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王子ホールマガジン 連載

ピアノという仕事Vol.23 マルコム・マルティノー

王子ホールマガジン Vol.52 より

スコットランド出身のマルコム・マルティノーは現代を代表する歌曲伴奏者の一人。王子ホールでは今年3月にクリスティアーネ・カルク、4月にモイツァ・エルトマンと、2ヶ月連続で人気ソプラノ歌手のリサイタルをサポートした。学生時代の豊富な舞台経験を糧として世界中でコンサートの舞台に立っているが、教育や企画のプロデュースでも『歌の世界』に貢献している――

マルコム・マルティノー(ピアノ)

エディンバラに生まれ、ケンブリッジ大学のセント・キャサリンズ・カレッジと英国王立音楽大楽に学ぶ。同世代の中でもトップレベルの伴奏者として認められており、これまでにウィグモア・ホールやエジンバラ・フェスティバルで自身のコンサート・シリーズを行っている。CDでは、ブリン・ターフェル、サイモン・キーンリーサイド、アンジェラ・ゲオルギュー、バーバラ・ボニー、マグダレーナ・コジェナー、デラ・ジョーンズ、スーザン・バロック、ソルヴェイグ・クリンゲルボーン、アマンダ・ルークロフト、サラ・ウォーカー、トム・クラウゼ、フロリアン・ベーシュほかと共演。2004年、英国王立スコットランド音楽院から名誉博士号を授与される。また、09には同音楽院伴奏科の「インターナショナル・フェロー」に任命され、後進の指導にあたっている。11年には、リーズ・リーダー(歌曲)・フェスティバルで音楽監督を務めた。

――はじめに音楽との出会い、そしてピアノを始めるに至った経緯を教えていただけますか。

マルコム・マルティノー(以下「マルティノー」) 私の母はプロのピアニストでした。弦楽器、特にチェリストだった叔母との室内楽が主な活動でした。もちろん家では常に音楽が響いていましたし、合奏の楽しみというものを幼いころから感じていました。ですが母からピアノを習ったことはありません。これはいいことだと思います。免許をとりたての子供の助手席に乗るのと同じで、どうしても口うるさくなってしまいますからね(笑)。

――最初にレッスンを受けたのはいつですか?

マルティノー 4歳のときです。最初についた先生は母の先生でもあった人で、70代か、もしかすると80代になっていたかもしれません。その先生には音をよく聴き、様々な音色を意識し、そして音楽を通して物語を語るよう教えられました。小さいころはとにかく楽器を弾くのが楽しくて、毎日何時間もピアノを弾いていました。でも『練習』というほど規律正しいものではなかった。10歳ぐらいからでしょうかね、テクニックに取り組むようになったのは。

――お母様がピアニストということは、ご自宅にはコンサートサイズのピアノがあったのですか?

マルティノー 2台ありました。ひとつはクララ・シューマンの弟子であったファニー・デイヴィスが所有していた美しいローズウッド製の大きなピアノ、もうひとつは古いスタインウェイです。母は89歳までプロとして活動し、昨年の12月に91歳で亡くなりました。

――マルティノーさんはまずケンブリッジ大学に進学し、その後王立音楽院で学ばれたそうですが、プロとして活動すると決意したのはいつですか?

マルティノー 決意をしたというわけではないのです。ただ自然とそうなったというだけで(笑)。大学進学前に1年ギャップイヤーをとって、その間にコンクールを受けました。そして第1回BBCヤング・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー・コンクールでファイナリストになり、これがきっかけとなってソリストとしての演奏機会を多くいただきました。その後4、5年間はケンブリッジで音楽を専攻し、音楽史や和声や音響などについて学びつつソリストとして活動しました。ケンブリッジの素晴らしいところは、自分が望めば毎晩でも演奏会ができるところです。在学中はコンチェルトも室内楽も歌曲伴奏もたくさんやりました。人前で場数を踏めたのはよい経験です。

――現在は歌曲伴奏のスペシャリストとして有名ですが、歌手との共演はいつごろからするようになったのですか?

マルティノー 最初に歌手と共演したのは14歳ぐらいのときですね。当時の先生がたいへんオペラに熱心な方で、私にオペラの世界を教えてくれると同時に、多くの歌手と引き合わせてくれました。1970年代の中ごろで、ちょうどスコティッシュ・オペラがひとつの最盛期を迎えていました。世界中から高名な歌手が来てオペラに出演していた。そしてわたしは幸運にもジャネット・ベイカーをはじめとする人々の伴奏を務める機会を与えられたのです。このときから声に、そして歌に魅せられるようになりました。

――初期の共演者にはどういった方がいたのですか?

マルティノー いま名前を出したジャネット・ベイカーとは大学在学中から共演することができました。それからイギリスのメゾ・ソプラノ、サラ・ウォーカーとも共演し、フォーレ全集を録音しました。自分と同世代の歌手でいうと、ブリン・ターフェルやサイモン・キーンリーサイドとも面識を得て、共演の機会が増えました。トーマス・アレンのような年長の演奏家から学ぶことも多かった。素晴らしい音楽家との共演を通じて、徐々に歌曲伴奏者としてのキャリアが形成されていったわけです。

――伴奏法はどこで学んだのですか?

