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王子ホールマガジン 連載

ピアノという仕事Vol.14 アンジェラ・ヒューイット

王子ホールマガジン Vol.42 より

幼少期からピアノ以外の楽器やバレエに親しんできたアンジェラ・ヒューイットは、住居にしても楽器にしても、先入観なく自分に合う場所・モノを積極的に採用する人物のようだ。ピアノでのバッハ演奏において一家を成した感のある現在でもその姿勢は変わらない。周囲の心配をよそにiPadの楽譜を用いて「フーガの技法」を弾くあたりも、なるほど彼女らしいといえるのかもしれない――

アンジェラ・ヒューイット(ピアノ)

カナダの音楽一家に生まれ、3歳でピアノを始める。4歳で聴衆を前に演奏し、5歳で最初の奨学金を得る。その後ジャン=ポール・セヴィラに師事。1985年のトロント国際バッハ・ピアノ・コンクールに優勝し、一躍世界の注目を集める。ヨーロッパ、アメリカ、アジア等世界各地でのリサイタルのほか、著名オーケストラと定期的に共演しており、ハイペリオン・レーベルからの卓越した録音により「我々の時代の傑出したバッハ弾き」(ガーディアン紙)との賞賛を得ている。06年のグラモフォン・アワード「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」受賞。また、00年カナダ政府よりカナダ勲章を、06年には女王誕生記念大英帝国勲章を受勲。イタリアのウンブリア州にてトラジメーノ音楽祭の芸術監督を務めている。

Q まずピアノ、そして音楽との出会いについてお話しいただけますか。

アンジェラ・ヒューイット(以下「ヒューイット」) ピアノを弾いていない頃というのを憶えていないぐらいです。両親はともに音楽家で、イギリス出身の父はカナダ・オタワの大聖堂のオルガニスト兼クワイアーマスターを50年務めました。母はピアニストで、父にオルガンを習っていたんです。ですから家では常に音楽が流れていました。とくにJ.S.バッハですね。私は2歳のときにおもちゃのピアノを買い与えられ、3歳になると本物のピアノを使って毎日レッスンを受けるようになりました。弾きたくなると母に教えてくれとせがんでいたようで、親に言われていやいや練習をするということはありませんでした。
 でもピアノばかりではなく、他の習い事もしました。ヴァイオリンも10年、リコーダーも10年かなり真剣に練習しました。クラシック・バレエも3歳から20年続けました。歌うことも好きだったし、つねに音楽に触れながら育ちました。

Q お母様とのレッスンはどのようなものだったのですか?

ヒューイット 具体的には憶えていないけれど、正しいフレージングだとか、音楽性のもっていきかたというのを教わりました。いわゆる「悪いクセ」のようなものがつかなかったのもありがたいですね。両親はとても慎重に課題を選んで与えてくれました。もちろんバッハもそうですが、バロック期の作品や、子供たちでも親しみやすい古典派、そしてカバレフスキーやショスタコーヴィチによる子供のための作品などをどんどん与えてくれた。その一方でロマン派の音楽はやらせなかった。もちろん後年になって学びましたけれど、小さな子供はロマン派の音楽を理解できませんから。演奏会を開く機会もたくさんありましたが、大々的に売り出そうとはしなかった。たとえば4歳のときにテレビ番組の出演を持ちかけられたときも両親が断ってくれた。そういった面でも慎重な親でしたね。

Q 正式にお母様以外の先生にならうようになったのはいつですか?

ヒューイット たしか6歳からです。2週間に1度、バスと電車を乗り継いで、レッスンを受けるためにトロント王立音楽院まで片道5時間をかけて通いました。王立音楽院には長い間在籍して、たくさんの素晴らしい先生に教えを受けました。15歳になるとフランス人のジャン=ポール・セヴィラ先生に習うようになりました。素晴らしい先生でした。

Q コンクールに挑戦するようになったのはいつごろからですか?

