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王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.25 加藤昌則

Vol.25 加藤昌則

王子ホールマガジン Vol.56 より

「《ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ》の7つの音のなかから好きな音を3つください」と呼びかけ、リクエストされた3つの音をもとにその日のテーマ曲を即興で演奏する。コンポーザー=ピアニストの加藤昌則がホストを務める『Café』シリーズの冒頭を飾るおなじみの光景だ。少年時に聴いた即興演奏や落語の三題噺にヒントを得て始めたとのことで、「作曲の勉強が即興の『語彙』を増やすことにもつながった」と語る通り、彼にとってピアノ演奏と作曲は互いを高める作用を果たしてきたようだ。そんな彼の、ピアニストとしての来歴をつまびらかにしてみよう――

加藤昌則(ピアノ)

東京藝術大学作曲科首席卒業、同大学大学院修了。作品はオペラ、管弦楽、声楽、合唱曲など幅広く、作品に新しい息吹を吹き込む創意あふれる編曲にも定評がある。また多くのソリストに楽曲提供をしており、共演ピアニストとしても評価が高い。独自の視点、切り口で企画する公演や講座などのプロデュース力にも注目を集めている。2005年「スロヴァキアン・ラプソディ」06年オペラ「ヤマタノオロチ」、神奈川フィル定期演奏会で委嘱作品「刻の里標石」、12年≪福島復興・復活オペラプロジェクト≫作品「白虎」(第11回佐川吉男音楽賞受賞)、14年連作歌曲「二本の木」など話題作を発表。いわゆる15年NHK全国学校音楽コンクール小学校の部の作曲を務める。16年4月よりNHK-FM「鍵盤のつばさ」番組パーソナリティーを担当。銀座ぶらっとコンサートの「Café」シリーズは07年にスタート、11月の「Café ギンザ」で22回目となる。
ホームページ http://www.masanori-music.com/
公式Facebookページ https://www.facebook.com/masanorikato02/

――音楽との出会い、そしてピアノを始めるに至った経緯を教えていただけますか。

加藤昌則(以下「加藤」) もともとピアノをやっている幼馴染がいて、自分もやればもっと仲良くなれるだろうという不純な気持ちから始めました(笑)。音楽を始めたのは小学校2年生のときなので、遅いほうですね。

――小さいころからピアノはあったのですか?

加藤 アップライトピアノを買ってもらったのですが、それはしばらく後になってから。すぐにやめると思われていたので、ピアノを始めてから半年間は紙鍵盤でカタカタ練習していました。でもそれでよかったと思います。家で1週間音の出ない環境で練習をして、それから本物のピアノに触れて音を出すと、「すごいな! キラキラしているな!」という感動があったから。

――ピアノのレッスン環境はどんな感じでしたか。

加藤 最初はヤマハの音楽教室でした。でも僕は変な生徒で、テレビの『題名のない音楽会』でチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトを聴いて「かっこいい!」と思うと、その楽譜を持っていって「先生これ弾きたい!」とお願いするという(笑)。先生も困ったみたいで、ご自分の恩師だった志賀先生という方を紹介してくれました。それが小学校5年生ぐらいのときです。

――ピアノをはじめてすぐ作曲に興味を持ったそうですね。

加藤 音符の書き方を覚えると、ちょっとカッコつけて五線紙ノートに音符やト音記号を書いて、それだけで「オレは作曲家だ!」みたいな気持ちになったんです。しかもピアノがあれば、それがすぐ音になる。紙の上の現象が音になって出てくることに興味を覚えたのと、自分が聴いた音楽の世界が一冊の楽譜の中に入っているということにロマンを感じて、気づけば作曲をするようになっていました。

――ではピアノは作曲をする上でのツールという位置づけだったわけですね。

加藤自分が書いたものを弾いて、自分が楽しむためのものだった。練習は好きではなかったけれど、新しい曲を弾いたり、知らない楽譜をもってきて弾いたりすることはすごく好きでした。中学校に入ったぐらいのときに、ピアノの志賀先生がおっしゃったことを今でも覚えています――「あなたに必要なのは作物の育て方をひとつひとつ教わるようなピアニストの教育ではなくて、なるべく広く畑を耕すこと。わたしは畑を耕しておくから、そこに何を植えてどう育てるかは自分で勉強しなさい」と。僕にとって必要なのは、できるだけ多くの作品を知って、そのエッセンスを伝えられるようにすることだったわけです。これにはすごく感謝しています。先生の言葉の意味を身に沁みて感じたのは、自分が現場に出るようになってからです。全然知らないものがくるということはほとんどなかったし、耕してくれていたからなにかと対応できた。

――藝大の作曲科に入ってからピアノとのかかわりに変化はありましたか?

