インタビュー イザベル・ファウスト&クリスティアン・ベザイデンホウト
王子ホールマガジン Vol.53 より J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲、ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲(ピアノ:アレクサンドル・メルニコフ)などで圧倒的な名演を聴かせてくれたイザベル・ファウスト。そしてこれまで4回にわたり、フォルテピアノでモーツァルトの鍵盤作品を自由闊達に奏でてくれたクリスティアン・ベザイデンホウト。プライベートでも仲の良い当代きっての名手2人が、王子ホールでJ.S.バッハのヴァイオリン・ソナタ全曲ほかを披露してくれます。両者のパートナーシップとバッハ作品についての見解、そして4月にウィグモア・ホールで行われたリサイタルの模様を、ロンドン在住のジャーナリスト秋島百合子氏が取材しました―― |
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン) クリストフ・ポッペンとデネス・ジグモンディに師事。1987年レオポルド・モーツァルト・コンクール、93年パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクール優勝。古楽器からモダンまであらゆる演奏スタイルを確立しており、そのレパートリーはバッハからリゲティ、メシアン、ジョリヴェといった前衛的作品まで様々な時代の作品を網羅している。これまでに、世界中の一流オーケストラ・指揮者と共演し、室内楽演奏家としても数々の音楽祭に出演。ハルモニア・ムンディより多数のCDをリリースしている。使用楽器は、ヤコブ・シュタイナー(17世紀中頃製)。 |
クリスティアン・ベザイデンホウト(チェンバロ) 南アフリカ生まれ。イーストマン音楽学校を最優秀の成績で卒業。21歳でブルージュ国際古楽コンクールの第1位と聴衆賞を獲得し、国際的に知られるようになった。フライブルク・バロック・オーケストラをはじめ世界の主要アンサンブルにゲスト出演し、著名なアーティストとたびたび共演。ハルモニア・ムンディからはモーツァルトの鍵盤音楽全集など数多くのCDがリリースされており、これまでにエディソン賞、ドイツ・レコード批評家賞、エコー・クラシック賞などを受賞。2013年グラモフォン誌の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされた。 |
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ロンドンの名門ウィグモア・ホールでのリサイタルの前日、4月11日に話をきいた。前の晩にベルリンで演奏してこの日の朝ロンドンに飛び、リハーサルのために空港から直行したチェンバロのある友人宅でインタビューを行った。その前に食事時間が取れなかったからと、申しわけなさそうにお寿司のパックを広げて一息ついた。そういう飾り気のない2人に、すっかり魅せられてしまった。 イザベル・ファウスト(以下「F」) これらのソナタは数年来間一緒に演奏しています。私はクリス(ベザイデンホウト)とだけやるの(笑)。録音する予定なので、今後2カ月間に2つのプログラムですべてのソナタを演奏します。コンサートでは録音に備えて順番を変えることもあります。東京では2回のコンサートで全6曲をやりますが、録音した後だから、絶対に確かよ(笑)。 Q 明日の公演での無伴奏ヴァイオリンは「ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003」ですね。日本でも演奏されますが、この曲をどのようにお考えですか。 F 「第2番」は大好きな曲です。これは短めです。「ソナタ 第3番 ハ長調」はとても長いし、「パルティータ 第2番 ニ短調」はとても張り詰めているから他の曲の間には入れにくい。「パルティータ 第1番 ロ短調」も大きいし。他のソナタの間にうまくはまるのは「ソナタ 第1番 ト短調」か「ソナタ 第2番 イ短調」しかありません。とにかく「イ短調」が大好き。でも「ト短調」もやらなくてはね。 Q クリスさんは「トッカータ ニ短調」です。 クリスティアン・ベザイデンホウト(以下「B」) はい、確か最初に習ったバッハです。十代の時に。先生がトッカータを好きだったこともあります。初心者にもさほど「獰猛」ではないから音楽教師として好んだのでしょう。しかしそれはともかく、僕はほんとうにこの曲に引き付けられました。12分ぐらいの短い曲ですが、バッハのチェンバロの楽曲では非常にオリジナルな曲で、ドイツ北部の幻想的な要素を持っています。だから―― F ――とても印象深くて美しい。