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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.16 より

「ジャズ・セバスチャン・バッハ」
スウィングル・シンガーズ

スウィングル・シンガーズ(vo-cho)

1963年 パリで録音

 近頃はクラシックの曲をジャズで演奏するというアプローチもすっかり市民権を得たようですね。特に昨年はモーツァルト・イヤーだったこともあって、その類のアルバムが数え切れないくらいリリースされました。しかし、ジャズでクラシックとくれば、なんといってもバッハ。かの有名なジャック・ルーシェはもとより、バド・パウエルからジャコ・パストリアスまで、この「音楽の父」の作品を取り上げるジャズマンは枚挙にいとまがありません。

 でも、なぜそんなにバッハはジャズに好かれるのでしょうか。理由の第一は――これは吉田秀和氏の受け売りになってしまうのですが――バッハ作品の多くが一定のテンポとリズムでできていること。ジャズのもっとも大きな魅力の一つは「等速のテンポにノッていく快感」だと思 うのですが、バッハが書いた音楽はまさにそれに当てはまるのですね。これがベートーヴェンあたりになると、テンポとリズムがどんどん変わるので、ジャズでやるにはちょっと具合が悪いわけです。

 それからもう一つ。バッハは自分の作品に楽器の指定をしないことがしばしばありましたが、これはつまり、彼が音楽の 要素の中で「音色」というものを比較的重視していなかったことを意味します。それを絵にたとえるなら、鉛筆で描かれたデッサン、といえるかもしれません。でもそのデッサンはあまりにも精密で強靱なので、あとからどんなふうに彩色されようが――つまりどんなふうに演奏されようが、本質が揺らいでしまうことはない。このこともバッハがジャズで取り上げられやすい要因の一つではないでしょうか。

 というわけで、ようやく本題。今回ご紹介するのは、そんなバッハ作品をスキャットで歌ったスウィングル・シンガーズの、その名も「ジャズ・セバスチャン・バッハ」です。

 スウィングル・シンガーズ(以下SS)がデビューしたのは1963年。結成当初のメンバーは、創設者のウォード・ス ウィングルをのぞいては全員フランス人でしたが、そのルーツがアメリカのジャズ・コーラス・トリオ、ランバート=ヘンドリックス&ロスにあったことを考えれば、彼らがストレートなジャズ路線を選んだとしても不思議はなかったはず。にもかかわらず、SSが進むべき針路をクラシックのジャズ化に、就中デビュー作の素材にバッハを選んだのは、たぶん先述したジャック・ルーシェの成功があったからでしょう(ルーシェが59年に発表した「プレイ・バッハ」は、ジャズとクラシック両方のシーンで大きなセンセーションを巻き起こし、ビッグ・セールスとなっていました)。そういう意味ではまあこれ、2匹めのドジョウ狙いといわれてもしかたないところもあります。

 しかしSSには、ルーシェにはない強みがありました。それは彼らが8人のコーラス・グループ――すなわち複数の声部 からなるユニットだったということです。ご存知のようにバッハの音楽は、横に流れる何本もの旋律線が絡み合ってできているものが多いのですが、その動きを効果的に表現するのに、SSの編成は実に理想的なのです。ただしそれが有効に機能するのは、正確無比の歌唱力があってのこと。バッハは、その旋律線の微妙 な動きによって和声の劇的な変化をも表現していたので、そこにはものすごい精密さが求められます。おおげさにいうと、一つの音がちょっとずれるだけで、曲がだいなしになってしまうのです。今なら編集技術でかなりの音程の狂いも修正できてしまいますが、そんなテクノロジーのなかった63年当時、塵ほどの危うさも感じさせずにバッハを歌いこなしたSSの実力は、現代の感覚からしても“驚異的”といっていいのではないでしょうか。

 ただ、そうやって強固に構築された素材ゆえに、ジャズをジャズたらしめる「即興」を盛り込むことは、さすがの彼らもできなかったようです。その点では、これは純粋なジャズとは呼べないのかもしれません。けれど、ここで繰り広げられる、貴族的品位とスリルが混在した響きをお聴きになれば、即興云々には目をつぶってでもこの作品を紹介したくなる僕の気持ち、少しはご理解いただけるのではないでしょうか。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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