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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.15 より

「クリスタル・サイレンス」
チック・コリア&ゲイリー・バートン

チック・コリア(p)、ゲイリー・バートン(vib)

1972年11月6日 オスロ、タレント・スタジオで録音

 今回ご紹介するのは、チック・コリアです。現代ジャズ・シーンを代表するピアノ・マスターであるコリアには、実に多面的な魅力があります。持ち前のラテン気質を活かした躍動感。シリアス・ジャズで見せるラディカリズム。豊かな音楽性に支えられた冒険心(彼はクラシックにも造詣が深く、かのフリードリヒ・グルダとの共演作もあります)・・・。そんな彼の魅力を支えているのが、(音色も含めた)その音感覚です。ビル・エバンスに多大な影響を受けたハーモニーとソノリティ、そしてシャープなタッチとリズム感は、それまでのジャズが持ち得たことのない種類の“美”を、この音楽にもたらしました。そのもっとも代表的 な例が、ヴァイブラフォン奏者、ゲイリー・バートンとのデュオ作品「クリスタル・サイレンス」です。

 1972年、ミュンヘンのジャズ・フェスティバルでのこと。ジャム・セッションの余興でデュオを披露したコリアとバートンの楽屋に、一人のドイツ人青年が息せき切って飛び込んできました。「ぜひあなたたちのデュオをレコーディングさせてください!」 青年の名はマンフレット・アイヒャー。この地に本拠を置く新進ジャズ・レーベル、ECMのオーナー・プロデューサーでした。アイヒャーのこの申し出に、最初二人は困惑しました。と言うのも、当時のジャズでは、ピアノとヴァイブのデュオだけで――アルバム中の1、2曲ならともかく――1枚の作品を作るなん て、考えられなかったからです。

  しかし一方で、アイヒャーといっしょに仕事をした経験のあるコリアには、「彼となら、何か特別なものが生まれるかもしれない」という予感があったかもしれ ません。なぜなら、それまで彼がアイヒャーと作った作品はどれも斬新なアイディアに満ちたものばかりで、なかんずく最新作の「リターン・トゥ・フォーエバー」は、ジャズの未来を示唆する画期的作品としてシーンで圧倒的な注目を集めていたからです。

  コリアの予感は当たりました。アイヒャーの熱意に圧されて彼らが作り上げたアルバムは、その後ヨーロッパを代表することになるこのレーベルの、象徴的作品 となるのです。

  この作品を耳にしてみなさんがまず驚くのは、たぶんその音楽の透明感ではないでしょうか。ヴァイブならではのメタリックなトーンと、コリアの持ち味である硬質なピアニズム、そしてECM特有の残響をたっぷり活かした録音が相まって生み出される響きは、そのアルバム・タイトルどおり、まさに水晶のような輝き。 のちにECMは、圧倒的なサウンド・クオリティの高さで音楽シーンを席巻することになるのですが、その音の原点は、この作品にあると言ってもいいでしょ う。

  しかもここで繰り広げられる演奏には、そういう「響きを重視した音楽」が陥りがちな冗漫感、停滞感が少しもありません。たとえば1曲目の≪セニョール・マウス≫。超高速のパッセージを一糸乱れぬ呼吸で合わせていくその様には、――ちょっと言葉は悪いですが――鍛え抜かれた曲芸を観るような快感があります。 その一方で、響きの美しさを前面に打ち出したアルバム・タイトル曲≪クリスタル・サイレンス≫は、スタティックな緊張感で我々を魅了せずにはおきません。露骨に感情を表に出さない演奏は一見クールにきこえますが、その奥には瑞々しく繊細な、まるでガラス細工のような叙情が秘められています。しかしながら、本作中で実は僕が一番好きなのは、ラストの≪ホワット・ゲーム・シャル・ウィー・プレイ・トゥデイ≫。「今日は何をして遊ぼうか」という題名どおり、音が 飛び跳ね、戯れるようなこの演奏には、達人ゆえの童心が映し出されているように思えます。

  この作品の成功をきっかけに、以後コリアとバートンのデュオ・シリーズは続々と制作されることになるのですが、中でも素晴らしいのは、79年の「イン・コ ンサート」。ライブならではのスリリングなパフォーマンスは、本作とはまた異なる音の愉悦にあふれていて、これも大推薦のアルバムです。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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