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王子ホールマガジン 連載

 

王子ホールマガジン Vol.54 より

 「サムホエア・ビフォー」キース・ジャレット

 キース・ジャレット(p) チャーリー・ヘイデン(b) ポール・モチアン(ds)

 1968年10月30、31日
 ロサンジェルス、シェリーズ・マン・ホールでライヴ録音

 いや、それにしても今年のノーベル文学賞はビックリしました。ハルキ・ムラカミをはじめとする名だたる作家たちをさしおいて、ボブ・ディランが選出されようとは。尤も関係者のあいだでは2~3年前からそういう噂はチラホラささやかれていたようですが、それだって「案外獲っちゃったりして……なーんてね(笑)」というレヴェルだったはず。それが本当の話になってしまったんですから。
 そのあとの騒ぎも、変人で不器用なディランらしくて実に愉快でした。受賞後、沈黙を続けたことを指して傲岸不遜と非難する向きもありましたが、あれって単に困惑してたからじゃないんですか? 「え、マジ? オレがノーベル賞なの?」と、一番驚いたのは本人で。ようやく連絡が取れた時、彼は「うれしさのあまり言葉を失った」と人を食ったようなコメントを出しましたが、あれは半分本音だったのかもしれません。
 なにはともあれ音楽業界の片隅に身を置く者としては、とりあえずCongratulations!というわけで、今回はディランにちなんだアルバムを。

 キース・ジャレットは、今でこそクラシックやジャズといった“高尚な音楽”にしか興味がないという顔をしていますが、実はこの人、キャリアの初期はバリバリに「ロックでフォークな人」でした。
 そもそも彼が注目されるきっかけになったのは、60年代末から70年代のヒッピー・ムーヴメントの中で圧倒的人気を博したチャールズ・ロイド・グループへの参加でしたし、その後加わったマイルス・デイヴィスのバンドでは、強烈なファンク・ビートに乗せてキーボードを弾きまくっていました(この頃のキースの写真を見ると、アフロ・ヘアにタンクトップといういでたちで、なかなか黒歴史っぽいです)。きわめつけは、2枚目のリーダー作『レストレーション・ルーイン』。なんとここでキースは、本職のピアノはほとんど弾かず、ギターやハーモニカを演奏しながら自らの歌を嬉々として披露しているのです。そのサウンドときたら、まさにボブ・ディラン。さすがにこれはジャズ・ファンも苦笑か黙殺するしかなかったのですが……(でも今きくと、けっこう和むアルバムです)。
 ただこういうキースの指向は、けっして時代の流行を後追いしたものではなく、そこに新しい音楽の可能性を見出したがゆえにだったと僕には思えます。自分の目指す表現がそこにあるのなら、彼にはジャンルも世評も関係なかった。今だって、もし心底打ち込める価値を別の音楽に見出したなら、この人はあっさりジャズやクラシックを捨て去るに違いありません。そうしないのは、現代は――少なくとも彼の耳には――それに値する音楽がきこえてこないから、に過ぎないのです。

 今回ご紹介する『サムホエア・ビフォー』は、そんな時代のキースの、多種多様な音楽の要素を採り入れようとする試行が、高純度の即興とインタープレイを通して、リリカルで、ラディカルで、そして豊かなジャズに昇華した名作です。
 ここでの彼は、ビル・エヴァンスもかくや! というようなスーパー・ロマンティックなバラードから、オーネット・コールマンに触発されたであろうフリー・ジャズ、さらにはスコット・ジョプリンばりのラグタイムまで、様々なスタイルに依った演奏を繰り広げています。その選曲は、一見雑多で無秩序。しかしトリオ・メンバーの強烈な個性と緊密な協調は、それらの曲たちを美しく収斂させ、作品全体に不思議な統一感をもたらしているのです。
 とりわけ白眉なのが、アルバムの冒頭を飾る〈マイ・バック・ページ〉。これはディランがアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』の中で歌っているナンバーなのですが、ごくシンプルな(それゆえに力強い)原曲をキースたちは、叙情と土臭さが入り交じった独創的なジャズに変貌させます。深遠なベース・ソロのあとを継いで、ピアノで奏でられるテーマの密やかな美しさ。演奏が進むにつれて濃厚になるゴスペル色とそれに伴う高揚。そしてなによりも全体を支配する切ない瑞々しさ。この、痛々しいまでにナイーヴな響きは、おそらく、大いなる野心を抱えながらいまだそれを成就できない若者だけに許された、魂の発露なのだと僕は思います。
 ……と、ここまで書いてきたところで、ノーベル賞授賞式は欠席する、とディランが発表しました。理由は「先約があるから」(なんの先約なんだか)。僕としては、ぜひ式の壇上で〈マイ・バック・ページ〉を歌ってほしかったのですが。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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