ・ラ・レ・ソ・シ・ミというギターと同じ調弦になっているため、イ短調で書かれた《アルペジォーネ・ソナタ》を弾くと、下のミと ラの弦が共鳴弦のように響き、紗がかかったような魅力的な効果を生むという。 「どうしたものかと考えて、いっそチェロ・ピッコロの下2本の調弦をミとラにしてしまえと思い立ちました。そして試 したところ、見事に共鳴弦のような効果が得られたんです。しかもポルタメントもヴィブラートも自在だし、『これだ!』と思いましたね。チェロ・ピッコロは苦心の末の、しかし究極の選択といえます」。 サロンへの想い 「《アルペジォーネ・ソナタ》はゆっくり、しっとり、静かななかでやる部分が多い音楽ですから、王子ホールのサロン的な雰囲気で聴けば、味わい深 い、いい音楽になると思いますよ」と鈴木秀美は語る。さてそのサロンだが、先々はどのような展開を考えているのだろう。 「平井千絵さんとのデュオということでいうと、将来的にはショパンもやりたいね、なんて話をしています。ショパンは 素晴らしいチェロ・ソナタを書いているし、有名な《序奏と華麗なポロネーズ》なんて曲もある。それから《グランド・デュオ》という、演奏機会は少ないです が、それはそれは素敵な作品もあります。ピアノ・ソロをはさみたければ、それこそ山のようにありますしね。でもそこで難しいのがピアノの選定なんですよ。 プログラムに合うピアノを探さなければいけません。必要な音域がカバーできていたとしても、楽器のコンディションや音色はどうなのかといった問題がありま すし、うまい具合に理想的な状態のピアノが見つかったとしても、持ち主が貸してくださるかどうか、調整はどうするか・・・そうやって苦心するうちに1年経 ち2年経ち、条件が整った頃にはもう指が動かない、なんてこともあるわけで(笑)」。 「ガット・サロン」という名前でシリーズ化する以上、まずはガット弦に象徴されるオリジナル楽器の響きを存分に味 わってほしい。それと同時にいろいろな人との出会いと交流の場にしたい――そういった鈴木秀美の想いは、共演者やオーディエンスとのかかわり方にも影響を 与えるだろう。 たとえば今年10月の「ガット・サロン Vol.2」では、ガット弦は初体験となるヴァイオリニストとの共演を予定している。そこにはもちろんアンサンブルを通してオリジナル楽器の愉しみを分か ち合いたいという願いがあり、更にはその愉しみについて、オーディエンスと直接語り合いたいという願望もある。自身が主宰するオーケストラ・リベラ・クラ シカの演奏会では、終演後にロビーでワインパーティーを開催しているが、王子ホールでも何らかのかたちで聴衆との交流の場がもたれることになるだろう。 「コンサートはいつも思い通りにいくとは限りません。そんなときに必ずしもニコニコとお客様と話せるかというと、たしかに難しい部分もあるでしょう。でも年をとって図々しくなってきたのか、そのへんは気にせずできるようになってきましたよ」。そう言って笑う彼だが、続 く言葉に音楽家としてのあり方をみる気がした。 「こちらが自分の演奏について思うことと、音楽自体が聴く人にどう作用するかは、別の話なんですよね。ですから『今日の出来はぜんぜん良くなかったから、とても人には会えない』なんていうのは、音楽そのものの効用や力をすべて自分が握っているかのような、不遜にもなりかねない考え方ともいえるわけで・・・自分ではヘタな演奏だと思っていても、天才の創った音楽にはそれを超えて作用する力があるのかもしれません」。 弾く人と聴く人がそんな音楽の力を肌で感じ、分かち合うことで互いに成長していく。「ガット・サロン」がそういった場になることを願いたい。 (文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史) |
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