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インタビュー ポール・ルイス

王子ホールマガジン Vol.31 より

図書館で8歳の男の子が手当たり次第にクラシックのアルバムを借り出していたら、さすがに多くの利用者が好奇の目を向けるだろう。しかしリヴァプール在住のポール・ルイス少年は周囲の目など気にせずに、ブラームスやシューマン、ときにはグラズノフなどの交響曲のLPを次々と自宅へ持ち帰り、自分以外はほとんど使わないレコードプレイヤーにかけて聴き入っていた。なかでもベートーヴェンの交響曲第4番との出会いは、30年経った今でもはっきりと憶えている。
 第1楽章、穏やかにぽつりぽつりと呟き出した楽器たちが、やがて手を取り合って踊り出し、快活なアレグロへと流れ込む――ポール少年にとってそれはどこまでも力強く、胸踊る体験であった。彼はいてもたってもいられず母親をプレイヤーの前に引っ張ってきて、針を持ち上げ、第1楽章を最初から再生した。
 「聴いてよ!」
 ……穏やかな導入部から、快活なアレグロへ……
 「ね、すごいでしょ!」
 すると母は、
 「まあ……そうね、いいんじゃない?」
 「そうじゃなくて! すごいんだってば!」

ポール・ルイス(ピアノ)

イギリスのリヴァプール生まれ。チェタム音楽学校でリスザルド・バクストに、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校でジョン・ハヴィルに師事。その後、アルフレッド・ブレンデルから正式に教えを受ける。1994年のロンドン国際ピアノコンクールを含め多くのコンクールで成功した後、BBCの「新世代アーティスト」に選ばれる。またウィグモア・ホールはヨーロッパ・コンサート・ホール協会の「ライジング・スター」の代表演奏家にポール・ルイスを選出。また、「サウス・バンク・ショウ・クラシック音楽賞」と2003年のロイヤル・フィルハーモニック協会の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 最近は、リサイタルとコンチェルトを含めヨーロッパ全域、アメリカ、カナダ、日本、オーストラリアで演奏。BBCプロムスのほか、チェルトナムとエジンバラの国際音楽祭、シュヴァルツェンベルクのシューベルティアーデ、ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭、リゾールとバンクーバーの室内音楽祭にも定期的に出演している。 これまでは欧米の主要オーケストラを中心に、名だたる指揮者と共演を重ねてきた。室内楽奏者としても実力を発揮し、さらにハルモニア・ムンディの録音は、04年と05年に2年連続でオランダのエジソン賞を受賞したのを含め多くの国際的な賞を勝ち取っている。シューベルトのピアノ・ソナタ・シリーズの成功に続いて、07年ヨーロッパとアメリカでベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会のチクルスを行った。 05-06年シーズンはベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン響とベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を共演、また06年のBBCプロムスでロンドン・フィル、ティル・フェルナーとモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲を共演。09年秋、シカゴ響にモーツァルトの協奏曲でデビュー。10年は夏のBBCプロムスで異なる指揮者とオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏。一人の演奏家がプロムスのワン・シーズンでベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲演奏するのはプロムス史上初めてのことであった。

 

音楽のない家庭

両親はクラシックにまったく興味を示さなかったが、息子の熱意をくじくこともなかった。ピアノを買えるほどの余裕はなかったものの、借りてくるレコードをダビングできるようにカセットテープは買い与えてくれた。それにしても、母親はラジオを流す程度、父親はジョン・デンヴァーのアルバムを2、3枚持っているだけの家庭で、幼少期からクラシックにのめりこむというのはどういった経緯からだろう?
 「それが憶えていないんです。ただ音楽を聴きたい、音楽を知りたいという抑えがたい欲求があった。なにかきっかけとなるエピソードでもあればいいのですけど……ただ、しばらく前にふと、家庭に音楽がなかったこと自体が音楽への渇望につながったのかもしれない、と考えたことはあります」。
 いずれにしても両親がその渇望に可能な限り応えてくれたおかげで、今日のポール・ルイスがある。彼らはまず、8歳の息子が楽器のレッスンを受けられないだろうかと学校にかけあった。ポール少年はピアノを学びたがっていたのだが、あいにく地元の学校にピアノを教えられる教師はいない。しかしチェロならば教えられる先生がいるとのことで、ポールは学校のチェロを借りてレッスンを受け、地元のユース・オーケストラにも入団した。
 「で、どうだったかというと、自分にはまったくチェロの才能がなかった(笑)」。
 しかしオーケストラの中でブラームスの第2番やベートーヴェンの第5番、ドヴォルザークの第9番など、大好きな交響曲に身を包まれるのは、幸福な、素晴らしい体験だったという。
 チェロはいまひとつでも、ピアノは楽しかった。ポール少年は頻繁に学校のピアノを触って遊んでいた。楽譜など持っていなかったので、いわゆる『耳コピ』である。レコードで聴いた音楽をなんとか自分で再現しようと、鍵盤をあれこれといじって音を探していった。チェロでは得られなかった「肉体的にしっくりとくる」感覚がピアノにはあった。本人の言葉を借りれば、幼少期のポール・ルイスにとってピアノという楽器は「任天堂DSのようなもの」だったのだ。そして遊び道具だったピアノを真剣に学び始めたのは、なんと12歳になってからであった。
 「それまでは学校のピアノを好きなように弾いていただけで、きちんとした訓練を受けていませんでした。自分に必要なのはまさにそれでした」と彼は言う。第一線で活躍するコンサート・ピアニストで、本格的にピアノを始めたのが12歳という人間は滅多にいないだろう。「これは一長一短で、子供のうちに知っておくべきことを大きくなってから学ぶというデメリットもありますが、自力で多くを発見し、体で覚えられるというメリットもありました」。
 それから2年後、14歳になってようやく念願だった音楽学校に入学。地元の学校に通っていたころは「クラシックなんてダサいよ」とからかわれることもあったというが、今や志を同じくする仲間ができた。
 「地元では一緒に演奏できる仲間がいなかったから、室内楽のレパートリーを開拓できるようになったのは嬉しかったですね」。そう語るポール・ルイスは、18歳になってロンドンのギルドホール音楽演劇学校に入学するまで、黙々と腕を磨いた。しかし問題もあったようで、「ロマン派の大曲などもある程度弾けるようにはなっていました。でも非常に雑というか、洗練されてはいなかった。自分としては楽しかったけれど、それだけでは足りなかったんです」。
 ギルドホールで改めてピアノの訓練を受け、『足りなかった部分』を補いつつあった彼に転換期が訪れた。アルフレッド・ブレンデルとの出会いである。

