インタビュー 村治佳織
王子ホールマガジン Vol.26 より 十代半ばにしてデビューを果たして以来、コンスタントに各地でコンサートを開催し、アルバムを次々とリリースしてきた。テレビやラジオ、新聞、雑誌などへの露出も、クラシックの音楽家としては飛びぬけて多い。2003年に王子ホールでスタートさせたシリーズ公演『transit』のチケットは、毎回発売から30分と経たずに完売してしまう……「げにや思ふこと叶はねばこそ憂き世なれ」とはいうが、村治佳織のキャリアを見る限り、叶わなかった夢などなさそうだ。 |
村治佳織(ギター) 東京都出身。福田進一に師事。1989年、ジュニア・ギターコンクールにおいて最優秀賞を受賞。91年、学生ギターコンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。92年ブローウェル国際ギターコンクール(東京)及び東京国際ギターコンクールで優勝を果たす。93年、津田ホールにてリサイタルデ ビュー、続いてCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。95年、第5回出光音楽賞を受賞。96年、村松賞受賞。 |
住まいの移動(トランジット) 「子供の頃から、『ギタリストになりたい』という夢を持つ前にギターがありました。小さい頃は、音楽は当然続けるものとして疑問もなくやっていましたし、やめるということも考えられなかった。フランス留学にしても、なんとなく『行くものなんだろうな』という感覚は昔からあったんです。ただ行ってみる と、留学中は一回もホームシックにならなかったし、ヨーロッパの生活にすんなりと入れました。だから、『今はこうやって勉強しに来ているけど、ヨーロッパの音楽をやっているのだし、将来的にはヨーロッパで生活したい。いつかは海外と日本の両方に住みたい』という意志を持つようになりました」。 そして早い時期から着実に足場を固めていった。周囲の人間に自分のビジョンを伝えながら少しずつ準備をし、ヨーロッパでのレコーディングに先立ってロンド ンやマドリッドで1ヶ月、3ヶ月といった期間、試験的に暮らしてみた。「住めば都で、どこも好きになってしまうんですよ」と笑うが、最終的にはほかのどの土地とも違う青い空が見られるマドリッドに居を定めた。 「スペインの都市というと、女性誌などでもバルセロナが特集されることが多いですよね。それに比べるとマドリッドはやや観光スポットが少ないかもしれません。もちろん大都会なんですけど、東京ほどではない。日曜日はたいていのお店が閉まっていて、夏になるとみんな海や山、 あるいは他の国へバカンスに行ってしまう。そういうところはいいなあって思います」。 東京にいるときと生活のリズムは変わるのだろうか。スペインでの日常について訊ねると、 「東京にいるときから朝型の生活をしていて、それは変わらないんですけど、圧倒的に会う人の数が少ない(笑)。東京にいると友達も多いし、仕事関係の人ともよく会います。でもマドリッドにいると、新しい人にまったく会わない週というのがいっぱいあって、そういう穏やかな環 境を楽しんでいます」。 スペイン語と英語と日本語を使い分けるコスモポリタンな生活を続けるなかでも、やはり音楽をはじめとする文化に触れる時間は大切にしているようだ。 「コンサート会場は東京ほど多くないんですが、いくつかあって、ひと晩に2回公演があるんです。先日は夜の7時半からアルカント・カルテットを聴いて、それから当日券を買ってまた入場して、10時半からデイヴィッド・ラッセルのリサイタル。終わったころにはもう深夜零時を 回っていました。こんな経験もなかなかできないですよね」。 |