ヒューイット 17歳ぐらいからアメリカやヨーロッパで国際コンクールに出場するようになり、いろいろと賞もいただきました。大きかったのは1985年のトロント国際バッハ・ピアノ・コンクールでの優勝です。私のキャリアはそこから始まったと言っていいでしょう。ありがたいことに、それ以降はコンクールに出なくてもよくなりました(笑)。

Q ヴァイオリンとリコーダーとバレエも習っていたとのことですが、いつまで続けていたのですか?

ヒューイット 15歳になってセヴィラ先生に習うようになってからは、どんどんピアノ作品の魅力にのめり込んでいきました。自分が一番得意だったのはやはりピアノだったし、もっとピアノに時間を費やすことに決めたんです。バレエは20歳のときにパリに移り住んだ後も、3年ぐらいは続けましたね。でも忙しくなって、そのうちレッスンにもいけなくなってしまいました……今でもストレッチぐらいはしますけれど、踊れはしませんね(笑)。バレエを習っていたからか、自分のフィジカル面への意識は高いと思います。ピアノを演奏するときの姿勢も大事だし、オーディエンスとのコミュニケーションという面でも、スタミナという面でも、自己管理という面でも、バレエを経験したことは宝となっています。

Q プロとしてのキャリアはどのように発展していったのですか?

ヒューイット ゆっくりと着実に、ですね。これはありがたいことです。最近ではプロになりたてなのに過酷なツアーを課せられてしまう若い人が多いように見受けられます。それが心配ですね。キャリアの序盤は新しい作品を学び、自己形成をするうえで重要な期間です。誰かが作ったイメージではなく、自分で自分の姿を作っていくべきです。友人と過ごす時間なども大切にすべきですよ。
 自分のキャリアのなかでいちばん大きな転機はハイペリオン・レーベルとの契約だと思います。1994年からバッハ作品のレコーディング・プロジェクトが始まり、より多くの人々に演奏を届けられるようになりました。

Q 多くの人がヒューイットさんを「バッハ弾き」として語っていますが、そういったレッテルを貼られることに抵抗を感じますか?

ヒューイット 決して悪いレッテルではありませんよね(笑)。個人的には「チャイコフスキー弾き」と言われるよりも「バッハ弾き」と言われたい。バッハ以上の音楽なんて考えられないから、むしろ光栄に思います。バッハ演奏で人に認められたのであれば、自分の音楽家としての資質を誇ってもよいでしょう。バッハの音楽は音楽的素養と技術をたいへん高いレベルで求めるものですから。
 そうはいっても、私は広いレパートリーを弾くように心掛けてきたつもりです。「ヒューイットはバッハしか弾かない」と言うのは簡単な話ですが、それは事実ではない。もちろん私のキャリアを築いてくれたのがバッハであることは確かで、ハイペリオンとの「バッハ・ツィクルス」は間違いなく私のキャリアの礎です。アルバムが高評価を得たときのパブリシティは非常に効果がありますし、何よりも録音するレパートリーについて学び、弾きこんでいく音楽的な過程が大事なのです。

Q バッハ以外にこれからどのようなプロジェクトを考えてらっしゃいますか?

ヒューイット ベートーヴェンのソナタ全曲録音も進めていて、まもなく第4巻がリリースされます。第5巻は1月に録音する予定です。モーツァルトのコンチェルトももうすぐリリースされるし、スカルラッティの作品にも取り組みます――555曲全部ではないけれど(笑)。レコーディングの企画はハイペリオンの人と話し合うんですが、決定権のある人と直接話しができるので、非常に簡単ですね。企画をまとめてマーケティング部門と話をして……という煩雑なプロセスがなく、一緒にランチをしながらほとんどその場で話が決まっていく。ここ2年は毎年4枚のアルバムをリリースしました。今日の環境では非常に珍しいですよね。恵まれています。

Q ヒューイットさんというと、ファツィオリのピアノが代名詞のようになっています。初めてファツィオリを弾いたのはいつですか?