でも私たちのプログラムはよく変わるから、明日もお楽しみにね。 Q ウィグモア・ホールの印象をひとこと。 F チェンバロとの共演はこのホールでは初めてなので興味津々です。室内楽はたくさんやったし、バッハの「ソナタとパルティータ」も全曲やりましたが、これらはうまく行きます。ただ現代のスタインウェイとやる時にはバランスの調整に少し手間がかかる場合があるんです。 B ピアノはこのホールでは結構厄介ですね。大きく響くから。チェンバロはいいけれど。 F 反響が大きいのです。ウィグモア・ホールは王子ホールと共通するところがあります。 Q どういうふうに? F 音響のことではなくて、室内楽のエリートが集まる場所という意味です。お客さんもほんとうによく楽曲を知っていて、特別のレパートリーを特別のアーティストが演奏するのを聴きに来るのです。 Q なぜ今、特にバッハを? F ソロの「ソナタとパルティ―タ」をずっとやっていたから、その後にチェンバロと共演するのは論理的な展開なのです。美しいだけではなく、広い意味でのチクルスになるから重要です。 Q 日本で演奏するプログラムに、J.S.バッハ以外に2人の作曲家がいますね。 B バッハのソナタの背景を明確にするためです。J.S.バッハ以前の人たちですから。ビーバーのヴァイオリン音楽をバッハがどれぐらい知っていたかを理解するのはむずかしいですが、多分知っていたでしょう。特に「ロザリオ・ソナタ」からの「パッサカリア」などは。つまりオーストリア楽派のソロ・ヴィルチュオーソ・ヴァイオリンから、バッハの無伴奏ヴァイオリンの様式につながる糸を辿ろうというわけです。無伴奏ヴァイオリンの「ソナタとパルティ―タ」は突然出て来たのではなくて、ヴァルター、ヴェストホフ、そして特にビーバーの伝統から生まれたものなのです。ですからビーバーに代表される17世紀半ばのザルツブルクのヴァイオリン音楽、特に「パッサカリア」からバッハの無伴奏ソナタにつながっていきます。さらにフローベルガーもバッハに大きな影響を与えました。我々が今知る「各舞曲からなる組曲(suite movement)」という形の基本を確立させた人ですから。しかも彼はフランス音楽やイタリア音楽をよく理解し、共感した最初のドイツの音楽家といえますから、バッハにとても大きな影響を与えました。そういう17世紀中期の音楽の後にビーバーの「描写的なソナタ」が出てきました。でもおそらくこれは今回、最も不適切な曲かもしれません。あまりにも世俗的で芝居がかっているので。 F 冗談ばかり入っていって(笑)。 B そうです。実に趣味の悪い音楽だから、バッハはおそらく気に入らなかったでしょう。 F そうなの(笑)。 B でも僕たちは大好きなんです。全体的にはとてもシリアスなプログラムなので、こういうものも入っていていいのですよ。素材はどこから来たのかわかりませんが、動物が描写されています。サン=サーンスの「動物の謝肉祭」を少し思わせますね。 Q 長い曲ですか。 F いいえ、ちょっと息抜きという感じのものです。 Q そして最後はバッハの「第2番」ですね。 F そう、とてもシリアスに(笑)。 Q お2人ともレパートリーはモーツァルトから現代音楽まで幅広いのに、今バロックが多いというのはキャリアのそういう時期に来ているということですか。 F わからない。私のレパートリーはこうだって定義付けることはできないのです。でもバッハの無伴奏ソナタはすべてのヴァイオリニストにとって重要ですから、この中のいくつかの楽章は最初に習います。私は8歳ぐらいだったかしら。ですからある程度の年齢に達すると、この音楽が与える「エポック」について新たな好奇心が増してくるのです。もちろん録音もしていますが、それはとても勇気のいることです。 Q クリスさんはいつ頃ピアノからチェンバロに変えたのですか。 B 17歳ぐらいでチェンバロを始めました。本格的に学んだのは大学ですが、いったんやり出したら、たくさん演奏しました。もちろんバッハは大量に演奏しますが、それだけではなく17世紀の音楽もね。フローベルガーとかクープランとか。またこういう楽曲を演奏できるのはうれしいことです。滅多にないですから。 Q ということは、今はピアノの方が多い? B プロとしての演奏では、25,6歳になると9割方はピアノかフォルテピアノになりました。ところがまた最近チェンバロの機会が増えたので喜んでいます。 Q このプロジェクトの後の予定は? B ソロ・リサイタルがいくつかあって。……それから、まあ、今どこまで行ったかな……。 Q モーツァルトを録音中なのでしょう? B ソロは終わりましたが、協奏曲がまだあります。 Q 全部ですか。 B 願わくばね。今のレコード業界の事情では明日はわかりませんが、是非やりたい。僕の夢です。 F あとどれくらい残っているの? B ええと、ちょっと待って……18、あと18曲あります。