DECCAへの移籍(トランジット) 2003年にイギリスの名門DECCAと専属契約を結んでからは、イギリスやスペイン、ドイツでも録音をするようになり、毎年1枚のペースでアルバムをリリースしてきた。 「レコーディングには気負わずに行きたかったので、始まる3週間ぐらい前には出発して、ロンドンだったりマドリッドに滞 在するという生活をしていました。それが今の生活の布石にもなっているわけです(笑)。マドリッドに住むようになってからは、それが更にラクになりました。東京から大阪とか福岡に行くような、『ちょっと行ってきます』という気分でいいので、体力的にも気分的にも余裕が生まれます」。 DECCAとの契約後しばらくはソロでしっかり聴かせることをコンセプトにしたが、同レーベルに所属するアーティストとのコラボレーションも次々と実現させた。 「ヨーロッパにいると物理的にも近いし、たとえばロドリーゴであればスペイン、バッハであればドイツというふうに、作品の生まれた場所で活動しているオーケストラと一緒に演奏したいなと思っていました」。 2009年10月にリリースされた最新作『ポートレイツ』では、「ギターで聴きたい名曲たち」というテーマのもと、ショパンやシューマン、さらには坂本龍一にエリック・クラプトンまで多彩な選曲となった。 「今までも周期的に、コアなクラシックを録音したら次は力を抜いて聴けるゆるやかな音楽を、というように作品をつくってきました。今回は、作曲も編曲も含めて同じ時代を生きていて、自分がコンタクトをとれる人たちの曲を収録しました。この作業が楽しかったので、できればまた同じようなラインでアルバムを作りたいなと考えています」。 |
『transit』の変遷(トランジット) 王子ホールでのシリーズ公演『transit』。村治佳織はこれまで1日2回公演を行うなど毎回プログラムを練って臨んできたが、次回公演のプログラムは新たなホームグラウンドであるマドリッドの生活からうまれたそうだ。 「今まで日本では楽譜を求めてショップを色々見て回るということをあまりしてきませんでした。私の場合恵まれた環境で、父がすでにたくさんの楽譜を集めてあったので、自分で楽譜を探す必要がほとんどなかったんです。今ではマドリッドでよく行くお店が2箇所あって、ギターの楽譜があるところまで脚立を持っていって、そこへ腰掛けて楽譜を眺めています(笑)」。 そんなある日、シンプルなイラストが表紙を飾るギター小品集と出会った。 いわゆるジャケ買いだ。 「そういうことってほとんどないんですけれども、出会いですね。新作の曲集らしいことは察しがつきましたけど。で、開いてみると詩が各曲についていて、それが全員女性の詩人によるものなんです。和歌であったりギリシャの詩人であったりして、それをスペインとポルトガルの作曲家に委嘱して編纂された曲集です」。 どの詩が一番お気に入りか訊ねると、「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」とそらんじた。紫式部の歌で新古今集、小倉百人一首にも収められている。自撰集である『紫式部集』の冒頭を飾る歌で、「幼馴染と久しぶりに再会できたのだが、旧 交を温める間も持てぬまま帰ってしまった」という内容の詞書(ことばがき)が添えられている。次回の『transit』ではこの歌をはじめ計4首の短歌を詠み、それぞれにつけられた曲を演奏する。 最後にこの先の自身の活動、そして『transit』シリーズの将来像を訊ねた。 「これまでの人生でも人に恵まれてきましたけど、音楽仲間とのつながりを大切にしていきたいですね。スペインの知人も、今はまだ食事やお酒をともに楽しんだり、一緒にヨガに行ったりとか、そういうことが多いんですけど、いつか向こうで一緒に演奏をしたり、逆に日本に彼らを招待して演奏したいですね。あと、今回の『ポートレイツ』にはギタリストが編曲した作品がたくさんあったんですけど、できたら自分でもやってみたいなと。作曲にはまったく自信がありませんけど、編曲にはいつか挑戦してみたいですね」。 どうせなら「自作自演の夕べ」までやってみてはどうだろうか? 「そこまでは……でも夢は大きく言っておいたほうがいいですかね(笑)?」 これまでことごとく夢を叶えてきた村治佳織のことだ、いずれ自らの手による作品を盛り込んだ演奏会を開いてくれることだ ろう。何年目の『transit』で実現するかはお楽しみ、である。 (文・構成:柴田泰正 写真:keiko kurita 協力:ムジカキアラ) |
【公演情報】 |
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