ヒューイット たしか1995年ですね。オーストラリアのシドニーでした。それまでファツィオリ社のピアノのことは全く知らなかったんですが、感心させられました。その後99年にロンドンの自宅のピアノを買い替えようとしたときに、ちょっと変わったものが欲しかったので、小型のファツィオリを買ったんです。そのうちロンドン市内のコンサートでもファツィオリを弾くようになり、創始者のファツィオリ氏とも面識を得ました。彼がピアノに注ぐ情熱には大いに感銘を受けましたよ。どこにでも置いてあるピアノではありませんけれど、可能な限り各地でファツィオリを弾くようにしています。
 ファツィオリは安心して弾けますね。音色が非常に多彩なんです。他にも美しく響くピアノはあるけれど、ファツィオリのほうが音色が豊富だと思います。可能性が拡がる。パワーもあるけれど繊細さも持ち合わせているし、響きもたっぷりとして活きがいい。しっかりコントロールする術を知らなければなりませんけど、とてもクリエイティブに奏でられる楽器です。

Q 今回のリサイタルでは、iPadに取り込んだ「フーガの技法」の楽譜をお使いになりましたね。足元のBluetooth端末を操作してページをめくっていました。

ヒューイット もちろん通常は暗譜しますけれど、「フーガの技法」はとても複雑で、弾き始めたのも2012年の3月からなんです。今から3週間、電話もネットもつながらない無人島で練習すれば暗譜できるでしょうけど、そんな時間はない(笑)。それに「フーガの技法」ではつまづくと大変なことになるので、スコアを見ながら自分で譜めくりをするようにしたんです。自分のタイミングでページをめくれるし、これまでのところ電池が切れたりすることもなく、無事に使えていますよ。室内楽でも使っていますし、以前ケント・ナガノ指揮でメシアンの《鳥たちの目覚め》を弾いたときも使いました。彼は「フリーズしたり電池が切れたらどうするんだ!」って、とても心配していましたね(笑)。

Q 近年はイタリアで音楽祭を主宰されていますね。

ヒューイット ええ、それについては何時間でもお話しできますよ(笑)。私は2002年にトラジメノ湖の近くの土地を買って、家を建てました。湖畔の町マジョーネには大聖堂があって、15世紀にできた美しい庭があるんです。04年にその庭を一目見て、「ここで音楽祭をやりたい」と思うようになりました。そして05年には第1回の音楽祭を開催し、来年はちょうど10回目を迎えます。音楽祭では7日間で7回のコンサートを開き、そのうち6回は自分も演奏します。期間中、希望者にはウンブリア州のツアーをしたり、晩さん会を催して食事とワインを楽しみます。日本を含め世界中から音楽を愛する素晴らしい人々が集まります。演奏だけでなくオーガナイザーとしての仕事もしなければならないので、大変ではありますけれど、多くの人に助けてもらっています。

Q 室内楽は昔から積極的に取り組んでいましたか?

ヒューイット パリに移ったときも、ロンドンにいたときも、室内楽はたくさんやりました。もちろん一人で演奏することはとても大事だし、長いことソロを大切にしてきましたが、人と共演するのも大好きなんです。とくに歌手との共演は掛け替えのない体験になります。音楽祭ではアンネ・ソフィー・フォン・オッターやフェリシティ・ロットのような素晴らしい歌手と共演しています。

Q 歌は子供の頃からお好きだったのですね。

ヒューイット 小さいころは母の伴奏でよく歌っていたし、父は教会で、母は高校で合唱を指導していました。なので家でもよく歌っていましたね。ドイツ歌曲も好きだし、フォーレなどのフランス歌曲も大好きです。ピアノを練習するときはいつも歌いながら弾いていますよ。自分にとってピアノの演奏とは歌をうたうことと一緒なんです。人間の声をピアノで表現しようとしているし、だからこそいい歌手との共演を心から楽しんでいる。柔軟性をもって歌手と呼吸をともにし、幅広い音色で応えることが伴奏では重要だと思います。
 速く弾いたり大きな音を出せる人はたくさんいるけれど、美しい音を出せる人はそうそういません。その第一歩は耳から始まるのだと思います。美しい音とは何かを想像し、耳と心で感じられるようにすること、和音を弾く時もどのようなバランスで音を出すと美しく響くのかを思い描くことが大事です。ひとつひとつの音に歌わせ、トーンの質を保つ。それがピアノ演奏の極意と言えますね。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:AMATI)

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