ブレンデルから得たもの

「1993年の1月、ギルドホールで学んでいたときに急遽マスタークラスが開催されることになりました。自分を含む3人の学生が、アルフレッド・ブレンデルの前で弾くように急に言われたんです」。
 ろくに準備をする間もなくその日はやって来た。会場に置かれたピアノの前に座ると、遠くに分厚い眼鏡をかけたシルエットが見えた。
 「『うわ本当にブレンデルだよ』と思いながら弾いたのを憶えています(笑)。これは偶然ですけれども、子供の頃に図書館からよく借りていたピアニストの一人がブレンデルでした。だから自分がもっとも早くから知っていたピアニストの前で弾くことになったわけです。どうせ滅茶苦茶にこき下ろされるんだろうなと思っていたのですけど、マスタークラスの後でまた連絡があって、彼のウィーンの自宅でレッスンを受けないかというオファーを受けたんです」。
 ブレンデルがどのようにピアノを操るかを間近で見て、技術的に学ぶことは大いにあったと彼は言う。だが何よりも重要なのは音楽に奉仕するその心を感じたことであった。たとえばペダルひとつにしても、単に音を伸ばすのではなく音色を豊かにするために使うべきであり、そうした工夫のひとつひとつを重ねていって、作曲家のメッセージを伝えることが大事なのだ……。
 「何よりもまず音楽が第一なんです。ブレンデルにしても、彼はピアニストである前に音楽家だった。どうやってピアノを弾くかよりもいかにして音楽を表現するかが大事であって、そのために自分という演奏家が前面に出る必要はまったくない。もちろん世の中には自分を前面に押し出して素晴らしいショウを披露するアーティストもいますけど、自分はそういうタイプではありません」。
 そう語るポール・ルイスにとって、自分がピアノという楽器を通じて取り組める偉大な音楽を残してくれたのが、ベートーヴェンであり、シューベルトであった。