悪くないでしょ。 Q 今回のバッハのデュオで特筆すべきことは? B おそらくこれらの作品で、バッハは初めて18世紀の「トリオ・ソナタ」という形式を生み出したのではないでしょうか。つまりヴァイオリンと鍵盤楽器が初めて同等の重要性をもって演奏されたのです。チェンバロの右手とヴァイオリンが普通に演奏し、それをチェンバロの左手の低音が支えます。チェンバロにもメロディー・ラインを与えて両楽器の「対話」が生まれました。その対話はモーツァルトやベートーヴェンのソナタとは違って対位法的であり、多面的で非常に多くの可能性を秘めています。 F そう、多面的に捉えることができる情報が万華鏡のようにぎっしり詰まっている。だから近くから覗かないとね。音楽の方から飛びかかってきてはくれない。 Q お2人のパートナーシップについて。日本での共演は初めてですが、今まで何度も共演していらっしゃいますね。最初の曲は? B アムステルダムで2010年に、フランス・ブリュッへンの18世紀オーケストラとベートーヴェンの「三重協奏曲」で共演した時です。 Q お互いにどのような印象を受けましたか。 (2人で笑う) F 誰もが忘れられないコンサートになったのです。 B そうなんですよ。それで、これからも何か一緒にやろうということになって。少し時間はかかりましたが、バッハのソナタに決めました。 Q イザベルさんはそれまでに無伴奏ソナタをやっていらしたから、それがデュオに発展したという感じですか。 F まったくその通りです。 Q 今回日本で共演することになったのは? F 2人ともよく王子ホールに出演していて主催者の方々とも心が通じるようになり、共演のプログラムについても皆同じ考えを持っていたのです。 B そしてようやく2人のスケジュールが合いました。しかも録音の後ですから完璧なタイミングでね。 F 王子ホールの方々は誠実だから、私たちも誠実でありたい。しかも2人一緒にできるなんて。 Q このプロジェクト以外にもよく共演なさいますか。 F 2週間後にやるじゃない。 B あ、そうだ。5月にライプチヒ・ゲヴァントハウスで、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮でメンデルスゾーンの「二重協奏曲 ニ短調」(「ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲」)を演奏します。 Q クリスさんは現在はロンドンにお住まいですね。 B 9歳の時に家族と共に南アフリカからオーストラリアに移住し、それからニューヨーク等に移って10年ほど音楽の勉強をしました。ロンドンに住んでいるのはヨーロッパでの仕事が多いからです。 Q イザベルさんはベルリンですね。 F はい。のどかな田舎もいいけれど、旅に出やすいところに住む必要があります。ベルリンはおもしろいから、いろいろな刺激に触れて充電するのも大切だし。多くの友人が世界中に散らばっていますが、ほとんどが音楽家なので、ベルリンならけっこう通過してくれるから会えるんです。 Q 音楽以外の日常は? F 忙しくて、2週間ぐらい休みがあってもヴァイオリンを持ち歩いています。山が大好きなの。でもスーツケースなしでうちにいるのが最高の贅沢かしら(笑) B うちにいて勉強するのが好きです。練習ではなくてね。読書とか。または友達を呼んでカクテルを作るのも楽しいなあ。 F この間、一緒に映画に行ったのよ。2人とも珍しく夜があいていたので。 Q 何を見たのですか? B 「レヴェナント」。すごくよかった。 Q 日本でのフリータイムは? F 食べ歩きよ。 B たくさんお酒を飲んで。 Q そんな時間があるのですか。 F 日本ではコンサートの後、必ず時間を作るようにしているんです。食べに行かない夜はないわ(笑)。 Q 日本の観客は? F ファンタスティック! B 世界最高の観客です。細心の注意を払って聴いて敬意を表してくれますから。そしてとても楽しんでいるのが伝わってきます。 翌日、満員のウィグモア・ホールでは予定のプログラムが少し変わり、訂正プリントが配られた。しかし前半、後半で、それぞれバッハの「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」2曲が2人の無伴奏ソロを挟むというパターンは変わらない。ファウストは「ソナタ 第2番 イ短調」を荘厳に、見据えるような確かさをもって演奏し、終了後は4、5秒の沈黙を招いた。ベザイデンホウトのチェンバロ独奏「トッカータ ニ短調」は、晴れやかで刺激的だった。 (文:秋島百合子 協力:パシフィック・コンサート・マネジメント、アレグロミュージック ) |
【公演情報】 イザベル・ファウスト&クリスティアン・ベザイデンホウト |