加藤 僕がピアノ演奏をするきっかけになった大きな出来事がありました。それは自分の作品を演奏しなければならなくなったことです。大学では年に1回、指定された編成で曲を書くという課題を与えられます。1年次に提出した作品は2年次に実演して、先生方が審査をする。だから大学に入るとみんな同級生のなかから実演してくれる人を探して頼むわけです。僕もこれはと思う人にピアノを頼みました。ただその人は現代ものを弾いた経験がなかった。僕は大学に入ってからフランスのブーレーズに代表されるセリー音楽に傾倒していて、このとき書いたのもまさにそういう曲でした。だから合わせをしてもうまくいかず、ピアニストも「これは迷惑をかけるな」と思ったようで、早い段階で辞退したんですね。いまさら別のピアニストは見つからないし、演奏しないと進級できないし、もしかしたら自分で弾くしかないかもしれない――で、困って志賀先生に相談したところ「今すぐ家に来なさい」とおっしゃってくださって、それから2週間、毎日先生の所へ通って缶詰になって一緒に練習しました。それでほぼ丸暗記状態で演奏審査に臨んだわけです。
 1年次の作品の演奏審査って、作曲科の先輩からも注目されるし、いいピアニストを見つけたいから器楽科から人も来るんです。そこでひとりブーレーズみたいな曲をジャカジャカ弾いていたものだから、打楽器科や管楽器科の現代音楽をやるような人から「あいつできるぞ」と意識されて、急にオファーがくるようになりました。僕もいろんな楽譜を見てきたし初見には慣れていたので、演奏機会も増えていったのですけれど、あるときコンクールの伴奏を務めて限界を知りました。予選を無事に通過して、本選前のレッスンに同行したときに、先生から「ピアニストをすぐに変えなさい」と言われてしまったんです。僕の演奏は全然なっていなかったわけですよ。そのときに初めて「これでは足りないんだ」と気がついた。
演奏は自分の作曲活動にとって大事だと思っていたし、ピアノの先生や藝大の副科の先生からピアノをちゃんと学んだらどうかと提案されていたこともあり、その2人の先生に時間をかけて専門的に教わって、それなりにピアノに時間を割きました。それでなんとかピアノの仕事ができるようになったのかなと思います。

――大学院に進んでいっても演奏する機会は増えていったのですね。

加藤 演奏する機会があるということは、自作を発表するチャンスもあるということ。自作自演を自分の活動の目玉だとは思っていないけれど、ピアニストとして演奏の機会があるときに自作を演奏することで、自分が出演することが説得力を持つようにもなる。だから続けてきたわけです。
 大学院の1年次には志賀先生の薦めで初の個展を開き、その後長期間ヨーロッパに行きました。イギリス、ウィーン、パリとまわって、イタリアのシチリア島に行きました。港に着くと黄色いチラシがいっぱい貼ってあって、見たら僕の名前が書いてある。シチリア行きをアレンジしてくれたコーディネーターが、いつの間にか僕の演奏会の手はずを整えていたのです。会場は100人程度のスペースで、そこに150人ぐらいのお客さんがつめかけて、超満員の状態。でも自分の曲しかないから、どんな曲かを説明してコーディネーターに通訳してもらい、そして演奏する。最後に、シチリア島の美しさに触発されて滞在中に書いた曲を披露したら、皆さんから盛大なブラボーをいただいた。言葉は通じないけれど、自分の作品を自分で演奏してこんな対話ができるのかと感動しました。これが自分の原点になったといえます。自分は作曲家だと思っている部分は強いけれども、演奏することによってしか得られないものもある。演奏しているから作曲に活かせる部分と、作曲しているから演奏に活かせる部分と、その両方を保ち、高めていくこと。それが自分のやるべきことかなと腹をくくりました。

――大学院を修了してからの活動はどうでしたか。いろんな会場でいろんな演奏家と共演するようになり、求められるレベルも上がっていったのでは。

加藤 自分としては、2010年にヴァイオリンのレイ・チェンと共演した経験が大きかったですね。ピアニストとしての自分の引き出しを全部あけても太刀打ちできないぐらいすごい音楽を持っている人だったし、すごいことを要求する人でした。第一線にいる演奏家のポテンシャルというのはこういうものなのかと痛感しました。自分は作曲ができるピアニストだからこの程度でいいだろうと無意識のうちに甘えていた部分があったなと、そのとき感じたのです。ピアノ演奏と作曲と、その両方が傷を舐めあっていてはいけないなと。このときの経験がなかったら今はない。そのぐらい大きく変わりました。スタンスとか練習方法は変わらないけれど、見えてくる風景が全然違うんですね。以前はそれに気づくだけの感性がなかったから、そこにあったものが見えなかったけれど、次からはそこにも気を配れるし、視野も広がる。王子ホールでまろさんとご一緒した(2011年12月「X’maro 2011」)ときも含めて、ひとつひとつ自分の中に引き出しが増えていったし、これからも増やしていかないといけませんね。

――お話を聞いて振り返ると、ピアニストとしてのキャリアの節目節目で志賀先生の存在が大きかったようですね。

加藤 とても大きいですし、本当に感謝しています。今回はあまりお話しできなかったけれど、作曲の尾高惇忠先生にも感謝していますよ! いま自分の子供たちがいろいろと習い事をしていて、お金がかかってしかたがないのだけれど、「やるならちゃんとやれ」としか言えないですよね。自分も高いレッスン代を親に出してもらっていたから、文句は言えません(笑)。

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:コンサートイマジン)

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