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王子ホールマガジン 連載

ピアノという仕事Vol.9 川真田豊文

王子ホールマガジン Vol.37 より

数ある西洋楽器のなかでもメジャーな存在といえば、ギターやフルート、ヴァイオリン、そしてなによりピアノだろう。だがピアノで食べている人間はそう多くない――ほとんどの場合は子供のころの『お稽古』で終わるものが、長じて生活の糧を得る手段となるまでに、どういった変遷をたどるのだろう。この連載では王子ホールを訪れる、ピアノを仕事とする人々が、どのようにピアノと出会い、どのようにピアノとかかわっているのかにスポットをあてていく。

これまでは王子ホールに登場するピアニストを紹介してきたこの連載だが、今回はそのピアニストを陰で支える人物をご紹介したい。数多くの演奏家が全幅の信頼を寄せる川真田豊文は、実に半世紀にわたってピアノに携わってきた、いわば『バックステージの巨匠』である。王子ホールで現在使われているスタインウェイ・ピアノも納品時から現在に至るまで折に触れ彼のケアを受けている。コンサートの調律だけでなく後進への技術指導も行ってきたこの道のエキスパートに、ピアノという仕事について訊ねた――

川真田豊文(ピアノ調律師)

1942年広島生まれ。64年、斎藤ピアノ調律所に入社し、68年まで日本のコンサートチューナーの第一人者である斉藤義孝に師事する。70年、松尾楽器商会入社。翌年ドイツ・ハンブルクのスタインウェイ社にて技術研修。帰国後は第一線の調律師として国内外の多くのピアニストから信頼を得る。98年、松尾楽器商会退社。99年から2008年までスタインウェイ・ジャパン技術顧問を務める。現在はスタインウェイ・ジャパン委託技術者として各地で調律を手掛けている。

 

Q まず川真田さんの生い立ちについてお訊ねしますが、ピアノとの出会いはいつだったのですか?

川真田豊文(以下「川真田」) 出身は広島で、今の飛行場の近くで生まれました。田舎で音楽にもピアノにもまったく縁がない環境で育ちました。ですからはっきり言って、なぜ自分がここでこんな仕事をしているのかと不思議に思うことがあります(笑)。クラシック音楽に触れるようになったのも、この仕事を始めてからですね。もちろん仕事ですからピアノを触って音を出しますし、音を出せばどこを調整すべきか判断できます。タッチにしても長年やっていると調子の悪いところは分かります。でも自分でピアノを演奏することはまったくありません。

Q 調律の仕事をするようになった経緯についてお話しいただけますか?

川真田 高校を卒業したのがちょうど国内でピアノのブームが始まろうとしていた頃で、親戚に楽器製造の仕事をしている人がいたのでそこに入りました。ですからどういう仕事かもよく分からないままピアノ技術者の道に入っていったんです。まず広島にある工場に3年ほど勤めて、調律の基礎的な技術もそこで教わりました。そして工場長から東京の斎藤ピアノ調律所を紹介してもらったんです。私が弟子入りした斎藤義孝さんという方は、当時都内のコンサートの調律をほとんど手掛けていました。まずは師匠の鞄持ちとしてホールに出入りするようになって、コンサート調律の仕事を見て覚えていきました。東京文化会館や日比谷公会堂、厚生年金会館などはよく行きましたね。

Q そこで国内外のピアニストを相手に仕事をする師匠の姿をご覧になっていたわけですね。

川真田 そう、後ろに立って見ていました。師弟関係がものすごく厳しい時代でしたから、師匠の後ろで2時間ぐらいずっと立って見ていなきゃいけない。しんどい仕事でしたね(笑)。

Q そして師匠の仕事ぶりを見て覚えていったわけですね?

川真田 一番大事なのは、調律からリハーサル、調整作業、そして本番という演奏会当日の流れのなかで、演奏家からの要望にどう対応していけばいいのかというところですね。師匠の仕事を見ているうちにそういった部分は自然と身についていきました。

Q 当時はご自身で他の演奏会場へ行って調律はなさっていたんですか?

川真田 いいえ、調律はまだやっていませんでした。その代わりピアノの修理の仕方を先輩から習っていまして、修理の仕事もやっていました。当時は弟子が4人いて、代わる代わる演奏会場にお供していました。それが5年ぐらい続きまして、その後松尾楽器商会の先代の社長から声をかけていただきました。そうして松尾楽器に入社し、すぐにヨーロッパへ研修に行きました。ハンブルクのスタインウェイで半年ほど工場の各セクションをまわって製造工程を覚えて、それからウィーンのベーゼンドルファーで1年近く研修しました。ベーゼンドルファーは技術者が少なかったので、研修員を雇って仕事を与えつつ学んでもらうというシステムだったんですね。製造の現場で仕事をしつつ、ときどき調律に出ていました。日本人も何人かいましたよ。

Q 研修を終えて帰国なさってからはどんなお仕事を?

川真田 それからはずっと、もう40年は調律の現場に出ています。ピアノ技術者としては52年になりますね。あっという間です(笑)。

Q コンサートチューナーの仕事で大事なことは何か、具体的にお話しいただけますか?

