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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.25 より

「ゴルトベルク変奏曲」
ユリ・ケイン・アンサンブル

ユリ・ケイン(p,key,arr) 他

1999年10月~2000年1月 ニューヨーク、ケルン他で録音

 クラシック曲のアダプテーションであること、そして演奏者の知名度がそれほど高くないこと、が影響しているのでしょうか。実をいうと今回の作品はジャズ・ファンなら誰もが認める名盤とはいい難い代物です。いや、それどころか本作の存在さえ知らない人もけっこういるでしょうし、よしんば知っていてもその人は「あんなのは真っ当なジャズとは呼べん!」と憤慨するかもしれません。

 しかし少なくとも僕にとってこの作品は、何年かに一度出会えるか出会えないかの、きくたびに音楽の楽しさと可能性をたっぷりと味わわせてくれる傑作であって、そういうものを他人が評価しないから紹介しないというのは不誠実ではないかと思うのですね。

  というなわけで、このたびここに意を決して紹介させていただきます。ユリ・ケイン・アンサンブルの「ゴルトベルク変奏曲」です。

 ユリ・ケインはフィラデルフィア生まれのピアニスト。1956年生まれで今年53歳ですから、まあすでにベテランの域に入ったジャズマンといっていいでしょう。しかしながらこの人のトンガリ具合ときたら、そこいらの若いミュージシャンが束になってもかなわないほどの過激さ。強力無比なテクニックと百科事典のような音楽性を駆使して生み出されるその音楽は、ジャズの歴史とスタイルを縦横無尽に往来し、ついにはジャズのジャンルを突き破ってしまうという有様なのです。鬼才という言葉がありますが、これはまさに彼のためにある言葉といっていいでしょう。

 そんなケインが1990年代半ばから熱心に取り組んでいるのがクラシック作品をテーマにしたプロジェクトです。これは、クラシックの曲をジャズ風に演奏するというような安易なアプローチではなく、作品の髄を彼独特のフィルターで変換し、作曲者本人も気づかなかったかもしれない急所を抉り出すというきわめて大胆かつ斬新な試みで、これまでにもマーラー、ワーグナー、シューマン、ベートーヴェン、モーツァルトなどが俎上に乗せられ、素晴らしい(人によっては唾棄すべきというかもしれません)切り口で料理されてきました。その中でも、ケインの奔放なイマジネーションとバッハの強靱な原テキストが結びつくことによって稀なる「カオティックな完成度」を有することとなったのが、この「ゴルトベルク」なのです。

 ご存知のようにバッハのこの作品は、アリアと、そのアリアを元にした30の変奏でできています。そしてケインのアプローチも土台の部分ではこの行き方を踏襲しているのですが――つまりアリアの和声進行を元に曲を作ったりインプロビゼーションをするわけです――驚くのはそこで繰り広げられる音楽の豊富さ、充実度。なんとここでは、クラシック、ジャズはもちろん、ボサノバ、タンゴ、ゴスペル、テクノ、ヒップホップ、サルサ、ソウル等々、入っていないジャンルはないんじゃないかというぐらいの多彩な音楽がこれでもかとばかりに披露され、しかもそれぞれのジャンルの中でさらにさまざまなスタイルの演奏がなされているのです。ネタバレ覚悟で少し例を挙げると……。

 ピアノと弦楽四重奏によるDISC-1第11曲には《ラフマニノフ》というタイトルが冠されているのですが、これがまさに情緒綿々たる哀愁を帯びたスラブ風の変奏。あるいは《モーツァルト》と題されたDISC-2第8曲では「あれ、モーツァルトってこんな曲書いてたっけ?」と錯覚するぐらい徹底してモーツァルトの書法が模倣されています。それ以外にもシェーンベルク風やヴェルディ風など、いやもう目も眩むような多彩さ。これが本業のジャズ・ジャンルになるともっとすごくて、ニューオリンズからフリーまで、まるでタイムマシンに乗ってジャズの歴史を見ているような一大絵巻が繰り広げられるのです。おまけに そのあいだを縫うように、グールドやシトコヴェツキーも真っ青というようなシリアスな演奏も挿入されているのですから、いやはや……。

 「でも、結局はバッハの威を借りたパロディーじゃないか」あなたはそういうかもしれません。たしかにそう。これは壮大なパロディー作品です。しかしパロディーというのはとことん大真面目に、大がかりに、そして細部にこだわっていくと、いつしか優れた芸術作品に変貌していくものだと僕は思います。話のわかるお友だちと酒を飲みながら大笑いしてきくもよし。1人黙々と「この変奏にはマイルス・デイビスの影響が感じられる」とアナライズするもよし。さあ、存分にお楽しみください。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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