マルティノー ジェフリー・パーソンズに師事しました。大学ではケンドル・テイラーのもとでピアノ・ソロを学びました。パーソンズに師事したのは最後の1年だけで、その後しばらく個人的に教えを乞いました。大学時代は自分でも歌のレッスンを受けました。声のテクニックを実際に学び、体験するというのは重要なことだと思います。息継ぎをはじめ、歌唱と肉体との関係性を知るのは大事なことです。教え子には必ず歌のレッスンを受けさせるんですよ。みんな嫌がるけれど構うものか(笑)。もちろんずっとやらせるわけではなくて、呼吸法など基本的なことを体験してもらいたいわけです。

――マルティノーさんはウィグモア・ホールをはじめ各所で歌曲のシリーズ企画を展開していますね。

マルティノー いろいろとやってきました。ウィグモア・ホールで最初にやったのはブリテンの全歌曲でしたね。1999年にはエディンバラ音楽祭でヴォルフの全歌曲を演奏しました。コンサート回数は全16回で、すべて違う歌手との共演。1つのコンサートで2人の歌手と共演することもありました。ウィグモアでは『10年紀(Decades)』というシリーズもやりました。1810年~1910年にかけて書かれた歌曲を、10年ごとに区切って提示するもので、ドイツ歌曲だけではなく、フランス、イタリア、スペイン、スウェーデン、ロシアなどの作品も入れて、それぞれの時代、それぞれの国で何が起きていたのかを俯瞰しようというのが狙いです。これはCD化もされています。
 最近では「Song Lives(ソング・ライヴズ)」というシリーズをやりました。これは歌を通じて作曲家の生涯を描くシリーズで、シューマン、ブラームス、ドビュッシー、ラフマニノフなど、バラエティ豊かな作曲家を採りあげました。もちろん全部の歌曲を演奏することはできないので、最初の歌と最後の歌、人生の重要な転機に書かれた作品、その人の作曲技法の幅を示す作品などを選びました。有名な曲と演奏機会の少ない曲を組み合わせることも多いです。たいていの作曲家には『知られざる名曲』というのがありますから、新たな発見もあります。

――今後のプロジェクトとして温めている企画は?

マルティノー いつも企画を考えていますよ。新しい切り口を見つけたい。クララ&ロベルト・シューマン夫妻の周囲に集った友人たち――メンデルスゾーン、リスト、そして彼らの友人でもあった詩人など――に焦点を当てたプログラムや、ゲーテ、ヴェルレーヌ、シェイクスピアなど、特定の詩人を特集したプログラムなど、可能性はいろいろあります。従来とは異なる観点から音楽を見渡せるようなプログラムを提示したいですね。

――マルティノーさんは世界各地でマスタークラスを開くなど、教育にも熱心です。

マルティノー 長いこと教えていますね。王立音楽院ではもう28年も教えています。それから機会があれば海外でも教えています。ニューヨークでもサンフランシスコでも、若手演奏家のためにセッションを開くことがある。パリでもベルリンでも同様です。たとえば異なる言語や様式で歌うことに関する規則やアプローチ方法というのは、どこにいても学べるものではありません。自分が年月をかけて身に着けてきたものを若い人たちに教えられるのは嬉しいことです。若いアーティストが初めて歌うレパートリーと向き合う姿を見ていると、こちらも多くを学びます。
 生徒には作曲家がその時代にどのような曲を書いていたのか、同時代にはどんな芸術運動が起きていたのかなども学んでほしいですね。歌曲だけではなくて管弦楽曲を聴いたり、絵画を見たり、歴史的出来事について調べたり。19世紀、シューマンとハイネの時代にはナポレオン戦争やそのほかの様々な出来事が起きていました。そうしたことは当然音楽に、そして芸術全般に影響を及ぼしますから。

――別のインタビューでマルティノーさんはご自身を「分析的というよりは直観的・本能的な演奏家だ」とおっしゃっていました。

マルティノー その通りです。もちろん作品をよく知っていなければなりませんが、ひとつひとつの音符を緻密に組み立てるタイプではありませんね。コンサートではあらゆる事態に反応しなければならないし、毎回異なる演奏になります。共演する歌手にもそうした柔軟な姿勢の人が多いですね。「こう演奏するのだ」とガチガチに決め込んでしまったら、コンサートで魔法が生まれなくなってしまう。共演者の意向を理解することは大事です。でもひと通り練習して相手のことをよく観察すれば、どこで間をとりたいのか、どういう音色を出したいのかなどが見えてくるし、それに呼応しやすくなる。そうすればいちいち言葉を尽くして議論しなくてもいいし、なによりリハーサルが効率よく終わります(笑)!

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:ジャパン・アーツ)

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