川真田 ものを言わないピアノと、いろいろな要求をするピアニストの間に立って、ピアニストから求められたことをピアノに反映させていくというのが我々の仕事です。現場で演奏家の要求にどう対応していくか、演奏家との関係性が大事です。まず演奏家がリハーサルをする前に調律をして、自分でよかれと思う状態に整えてから引き渡すわけですけど、それがそのままOKになることもあれば、リハーサル後にいろいろと要求が出てくることもあります。演奏家が不満そうにしていたら「なぜだろう?」と考え、問題をひとつひとつクリアしていくしかない。演奏家と同じレベルでピアノが弾けるならすぐに問題が分かるんでしょうが、これはまず無理な話です。演奏家はそれぞれ個々の世界を持っているし、何をもって『弾きにくい』とするのかは、その人しか判断できない部分がほとんどです。それをどう理解するかは経験に頼るしかないんです。いろんな人のいろんな要求を聞いて、だんだんとその塩梅が分かるようになる。演奏家は自分の感じたことを言葉で伝えてくるわけですけれど、人によって表現が大きく異なります。極端な話、伝えてくる言葉と意図しているところがまったく逆のときすらある。しかしその言葉がどうであれ、ピアニストが求めるものというのはそれほど大きくは違わないと思います。何らかの表現意図をもってピアノを弾いていて、どこかで意図していない音が出ると、「ここがおかしい」と気になる。リハーサル中にそういう箇所がいくつか出てくるわけです。本番までにそういったところをひとつひとつクリアしていくのが私の作業になります。

Q 川真田さんが調律をしたときは音が変わるという感想をよく聞きますが、何か秘密は?

川真田 ピアニストが10人いれば、同じ場所で同じピアノを弾いていても10通りの音が出ますよね。それと同じように、調律師も音が違う。人間の声がそれぞれ違うように、自然と違ってくるものなんでしょうかね。ここまでいくとよく分からないですよね。自分で意識して独自の音をつくろうとしたって、それはちょっと無理でしょう。逆に言うと手を変え品を変えやってみても、やはり私の音になる。その音が好みに合うかどうかでピアニストは技術者を選ぶようですね。

Q 1999年からはスタインウェイ・ジャパンでの技術顧問という立場になりましたが、どういった活動をなさっていたのですか?

川真田 今はやっていませんが、スタインウェイのピアノの技術講習を担当していました。受講者はみんな技術者として十分世間に認められている人たちなので、ピアノのことは理解している。ですからスタインウェイの設計思想だとか、どういった手順でケアをすればいいかとか、そういった技術の交流を通じて、自分がどのように考えて仕事をしているかを伝えるぐらいしかできません。ピアニストから何らかの要求があったとして、それに対してメカニックはどういう状態にあるべきなのか、そして調律はどういうふうにすればいいのか。そういう点についての自分の考えを伝えていました。

Q 川真田さんのお仕事ぶりを拝見すると、なるべくピアノをいじりすぎないようになさっているように思うのですが、これはピアノの消耗を気にかけてのことなのでしょうか?

川真田 ピアノの消耗について言えば、ピアニストが弾くだけならそんなに激しくは消耗しないんです。むしろ技術者が手を入れすぎてしまうことで消耗してしまう。演奏会ではそのつど調律が入りますけど、調律を担当する技術者はみんなそれぞれの考えを持ち、それぞれに手の入れ方が違う。ピアノの状態を良くしようとしているのはみんな同じなんですよ。でもそこまでのもっていきかたが違って、右に振れたり左に振れたりする。なので当然、消耗は早いです。これはホールのピアノの宿命と言えるでしょうね。
 実際にピアノを調律するときも、前はすごく状態がいいなと思ったのに、しばらくしてから見るとずいぶん調子が悪そうにしていたりする。私が仕事をしていて一番楽しいのは、ホールに入って最初にピアノの音を出すときなんです。どこのホールへ行っても、まず「ご機嫌はいかがかな」とピアノを触るときが面白い。日によって「今日は楽チンだ」とか、「今日は大変だぞ」ってね。残念ながら「今日は演奏家に謝らないといけないかもしれない」と思うときだってあります(笑)。

Q この先、川真田さんの後に続く方々に何かアドバイスは?

川真田 私がよく言うのは、いろいろと注文してくれるピアニストと付き合ったほうがいいということ。要望が多くても、それをクリアしていくのが面白いわけですから。もちろんみなさん考えていると思いますけれど、自分の調律師としての立ち位置をよく考えることが大事だと思います。ピアノと自分との距離、ピアニストと自分との距離。我々は黒子であって主役ではないですからね。でも重要な仕事であることは確かです。
 どんな仕事でも同じだと思いますが、お客さんにどれだけのものを提供できるかが大事だし、そのためにいろいろな経験を積んでいくしかない。私は松尾楽器さんに入ってからすぐ現場に放り込まれて、いろいろな人からいろいろなことを言われつつやってきました。ほかの人たちの数倍はピアニストと接触してきたので、その経験は大きいですね。そういう経験を積める場所が限られているのが難しいところですけど。
 あとは現場の仕事をやる際に、日々テーマを持って取り組むことです。私がこの歳になっても仕事を続けられるのは、ピアニストから出された問題を解決することを楽しめるからです。そしてその結果いい演奏につながれば満足ですね。

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:スタインウェイ・ジャパン)

【公演情報】
川真田豊文 調律担当公演

ジャニーヌ・ヤンセン
11月27日(火) 19:00開演 18:00開場 
全席指定 8,000円  残席僅少
ジャニーヌ・ヤンセン(ヴァイオリン) イタマール・ゴラン(ピアノ)

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アンヌ・ケフェレック
12月4日(火) 19:00開演 18:00開場
全席指定 6,500円  残席僅少
アンヌ・ケフェレック(ピアノ)

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