2度目のシューベルト・チクルス

2010年、ポール・ルイスは夏のBBCプロムスでベートーヴェンの協奏曲を全曲演奏したが、これは彼の『ベートーヴェンの日々』を締めくくる一大イベントであった。それに先立って05年から、実に足かけ6年にわたって集中的にベートーヴェンを演奏してきたのだ。
 「テーマを決めて弾きこんでいくのが好きなんです。さまざまなプログラムを演奏したほうが新鮮さを保てるから好きだという人もいるでしょうけど、自分の場合はその反対で、同じプログラムを繰り返し演奏し続けることで核心に近づけるような気がする。同じプログラムとはいえ決して同じ演奏にはなりませんし、数をかけるにしたがってどんどん変化が生まれます」。
 そして2011年からスタートするのが、王子ホールをはじめ世界各地で行われるシューベルトの後期作品を集めたチクルスである。2013年までに欧米を中心に10以上の都市で、5つのリサイタル・プログラムを披露する。彼にとってベートーヴェンからシューベルト、というのは自然な流れだったのだろうか。
 「ある意味ではそうですね。両者とも自分にとってもっとも大切な作曲家のなかに含まれています。ほぼ同時代に生き、同じ都市で活動していましたし、共通点もたくさんある。けれどもシューベルトとベートーヴェンは、基本的に大きく異なる作曲家だと思います。とくにキャリアの晩年に近づくにつれてその違いは顕著になる。私が興味を惹かれるのは彼らの相違点なんです。それをこのチクルスを通じて探求したいと思っています。ですからベートーヴェンを経てシューベルトに進んでいくというよりは、どちらも自分の愛する音楽だから、時間をかけて取り組みたいんです。彼らの音楽というのは、没入し、年月をかけて掘り下げていくことでその豊かさがますます際立ってくる。シューベルトの作品は繰り返し演奏されることで味わいを増すものだと思うのです」。
 掘り下げるにあたっての集中力も並大抵ではない。ポール・ルイスはこの1月にプロモーションのために来日し、王子ホールで30分ほどのミニ・コンサートを行った。演奏したのはハ短調のアレグレットと「3つのピアノ曲」から2曲。その前日も当日も暗譜で練習していたのだが、驚いたことにそもそも日本に楽譜を持ってきていなかった。訊けばいつも楽譜は持ち歩かないとのことであった。
 「自分は演奏会を始める前に、まず手稿譜を含むさまざまな版を検討して、そのうえで一歩距離を置くようにしています。ひとつひとつの音符を検討し、その意味や前後との関わりをあれこれ考えますけど、そうした作業を経てから楽譜と距離を置き、演奏するなかで自分がどう感じるかを大事にしたい。しっかりした土台を構築したうえで、その作品の本質を素直な感情とともに表現したいんです。そのためには最初に頭の中にすべてを叩き込んでおかないと」。
 ポール・ルイスは10年前にもシューベルトの連続演奏会を行っている。このときは1年がかりでピアノ・ソナタを全曲演奏した。
 「前回はチクルスを終えてからもまだ未完のような感覚がありました。今から考えると10年前のチクルスは今回のチクルスの準備段階だったように思えるし、もしかすると今から10年後にはまたシューベルトに立ち戻りたくなるかもしれません。シューベルトというのは何度もそこへ戻っていきたいと感じさせる作曲家なんです」。
 この4月から始まるチクルスはシューベルトが梅毒の診断を受けた1822年以降に書かれた作品を扱うことになる。当時は梅毒といえば不治の病であり、その診断はある種の死刑宣告であった。だからこそ、それ以降のシューベルト作品の核には闇が――逃れられない死という運命が根を下ろすようになったと考えている。
 「1822年以前の作品にもメランコリックなところはありましたが、22年以降の作品に見られるほどあからさまではありませんでした。それまでは美しさや温かさが作品の核にあったのに、梅毒の宣告を受けて以来、シューベルトの世界はひっくり返ってしまったんです」。
 10年前にチクルスを行ったときと今とで、シューベルトの闇の捉え方に違いは出てきたのだろうか?
 「昔とは異なるバランスで見るようになったでしょうね。10年前はその闇の深さばかりを意識していましたけど、今では単に荒涼としたダークな感覚だけではなく、ノスタルジアというか、現実ではない何かへの憧憬も見えてくるようになりました。たとえばずっと短調で描かれていたものが急に長調に変わる。そのときに明るさが垣間見えるのだけれど、それが幻想だと分かっている。その明るさの奥には悲しさが透けて見えるんです。それがシューベルトの奥深さであり、独自性だと思います。このような描写ができる作曲家は他にいないのではないでしょうか」。

レコーディングと音楽祭と、やはりシューベルト

チクルスと並行してどのような活動を予定しているかを訊ねたところ、答えはやはりシューベルトであった。まずレコーディングだが、このチクルスのVol.1とVol.2のプログラムを収めた2枚組のアルバムが企画されており、この秋にハルモニア・ムンディからリリースされる予定とのこと。また夏には一昨年に妻でありチェリストのビヨーク・ルイス(ヴェルターヴォ・カルテット)と立ち上げた音楽祭も控えている。
 「夏至近くに開催するのでミッドサマー・ミュージックという名前にしました。私が住んでいるロンドン北西部、典型的なイギリスの田園地帯が舞台です。金・土・日の3日間で4公演あるだけの小規模なものですが、この夏はリサ・バティアシュヴィリ(ヴァイオリン)、シモン・トルプチェスキ(ピアノ)、マーク・パドモア(テノール)なども来てくれます」。
 演奏するのはいずれもシューベルトの作品。トルプチェスキとは4手の《軍隊行進曲》、バティアシュヴィリとはヴァイオリン・ソナタと妻を交えたピアノ三重奏、そしてパドモアとは「冬の旅」を演奏する。やはり、というか、よくもまあ、というか、とことんシューベルトという作曲家と向き合う覚悟でいるのは明らかだ。「そもそも自分はシューベルトほど面白い人間ではありません」と言って笑う彼だが、十二分に面白く、そして長く心に残るシューベルトを奏でてくれることだろう。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:ユーラシック、キングインターナショナル)

【公演情報】
ポール・ルイス シューベルト・チクルス Vol.1
2011年4月21日(木) 19:00開演(18:00開場)
全席指定 5,000円

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